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おやぢの部屋2
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DVORAK/Symphony No. 9, TCHAIKOVSKY/Symphony No. 4




Constantin Silvestri/
NHK Symphony Orchestra, Tokyo
KING INTERNATIONAL/KKC 2049/50




昨年で創立85周年を迎えたNHK交響楽団の記念CDの中に、「コンスタンティン・シルヴェストリ」などという懐かしい名前がありました。
彼がN響を指揮するために来日したのは、1964年でした。その演奏会の様子が、なぜかコンスタントにテレビで紹介されていたので、それを見てすっかり「シルヴェストリさん」のファンになってしまったのですよ。もともと全く無名の指揮者でしたし、来日した5年後には亡くなってしまいますから、いまだに「知る人ぞ知る」マニアックな指揮者の名前が、そんなテレビの放送だけですっかり刷り込まれてしまったのですから、幼少期の体験というのは恐ろしいものです。その指揮姿は、それまで見ていた指揮者のものとはずいぶん違っていて、髪を振り乱しながら、とってもワイルドに迫っていたような気がするのですが。
これを買ったのは、そんな思い出の追体験、という意味もあったのですが、現物を手にしてこのジャケットの写真を見たら、もうがっかりしてしまいましたよ。この、なんだか新聞に載った写真でも使ったのではないかと思えるようなひどい写真はいったい何なのでしょう。それと、これと全く同じ時期に同じNHKによって録音されたクリュイタンスの「幻想」がしっかりステレオになっているというのに、こちらはモノというのも、なんだか情けない感じです。
さらにこの2枚組CDには全部で3日分、6曲収録されているのですが、録音会場はすべて「東京文化会館」となっています。しかし、ブックレットに掲載されている、実際にそのうちのどれかを聴いていた方のレポートによると、6曲のうちの4曲は、「旧NHKホール」でのものだというのですね。確かに、実際に聴いてみると響きが全く違います。これは明らかな、ジャケットの表記ミスでしょう。
ドヴォルジャークの「新世界」は、間違いなく東京文化会館での録音ですが、当時の放送局の録音の悪いところだけが目立ってしまう、やたらとストイックな響きに仕上がっていますから、オーケストラがとてもヘタに聴こえてしまいます。始まってすぐ聴こえてくる木管のコラールでのフルートときたら、チリメン・ビブラート丸出しのとても安っぽい音なので思わず力が抜けてしまいます。これが半世紀前のプロオケの実力だったのでしょうか。いや、このフルートは、それだけではなく、おそらく指揮者やまわりの団員のことなど全く聴いていないで、ひたすら自分の世界を追求しているようには聴こえないでしょうか。ちょっと平板な感じのする1959年にフランス国立放送管弦楽団と録音したEMIのスタジオ録音とは違って、ここではかなり大げさな身振りをオーケストラに要求しているようなのですが、フルートだけは全く知らんぷりなのですね。おそらく、この人は後にN響を聴いた時に必ず不快感を与えてくれた、あの男に違いありません。
どうやら、もっと膨らみのある音で、旧NHKホールでの録音と思われるチャイコフスキーの4番でも、この男がトップを吹いていたようですね。こちらの方は、まさに「爆演」そのもののものすごい演奏でした。シルヴェストリという人は、おそらく見せかけのバランスの良さなどを徹底的に嫌う人だったのかもしれません。第1楽章冒頭のファンファーレや、フィナーレのイントロなど、誰でも一直線にスマートに演奏したがるものを、彼はとことん流れに逆らって、至るところをせき止めて鈍重なまでの力強さを出そうとしています。それは、かなりの部分で指揮者の思いがオーケストラに伝わっているようでしたが、フィナーレも最後の方になってくると、ついいつものやり方が出てしまうのは仕方のないことでしょう。なんせ、このオーケストラは、最初にノリントンが来た時にも、完全に彼の意図を実現できたとはとても思えないような演奏ぶりでしたからね。

CD Artwork © King International Inc.
# by jurassic_oyaji | 2012-05-17 20:36 | オーケストラ | Comments(0)
MOZART/Apollo et Hyacinthus

Andrew Kennedy(Oebalus), Klara Ek(Melia)
Sophie Bevan(Hyacinthus), Lawrecne Zazzo(Apollo)
Christopher Ainslie(Zephyrus)
Ian Page/
The Orchestra of Classical Opera
LINN/CKD 398(hybrid SACD)




スコットランドにある「Linn Products」と言えば、昔から超高級オーディオ・メーカーとしてマニアの間では知られていました。とても手が出そうもない価格の製品を見ながら、「いつかはLinnを」と自虐的に呟いている人はたくさんいることでしょう。最近では、パソコンやインターネットを駆使した「ネット・オーディオ」という新しい分野でも、このメーカーは指導的な立場に立って、次々と魅力的な製品を出しています。彼らが提唱している「DS」(ゲーム機じゃないですよ。「Digital Stream」の略語です)という概念は、いずれはオーディオ界の主流となっていくのでしょうか。
このメーカーの強みは、「Linn Records」というソフト部門を持っていることでしょう。ここで録音された音源は、まさに最高のオーディオ・システムで再生されることを前提としているのですから、その音が素晴らしいのは当たり前の話です。同じようなソフトとハードを両方とも手がけているメーカーは、例えばPHILIPSとかSONYのようなところがありましたが、その両者が手掛けたSACDは、もうこのレーベルから発売されることはありません。その点、Linnの場合は、大メーカーが多くのしがらみの中で必ずしもなしえなかった、「最高」のものを目指して、妥協のないアプローチで臨んでいけるのでしょう。
ネット・オーディオに関しては、まだ何とも言えませんが、パッケージ・オーディオではほとんどすべてのアイテムをSACDで出してくれているのが、そんな「最高」を目指す証でしょうか。今回は、このレーベルにとって2枚目となるオペラ、モーツァルトの「アポロとヒュアキントス」です。
M22」に従えば、モーツァルトにとっては2番目のオペラとなるこの作品は、彼が11歳の時の1767年に、ザルツブルク大学付属のギムナジウムで上演するために委嘱されたものです。この学校では、教育のためにラテン語による演劇やオペラを上演する伝統がありました。この作品の台本は、そこの教師で司祭だったルフィヌス・ヴィドルによって書かれています。ヴィドルは、ギリシャ神話に題材をとって、アポロ、ヒュアキントス、そしてゼフィルスの「三角関係」を描こうとしたのですが、オリジナルのままではあまりにも露骨なホモセクシャルの内容になってしまうので、「教育」にはふさわしくないと、新たに女性のキャラを加え、あくまでストレートの世界であるように改変しています。
その、最もノーマルなキャラのメリア姫を歌っているエクが、とても伸びのある可憐な声で楽しませてくれます。それに対して、3人の「神」は、本来は男性の役なのでしょうが指定は女声パート、アポロはソプラノ、あとの二人はカウンターテノールで歌われています。一番の「悪者」であるゼフィルス役のエインズリーが、とても個性的な声で見事な表現力を見せてくれています。
これはもちろんセッション録音ですが、キャストはこのために集められたものではありません。彼らはすでに1997年から「クラシカル・オペラ」という、指揮者のペイジを中心としたカンパニーを結成していて、様々なオペラハウス(その中には、コヴェント・ガーデンのような高ランクのところも含まれます)で、モーツァルトとその同時代の作曲家たちの多くのオペラを上演してきているのですね。もうすでに完成された形になったものが、LINNのスタッフによって録音されるのですから、悪いものが出来上がるはずがありません。さらに、ここでは録音ならではの工夫も見られます。オペラの中には「雷」や「風」が登場するのですが、それは、まるであのジョン・カルショーのような、効果音にもきちんと出演者としての魂を込めるのだ、といったとした意気込みがビンビン感じられるような、リアリティあふれるものでした。
これからも、彼らの録音からは目が離せません。

SACD Artwork © Linn Records
# by jurassic_oyaji | 2012-05-15 20:33 | オペラ | Comments(0)
川内萩ホール
 今回の定期演奏会は、演奏はなかなかの手ごたえがあったのですが、入場者数がイマイチだったことで、ちょっとショックを受けてしまった人もいたかもしれませんね。なんせ「630」人なんて、ニューフィル史上最低の入場者数ではないでしょうか。と、その時は思っていたのですが、今までのデータを見てみるとこれは完全に想定内の数字だったことが分かります。まずは、最近の実績をご覧ください。
第54回定期(時任)  630人(萩ホール)
第53回定期(末廣)  701人(国際センター)
第52回定期(橘 )  705人(萩ホール)
第51回定期(田中)  744人(萩ホール)
第50回定期(末廣)  998人(県民会館)
第49回定期(橘 ) 1210人(県民会館)
第48回定期(新田)  566人(多賀城)
第47回定期(保科)  922人(県民会館)
第46回定期(茂木)  927人(県民会館)

 つまり、今回は決して「最低」ではなかったのですよ。多賀城文化センターでやった時に566人という、文字通り「史上最低」があったのですね。そして、なぜこんなに少なかったのかも、すぐ分かりますね。あまりに遠すぎて、はるばる多賀城までやってくる人なんかいなかったのですよ。
 それを頭に入れてこの数字を眺めると、見事に会場と入場者数の間に相関関係があることが分かりませんか?そう、萩ホールは県民会館に比べると、極端に集客が悪いのですよ。やはり、なによりのネックは交通手段でしょうね。車を持っていない人にとっては、これほど行きにくいホールもありません。いや、車があっても、確実に駐車できるという保証はないのですから、「そこまでして行くこともないな」と思ってしまう人も多いはずです。現に私の愚妻も、「萩ホールだったら、行かないよ」と、だいぶ前からダメを出していましたからね。ちゃんと来てくれた私の母親にしても、帰りのタクシーを捕まえるのにはかなり苦労したようですし。
 ですから、今回の「630人」というのは、たしかに少なめではありますが、決してわれわれの努力が足らなかったわけではないのではないでしょうか。現に、演奏会前の売り上げ調査では、700人は超えていたはずですし、当日券は30枚ぐらい売れたのですから、チケットを持っていても来なかった人が100人いたということにはなりませんか?それほどまでに、このホールはお客さんにも、そして利用者にも嫌われているのですよ。
 それについて、今回とても嫌な思いをしました。事務室の前の机が置いてあるスペースで、まだホールが開かないので待っていると、館長なんでしょうか、事務長なんでしょうか、初老の男がウロウロしていて、何やら「タバコを吸うな」とか我々に話しかけます。そのしゃべり方がなんとも横柄なのですよね。明らかに「ホールを使わせてやっている」という態度、我々はお金を払って借りている「お客様」だという意識がまるでありません。その横柄さは、その場所でお弁当を食べて、少し机を動かしていたので、それを直そうとした時に、さらにはっきり現れました。位置を合わせるために、ほんの少し机を滑らせたら、なんとその男は「タレカしねーで、ちゃんと持ちあげろ」と叫んだではありませんか。一瞬、自分の耳を疑いましたね。「タレカ」というのは、このあたりの方言で「怠け者」という意味ですが、そのニュアンスとしてはかなり相手を卑下しているような気持がこめられています。なんでお前にそこまで言われなければならないの、とキレそうになりましたが、ぐっとこらえてその場は引きさがりました。たしか、私の学生時代などは、このホールを借りに行く時には、必ず一升瓶を持って行かなければならない、という「不文律」があったはずです。そんな体質がまだ残っているのですから、言うだけ無駄だと思ったのです。
 このホールが出来た時の内覧会では、このホールが目指す壮大なビジョンが語られていました。たしか、まわりの広場を使っての「日本のタングルウッド」を目指したい、などと熱く語っていた方もいたはずです。そんな構想をぶち上げる前に、こういう愚かな職員の意識改革が、まず絶対に必要です。
# by jurassic_oyaji | 2012-05-14 21:46 | 禁断 | Comments(0)
PLEYEL/Symphonies and Flute Concerto




Patrick Gallois(Fl, Cond)
Sinfonia Finlandia Jyväskylä
NAXOS/8.572550




「プレイエル」と言えば、ほとんど反射的に「ピアノ」という答えが返ってくるぐらい、その名前は歴史的なフランスのピアノ・メーカーとしてあまりにも有名です。あのショパンが愛用したピアノを作り、最近のことでは忘れられていた楽器、チェンバロを現代によみがえらせるために、ワンダ・ランドフスカの要請でピアノのフレームに弦を張ったいわゆる「モダン・チェンバロ」という、それまでの歴史の中では存在していなかった「新しい」楽器を開発したメーカーとして、間違いなくこれからも末永く語り伝えられていくはずの名前です。
ところが、その会社を設立したイニャス・プレイエルという人が、もともとは作曲家だったことを知っている人は、それほど多くはありません。このプレイエルさんはピアノ・メーカーを作る前には音楽出版社も経営していたという辣腕のビジネスマンでありながら、あのヨーゼフ・ハイドンに師事して多くの作品を残した、当時は「大作曲家」だったのですね。そういえば、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」のもとになったディヴェルティメント(Hob.II:46)も、実はハイドンの作品ではなく、このプレイエルさんが作ったものなのだそうですね。
オーストリアで生まれたプレイエルは、最初は「イグナツ・プライエル」と名乗っていましたが、ハイドンのもとでの修業が終わり、活動の場所をフランスに移すとともに、名前もフランス風に「イニャス・プレイエル」と発音するようになりました。このCDで演奏されている3曲のうち、2曲の交響曲は1780年代、彼がまだ「専業」の作曲家だった時代の作品ですが、フルート協奏曲は1797年と、すでに「メゾン・プレイエル」という名前の音楽出版社を作って、ビジネスマンとして精力的に働いていた時期のものなのだそうです。つまり、このころはまさに「2足のわらじ」を履いていたのですね。
まず、変ロ長調の交響曲を聴いてみましょうか。古典的な4楽章形式ですが、最初のアレグロの楽章が、よくある快活な感じではなく、3拍子のミディアム・テンポなのが、いかにもフランス風でしゃれています。ただ、それに続くアンダンティーノの楽章も、メヌエットの楽章も似通ったテンポなので、ちょっとメリハリがきかなく退屈に感じられてしまいます。おそらくそう感じてしまうのは、何事にも刺激を求めたい現代人としての感覚なのでしょう。曲が作られた当時のフランスでは、こんなユルさが多くのファンを呼んでいたに違いありません。
ですから、おそらく、そのあたりが、彼が「現代」では作曲家としてはほとんど忘れられている大きな原因なのでしょうね。ここには、時代を超えて訴えかけてくるようなものは、何も感じることはできません。あるいは、ガロワの指揮するシンフォニア・ユヴァスキュラがもっとこの曲の「楽しさ」を伝えるような「何か」を付け加えてくれればいいのでしょうが、彼らはひたすら愚直な作品を愚直に演奏するだけです。
もう一つのト長調の交響曲では、いくらかおもしろさが感じられるでしょうか。アンダンテ楽章が短調の変奏曲というのが、ちょっとした新鮮さを呼んでいます。ただ、これももう少し演奏でメリハリをつけてもらわないと、退屈に感じてしまうだけでしょう。
そして、ガロワの「吹き振り」で、ハ長調のフルート協奏曲です。ここでは、あのジャン・ピエール・ランパルが校訂した楽譜を使っているのだそうです。辛口じゃありませんよ(それは「ジンジャーエール」)。確かに、この協奏曲は、まさにランパル好みの名人芸満載、息もつかせず(実際、ほとんどブレスをとっていません)細かい音符を紡ぎだすのはとても爽快です。ランパルは、こんな時に、わざと早めに演奏して「どうだ、すごいだろう」と言っているように思えるような演奏をしたものですが、そんなところまでガロワが受け継いでいるのが、ちょっとかわいいですね。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
# by jurassic_oyaji | 2012-05-13 22:19 | フルート | Comments(0)
Kisses on the Bottom





Paul McCartney
HEAR MUSIC/HRM-33369-02




かなり昔のことで記憶が曖昧ですが、さる高名なクラシックの作曲家が、「ビートルズのような音楽は、20代の若者にしか作れない」というようなことを言っていました。ああいう音楽は年を取ったらやるものではない、というような意味が、その語感の中にあって、いかにもなロック蔑視だ、と、その時は思ったものです。
とは言っても、やはりその人が言うとおり、いい大人、というか、「初老」のジジイがいい年こいて大声を張り上げて「ロックンロールだぜ!」と盛り上がっているのがなんだかみっともなく見えてしまうのも、ひとつの真実ではないでしょうか。ロックに限らず賞味期間が存在する音楽というものは確かにあるようですね。かつてのアイドルが、還暦を迎えようというのに昔の持ち歌ばかりを歌っているというのは、間違いなく醜いものです。
そんな、かつては「ロッカー」であったポール・マッカートニーが、まさかと思われた「ジャズ」のアルバムを出したというのも、やはり年を重ねていった中での変化によるものなのでしょう。大げさな拒否反応を示す人もいたようですが、そんなに目くじらを立てずに、新しいポールを受け入れようではありませんか。なんたって、もうじき「古希」を迎えるのですからね。やりたいことをやらせてあげたらいいのではないでしょうか。
ここでのポールは「ボーカル」に専念しています。楽器は、すべて信頼のおけるジャズ・ミュージシャンに任せようという姿勢なのでしょう。もちろん、プロデュースやアレンジにも、クレジット上は一切関わっていないようですね。ただ、彼のクレジットが「Vocals」と、複数形になっているのが要注意です。
最初はリズム・セクションだけのバックで「I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself
A Letter
」です。イントロのウッド・ベースのピッキングや、ブラシを使ったドラムスなどは、まさに「小粋なジャズ」という趣、それと、口やかましいジャズ・フリークにも通用しそうなとびきりの録音に、まず耳が反応してしまいます。このアルバムの音源の24/96FLACファイルがオフィシャル・サイトからダウンロード出来るそうですが、そんな「ハイレゾ」にも対応できるソースであることも納得できます。CDで聴くとボーカルがいまいちドライなのが気になるのですが、せめてSACDでも出してほしかったものです。
ここでは、コーラスがとても気持ち良くハモっています。それが「Vocals」ということだったのですね。基本的にここでのポールの歌い方は力を抜いたハスキーなもの、そこに彼自身のファルセット気味のコーラスが入ると、なんとも上品なハーモニーが生まれます。
次の「Home(When Shadows Fall)」になると、今度はなんとも渋いストリングスが入ってきます。演奏しているのはロンドン交響楽団。ポールはアメリカで録音していますが、このストリングスはロンドンのアビーロード・スタジオでのセッションです。もちろんスタジオ1でしょうが、ポールがさんざん使ったスタジオ2と同じ建物というのも、なにかの因縁でしょうか。実は、このアルバムには、スタジオ・ミュージシャンによる別のストリングスが入ったものもあります。それはアメリカで録音されているのですが、ロンドン響と比べると、弦の響きの深みが全く違いますね。
スタンダード・ナンバーに混じって、ポールの新作も2曲披露されます。「My Valentine」は、まさにマッカートニー節満載のキャッチーな、それでいてオトナの音楽で、見事に「ジャズ」になっています。「Only Our Hearts」は、ちょっとボーカルの印象が乏しい気がしますが、それはゲストのスティービー・ワンダーのハーモニカが、あまりにも存在感があり過ぎたせいなのかもしれません。
それが最後だと思っていたら、そのあとでジャケットにはなんの表示もないボーナストラックが2曲も入っていました。ちょっと得した気分。全くシャウトしていないポールも、なかなかいいものです。

CD Artwork © MPL Communications Inc.
# by jurassic_oyaji | 2012-05-11 23:13 | ポップス | Comments(0)

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