おやぢの部屋2
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MOZART/Flute Quartets
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Ulf-Dieter Schaaff(Fl), Philipp Beckert(Vn)
Andreas Willwhol(Va), Georg Boge(Vc)
PENTATONE/PTC 5186 567(hybrid SACD)


クラシックの音楽家が演奏する時に使う「楽譜」には、正確には作曲家の意図がそのまま書き込まれているわけではありません。印刷された楽譜には多くの人の手が関わっていますから、その途中で誤植などの間違った情報が紛れ込む可能性は避けられません。あるいは、演奏家などが良かれと思って、演奏効果を上げるために意図して作曲家の指示ではない自らの解釈を楽譜に書き加えるようなことも、頻繁に行われています。
そこで、作曲家の考えを最大限尊重するために、自筆稿だけではなく初期の出版譜やその他のあらゆる資料を動員し、正しいと思われる情報だけを反映させた楽譜を作ろうという動きが出てきます。その結果出来上がった楽譜が「原典版」と呼ばれるものです。
そんな原典版が、なんと言っても一番重きを置くのは作曲者自身が書いた楽譜、自筆稿です。しかし、人間が手で書いたものですから、そこには間違いがないとも限りません。ですから、原典版の作成の過程では自筆稿以外の資料も参考にしながら校訂作業を進めることになります。そこで、それぞれの資料の重要性の判断は、校訂者に委ねられることになり、結果として「原典版」と謳っていても内容の異なる楽譜がいくつか存在することになります。
モーツァルトの場合、その全ての作品の原典版は「新モーツァルト全集」として、ベーレンライター社から出版されました。フルート四重奏曲も、ヤロスラフ・ポハンカの校訂によって1962年に出版されています。それ以来、この曲を演奏する時にはこのベーレンライター版を使う、というのは、もはやフルーティストにとっては「義務」と化したのです。それは、ごく最近までの新しい録音では、この原典版で初めて加えられた第2楽章の18小節と19小節の間にあるタイをほとんどすべてのフルーティストが演奏していることからも分かります。
ところが、1998年にヘンリク・ヴィーゼによって校訂されたヘンレ社による原典版では、そんなタイは見事になくなっていました。
自筆稿を見ると、このタイはページにまたがっていて、18小節の最後にはタイはないことが分かります。
このあたりが、「解釈」の違いとなって現れていたのでしょう。実際にここを演奏してみると、このタイはモーツァルトにしてはなんか不自然な気がしてなりませんでした。どうやら、これはタイを付けたいとは思わなかったヘンレ版の方が正解のような気がします。
今回の、ベルリン放送交響楽団の首席フルート奏者、ウルフ=ディーター・シャーフを中心としたメンバーが2016年5月に行った最新の録音では、このヘンレ版が使われているようでした。いままで、ピリオド楽器での録音したものではこちらがありましたが、モダン楽器ではおそらくこれが最初にこの楽譜で録音されたものなのではないでしょうか。とは言っても、このSACDには明確なクレジットがあるわけではなく、あくまで推測の域を出ないのですが、先ほどのニ長調の第2楽章以外にも、ハ長調の第1楽章の157小節(上がベーレンライター版、下がヘンレ版)とか、
イ長調の第2楽章トリオの11小節(やはり上がベーレンライター版、下がヘンレ版)
では、明らかにヘンレ版にしかない音で演奏されていますから、まず間違いないでしょう。もちろん、ハ長調の第2楽章の第4変奏でも、9小節から12小節のヴァイオリンとヴィオラのパートが入れ替わって、フルートと平行に低いF♯の音が聴こえてきます。
シャーフは、アンドレアス・ブラウ、ペーター=ルーカス・グラーフ、アンドラーシュ・アドリアンなどに師事したフルーティストで、ベルリン・フィルでエキストラとしてトップを吹いていたこともありましたから、映像などで残っているものも有ります。こちらでは、ブラウのアンサンブルにも参加していましたね。日本の「ザ・フルート」という雑誌に寄稿もしています。彼のフルートはとても端正、ソリスティックに主張するのではなく、他の3人と一体となって、モーツァルトをチャーミングに作り上げています。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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# by jurassic_oyaji | 2017-09-21 22:37 | フルート | Comments(0)
1時間で全部終わりました
 きのうは、大腸の内視鏡検査を受けてきました。去年初めて、集団ガン検診で引っかかったので、半強制的に受けることになったんですね。その時には結局ポリープが見つかって、検査と同時にその切除手術も受けて、組織検査の結果では何の問題もなく一安心、という結末でした。その時に、1年後に経過を見せて下さいということで、今年もまた受けることになっていたのです。
 ご存知のように、この検査は丸2日「下準備」が必要になってきますから、休みの日と続いている日に受けたいと思って、予約に行ってみると、近い日の月曜日はみんなふさがっていました。ただ、「休みの次」ということできのうの火曜日は空いていたのでその日にすることにしました。後で予定を見てみると、その休みの日にニューフィルの指揮者練習が入っていたのですね。まあ、前の日は指定された検査食を食べていればいいので、そんなに問題はないでしょうね。うまい具合に、お昼ご飯は家で食べられるような練習日程でしたし。
 その、18日の練習は、指揮者の橘さんが福岡から飛行機で仙台までやってくる、ということで、台風でかなりの欠航が出ている中でひたすら情報を収集です。ですから、予定された飛行機がほんの少し遅れただけでちゃんと仙台空港に降りられたとネットで分かった時にはうれしかったですね。
 ただ、私のコンディションは最悪でした。その前の日は普通に食事が出来たのですが、夜にまず下剤を飲まなければいけませんでした。それが、その指揮者練習の日になって効いてきたのですよね。午前中は、こんなんでは練習の間中座っていることなんて出来ないんじゃないか、と思ってしまいました。ですから、昼食の検査食はかなり早めに済ませて、出来るだけ便意が起きないようにして、練習に臨みます。
 まあ、おおむね影響はなかったのですが、やはり心配だったので、休憩の時には誰よりも早くトイレに駆け込みましたね。それで、なんとか無事に指揮練が終わりました。
 そして、次の日は休みを取って、ひたすらまず~い洗浄剤を飲み続けます。これは、腸で吸収されずにそのまま出てきますから、体としては「異物」と感じるものなのでしょうね。飲み終えることには、なんか頭も痛くなってきましたよ。
 そして、予定時間になったので病院に向かいます。去年やったことがあるので、手順はもう飲み込んでいます。ただ、今年はちょっとした決心がありました。去年は苦痛を感じないように麻酔を使ってもらったのですが、今年はそれをやめてもらうことにしてあります。というのも、去年終わってから写真を見せられて、ものすごい仕事をしていたことが分かったので、それを実際に見てみたかったのですよね。去年は、目が覚めたらすべてが終わっていましたから。話では、かなり痛みを伴うみたいですが、ここでは麻酔なしでやっている人もいるそうなので、それは決して我慢できないほどのものではないだろう、と思いましたからね。ただ、検査を受ける前には看護師さんからは何度も「なしでいいんですか?」とは聞かれましたけど。
 まずは、ベッドに横向きになって待機します。そこに先生がやってきて「去年もいらしてますね?」とか、軽い挨拶などもありました。そして、検査が始まります。肛門にはゼリーをべったり塗ってあるので、挿入しても全然痛くありません。モニターを見ていると、なんだかトンネルの中を突き進んでいる感じ、そのうち、「仰向けになってください」と言われます。このあたりは、去年はもう意識がなくなってますから、あちらで体位を変えたのでしょうね。あ、安心してください。検査の前に着替えをさせられて、これ用の後ろに穴の開いた特製のパンツを穿いてますから、別に仰向けになっても何の問題もないんですよ。
 そうすると、看護師さん(女性)が先生のお手伝いで、私の上に覆いかぶさって、大腸を伸ばしたりするようになります。カメラが入っていきやすいようにしているのでしょう。当然、彼女の胸のあたりが私の体に接触しますから、なんかいいですね。というか、そんな余裕が感じられるほど、苦痛なんて全然ありませんでした。カメラの先が腸の中にあるのだな、という感じはよく分かるのですが、痛みは全くありません。
 先生も、「ここにポリープがありますね」とか、私に話しかけてくるので、私も「今日は取らないんですか?」とか、会話も弾みます。いやあ、なんだかとても楽しい体験でしたね。
 結局、まだ切除が必要なほどの大きさのポリープはなかったので、今回は手術はなし、あとは2年後にまた来てください、ということでした。本当は、ポリープを切るところや、そのあとのクリップをかけるところなども見てみたかったのですが、残念でした。それは、2年後の楽しみに取っておくことにしましょう。
 唯一、楽しくなかったのは、静脈注射が下手なこと。
 去年もこんな感じでした。他の病院ではなったことはなかったのに。
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# by jurassic_oyaji | 2017-09-20 19:32 | 禁断 | Comments(0)
The Sound of the King's Singers
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The King's Singers
WARNER/0910295764012


「キングズ・シンガーズ」が公式に誕生したのは1968年5月1日ですから、来年には彼らは50周年を迎えることになります。もちろん、創設時から解散までの63年もの間、同じメンバーが半分は居続けたという「デューク・エイセス」のようなコーラスとは違って、長い人で26年、短い人だとほんの数年で後進に道を譲ってきたこのグループでは、この時のメンバー(スタート時は6人編成でした)はもはや誰も残ってはいません。つまり、全てのパートが現在は4代目か5代目に替わっているのですね。こんな感じで、彼らはこれから先も適宜メンバーチェンジを重ねつつ、活動を続けていくのでしょう。ですから、「デューク」の63年というギネスものの記録も、いずれは簡単に破られることでしょう。余談ですが、「デューク」の場合は、交替メンバーの人選を誤りさえしなければ、もっと「長生き」出来たのでは、という気がします。現在のトップテナーは最悪でした。
「キングズ」の場合も、明らかな人選ミスがあったため、その人が在籍した10年ほどの間は、明らかにグループのクオリティが落ちていたな、というのは、あくまで個人的な感想です。
そんな「50周年」がらみなのでしょうか。このグループが最初に所属していたEMIを買収したWARNERから、こんな3枚組のアルバムが出ました。10年近く前のEMI時代にこんなコンピレーションが出ていましたが、今回はオリジナル・アルバムをそのまま復刻したものになっています。ブックレットには最初にEMIに録音した時のメンバーの写真が載っていますし、デジパックではそれぞれのアルバムのオリジナル・ジャケットを見ることが出来ます。
1枚目は「マドリガル・ヒストリー・ツアー」、1984年に2枚組のLPでリリースされたものを1枚のCDに収めたものです。こちらでご紹介したように、同じ年のテレビ番組と連携して録音されたものです。これは、実は初出のCD(1989年)をすでに持っていました。今回はその時のリマスタリング・データをそのまま使っているようでしたね。これはなんたって彼らの魅力がもっとも味わえるレパートリーですから、何も言うことはありません。彼らの歌うマドリガルは、常に現代人にも共感できるエンターテインメントが込められています。それは、彼らが歌っていた曲をさる合唱団が偉い指揮者のもとで演奏している時に、なんてつまらない曲なんだろうと感じてしまうほどでしたからね。
2枚目は、「コメディアン・ハルモニスツへのトリビュート」という1985年のアルバム、先ほどのコンピに何曲かは入っていましたが、アルバム全部を聴くのはこれが初めてです。そもそも「コメディアン・ハルモニスツ」というのも初めて知りました。これは、ドイツの放送局との共同制作で、ドイツで1920年代から1930年代まで活躍したそういう名前の男声コーラスグループが歌っていたものを再現しています(彼らの演奏はSPレコードで残されています)。ドイツの民謡から、アメリカのスタンダード・ナンバーまでをレパートリーにしていたそうですが、キングズ・シンガーズが素晴らしいドイツ語のディクションで聴かせる早口言葉は最高です。
3枚目は、それに対してアメリカのヒットソングを集めた1989年のアルバムです。ここから、デジタル録音に変わっていますし、テナーがビル・アイヴスからボブ・チルコットに変わっているのが、最大の違い。そして、ここではアンドリュー・ロイド=ウェッバーのオーケストレーターとして知られるデイヴィッド・カレンがオーケストラのための編曲を行っています。これは、それこそ「ジーザス・クライスト・スーパースター」を思わせるような可憐、というよりはゴージャスな編曲が聴かせどころなのでしょうが、その分合唱の比重が少なくなっていて、シンガーズのファンには物足りない出来になっています。ですから、ここではチルコットの悪声はそれほど目立ちません。

CD Artwork © Warner Music Group Germany Holding GmbH

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# by jurassic_oyaji | 2017-09-19 18:23 | 合唱 | Comments(0)
これは映画館で見てみたいものです
 最近の日本のヒットチャートを賑わしている曲を聴いていると、ドラマや映画の主題歌が多いですね。今だと、終わったばかりのドラマのテーマ曲、「聖域」でしょうか。これを初めて聴いたときには、かなりアブない歌詞だったので、タイトルも「セイイキ」ではなく「セイエキ」だと思ってしまいましたよ(とても漢字では書けません)。福山だったらそれもありか、と。ヘビロテを聴いていると、なんだか「学生街の喫茶店」のフレーズが聴こえてきますね。
 それと同じぐらいにもうヘビロテだらけというのが、来週公開の映画「ナミヤ堂雑貨店の奇蹟」の主題歌ですね。これは達郎の作品ですから、毎週聴いている彼の番組でいち早く流れたと思ったら、もう次の日からは1日1回はラジオから聴こえてくるという感じです。車でしかラジオは聴きませんから、これはとてつもない頻度ですね。
 ただ、この「REBORN」という曲は、なんかインパクトに欠けているな、と感じました。作者はほぼ自己再生産に入ってしまった年齢なのか、斬新さがまるでないんですよね。とは言っても、最後近くのブリッジの部分は、今までの達郎の作品には見られない、「新機軸」がありました。そこでは、全く同じモティーフが、歌詞を変えて6回も繰り返されていたのです(正確には、4回目だけは少しメロディが違っています)。そこでは、
    悲しまないで
    うなだれないで
    振り向かないで
    怖がらないで
    とどまらないで
    あきらめないで
 と、最後の言葉が揃えられていて、なんだか柄にもなく安っぽいヒップ・ホップを取り入れたようなテイストが感じられました。当然のことながら、そこにはとてつもない違和感が漂っていました。新しいことに取り組んでいても、これはちょっと失敗しているのではないか、と思いましたね。
 なんでも、この歌は主題歌としてだけではなく、物語の中で実際に演奏されたり歌われたりしていて、ストーリーの重要な要素としても働いているのだそうです。この原作を読んだのはだいぶ前のことですから、なんかタイムスリップのようなところがあったぐらいのことは覚えていますが、細かい部分はすっかり忘れていますから、そんな「歌」が出てくるシーンなんかあったかな、と、この際だから読み返してみることにしました。
 まず、私が読んだ文庫本と、今の文庫本は表紙が変わっているようですね。今は、映画としっかりタイアップして、タイトル・ロゴも映画と同じフォントに変わっています。
 ところで、初めて気づいたのですが、「店」という字では時計の針がデザインされているんですね。このアイディアは初版でも同じでした。確かに、この作品は「時間」が重要なモティーフになっていますから、これは素敵ですね。
 その「歌」は、確かに登場していました。達郎の番組の中では、ハーモニカで演奏するバージョンと、出演者の門脇麦が歌うバージョンがあるということで紹介されていましたが、確かにあれはここで使われていたのか、というところがありました。そうすると、確かにさっきのブリッジの歌詞の意味がよく分かってきて、投げやりなメロディだと思っていたものが、俄然しっかりとした意味を持って聴こえてくるようになりました。この6回の畳みかけは、物語の中で歌われるととてつもない説得力を放っていました。麦さんのバージョンでは、後半、ちょっと危なげな歌い方になっています。これも、けっして歌が未熟なのではなく、ドラマとしての感情の吐露のなせる一つの「表現」であったことも分かります。そういう重たい背景を持った歌だったのですよ。
 本を読みながら、そんな、彼女が「アンコール」でこの歌を歌い出すシーンで、思わず号泣してしまいましたよ。
 これが、「ページに落ちた涙の痕」です(笑)。
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# by jurassic_oyaji | 2017-09-17 20:53 | 禁断 | Comments(0)
山本直純と小澤征爾
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柴田克彦著
朝日新聞出版刊(朝日新書632)
ISBN978-4-02-273732-8


まずは、このインパクト満載の帯をご覧ください。
「この二人がいなければ、日本にクラシックは存在しなかった。」ですって。もちろん、編集者が作ったコピーでしょうが、このなんとも浅はかでぞんざいな文章には怒りさえ覚えます。確かに、この二人がいたから「クラシックの大衆化」が進んだことは間違いないのでしょうが、別に彼らがいなくても「クラシック」そのものはしっかり「存在」していたのですからね。
気を取り直して、こんなコピーに著者自身は全く関与していなかったと思いつつ、本文を読むことにしましょうか。これは、基本的に過去に公にされた資料を元にこの二人の経歴を詳細に語る、という安直なものなのですが、小澤と同時代に別のジャンルで活躍した直純の「知られざる」業績を明らかにしたい、という著者の思いだけは強烈に伝わってきます。確かに、かつては一世を風靡したこの音楽家は、おそらく今では「クラシックの指揮者」としてまっとうに認識されてはいないでしょうから、そのあたりをしっかり分かって欲しい、という著者の熱意はこの本のあちこちで見ることが出来ます。それと同時に、作曲家としての彼の業績も、正当に評価して欲しい、という願いも。
しかし、客観的に見て、直純の作曲家としての業績をここまで持ち上げるのはちょっと理解できません。彼の「代表作」である「寅さん」のサウンドトラックなどは、今聴いてみると明らかにやっつけ仕事という気がしますからね。音楽にオリジナリティを感じることはできませんし、何よりセンスがあまりにダサすぎます。
さらに、シリアスな音楽として例に挙げられている、国連で演奏されたという「天・地・人」(直純は「人」のパートを作曲)に対しての、武満徹のコメントを引用すれば、そのクオリティの低さは明らかでしょう。もちろん、本書でそれが紹介されるわけもありませんが、武満は「こんな劣悪な曲を嬉々として指揮をした小澤と一緒に仕事をしていたことを悔いている」といったような意味のことを語っていたのですよ。これを見た時には「ついに武満は小澤と決裂したのか」と思ったので、こういうコメントがあったことは間違いないのですが、今では彼の著作の中にはおそらく見ることはできないでしょうね。
ですから、直純に関しては「最後の5年は、徐々に仕事が減っていった」という最晩年の悲哀に満ちた様子の方が、とても心に響きます。仕事仲間は必ず飲みに誘うというような前時代的なやり方が、時代の変化とともに仲間が彼の元から離れていった要因だったのだそうですね。
小澤に関しては、直純とは対照的に「努力して世界の頂点に立った」というスタンスは最後まで変えてはいません。メシアンのオペラの初演が失敗だったことや、ウィーン国立歌劇場での不評ぶりなどは、決して取り上げられることはありませんし、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が「セイジ・オザワ松本フェスティバル」と名称が変わったことに言及されることもありません。
最も興味深く読めたのは、この二人が関与した「オーケストラがやって来た」というテレビ番組が始まった経緯とか、それに先立つ新日フィルの創設などの「裏事情」について語られた部分です。その前には日本フィルの分裂という事件が起こっているわけですが、そのあたりの時間的な経過を見ていると、新日フィルを作り、それを使ったレギュラー番組をスタートさせるという考えは、この二人の中ではかなり早い段階からあったのでは、と、著者は述べていますからね。
それにしても、「日本全国にオーケストラがやって来てコンサートを開く」という企画の発端は、スポンサーである電電公社(現NTT)の値上げの根回しだったとは。当時は全国一律ではなく、地域ごとの値上げを行っていたので、そのスケジュールに沿ってこの無料コンサートを行っていたんですって。

Book Artwork © Asahi Shimbun Publications Inc.

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# by jurassic_oyaji | 2017-09-16 20:27 | 禁断 | Comments(0)