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ハイレゾ配信系のいい加減さは目に余ります
 朝ドラは快調に高視聴率を維持しているようですね。毎週のランキングで1位にならなかったことなんてなかったのではないでしょうか。オリンピックなんかがあっても全く関係なく独走を続けていましたね。1回だけ、10分ちょっとでしたが全局同時に放送していたトーク番組があったので、あれには負けたかな、と思ったのですが、なぜかそれは視聴率はカウントされていなかったようですね。なぜなのでしょう。というか、あれはそもそも「番組」ではなかったのかもしれませんね。なんたって「玉音」ですから。
 視聴率が高いのはいいのですが、ドラマと現実との間にかなりの隔たりがあるのが気になります。でも、逆にこれはドキュメンタリーではないのですから、あまり「史実」にこだわるのもどうかな、という気はしますね。
 ですから、今週の朝ドラは、商品テストも始まって、これからいよいよ「暮らしの手帖」の最も輝いていた時期が描かれていくのでしょうが、その波に乗って行われた「クラシックレコード」の「テスト」に関しては、決して扱われることはないはずです。それがどんなものなのかは、こちらにまとめてみました。要は、あくまで「商品」としての「レコード」に優劣をつける、というやり方です。いろいろご意見はあるかもしれませんが、私自身はこの記事にいたく感銘し、今でも影響を受けていると思っています。やはり、CDやら、ダウンロードの音源は「商品」であることに変わりはないのですから、消費者の満足のいくものを作ることが絶対に必要です。もちろん、音楽それ自体は全く個人的な趣味に作用されるところが大きく、これを一つの基準で決めつけて優劣をつけるのは明らかに間違っています。そうではなくそれ以前のところで全く消費者のことを顧みていない「商品」があまりにも多すぎると、いつも感じています。編集ミスで音が途中でなくなっているようなものを平気で売り付け、そのことを指摘しても何の対応もなされない、というレコード会社はいくらでもありますからね。
 ちょっと微妙なところでは、単なる身内だけの間で聴かれる程度のお粗末な演奏なのに、普通の販売ルートに乗っている商品というのもありますね。かつては「レコードになっているのだから、一応の水準に達しているものだ」という認識があったはずなのに、そんな認識は完全に今ではなくなってしまいました。こういうものも、やはり縁もゆかりもない人にまで買ってもらおうという図太さには、しっかり釘をさす必要があるのでは、と思っています。実は、今日聴いた、合唱団もオーケストラも、そして指揮者も全く聞いたことのない人たちが演奏した「ロ短調」のCDなどは、一応オーケストラはまともなのですが、合唱が完全なアマチュアで、練習もしていないし、そもそも団員のレベルがかなり低いものですから、もう聞いていられないほどのひどさなんですよ。それが、普通のレーベルから、2枚組ですから4000円ぐらいで売られているのですね。まあ、そんなに有名なレーベルではありませんし、輸入盤ですから、買うのはかなりのマニアだけ、こんな演奏でも笑ってすまされるぐらいに寛容な人たちなのかもしれませんが、もし、今まで「ロ短調」を聴いたことがなくて、試しに聴いてみようとこのCDを買った人がいたとしたら、それは悲劇以外のなにものでもありません。だから、わたしはこういうCDを見つけた時には、「買ってはいけないCD」として、その劣悪さを知ってもらうためにネットにエッセイをアップすることにしています。
 そんなラディカルなことをやっていた人を演じているのが唐沢寿明だと聞いたときには、ちょっと違うのでは、と思ったのですが、とりあえずさまにはなっているようですね。ただ、あまりに頑固な面だけを強調しているあたりが、やはりドラマだな、という気にはなってしまいます。
 彼の妻を演じているのが奥貫薫だというのも、なんだか変な感じです。この二人は三谷幸喜の「ラヂオの時間」という映画で共演していましたよね。もう20年近く前に作られたものですが、この機会にもう1回見直してみようと録画してあったのを見てみたら、唐沢はあまり変わっていなかった(役の上でも)のに、奥貫は全くの別人になっていましたね。映画を見た時にはとても魅力的だったのですが、今ではすっかり輝きがなくなってしまって、「影の女」みたいな役回りが多くなっているのが、とても残念です。

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# by jurassic_oyaji | 2016-08-26 20:26 | 禁断 | Comments(0)
SIBELIUS/Symphonies Nos 3・6・7
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Osmo Vänskä/
Minnesota Orchestra
BIS/SACD-2006(hybrid SACD)




ヴァンスカによるシベリウスの交響曲ツィクルスは、かつて音楽監督を務めていたフィンランドのラハティ交響楽団とのものが、今でも好評を博しています。それは1995年から1997年にかけて録音されたもので、その新鮮な演奏とともに、「第5番」では通常の改訂版の他に改訂前の初稿の形での演奏が録音されていました。商業的なCDとしては、これが現在までで唯一の録音で、とても貴重なものです。最近、アマチュアのオーケストラであるアイノラ交響楽団が、指揮者の新田ユリ氏が特別に楽譜を手配してこの初稿版を演奏していますから、そのライブ録音などもぜひ聴いてみたいものですね。
ヴァンスカは2003年にはラハティを去り、ミネソタ管弦楽団のシェフとなりました。新たな任地での録音も今まで通りBISの元で行われ、ベートーヴェンの交響曲ツィクルスなどを完成させ、2011年からは新たにシベリウスのツィクルス作りに着手することになります。同じ指揮者が同じレーベルで別のオーケストラによって2度シベリウスの交響曲を全曲録音するというのは、今回のヴァンスカが初めてのことなのではないでしょうか。
しかし、今回の録音には、とんでもない障害が立ちふさがることになりました。2011年に「2番」と「5番」、2012年には「1番」と「4番」が録音され、そのまま順調に進むかに見えたものが、なんと労使交渉のもつれから、オーケストラ自体が存亡の危機を迎えるという事態になってしまったのです。その結果、ヴァンスカは2013年に音楽監督を辞任してしまいます。当然、残りの「3番」、「6番」、「7番」はまだ録音されていませんでしたから、この2度目のツィクルスはあわや空中分解、という状況だったのです。
しかし、奇跡的に労使間の和解が成立し、ヴァンスカは再度音楽監督に就任、2015年の5月と6月には晴れてこれらの交響曲の録音セッションがもたれることとなりました。
この3曲は、演奏時間を合わせると全部で82分ちょうどかかります。これは、SACDであれば何の問題もありませんが、CDと共用されているハイブリッド盤では、普通のCDの容量をはるかにオーバーしているのですが、なんせこのレーベルは過去にこんな、なんと82分26秒も入れてしまったCDを作っているのですから、これは軽いものでしょう。参考までに、旧録音でもこの3曲のトータルは82分1秒でした。ただ、曲ごとの時間の差はあって、「6番」は遅くなっていますが「3番」と「7番」は速くなっています。

(BIS/CD-862)

実は、最近「3番」を実際に演奏する機会があって、非常に親密な関係になれたので、この曲について新旧の録音の比較をしてみましょう。まず、新録音で大きく変わっているのが、オーケストラの配置です。弦楽器の並び方が、以前は普通の左側に高音楽器、右側に低音楽器というもので、チェロが前に出てきています。それが、今回は対向配置で、ファースト・ヴァイオリンは左、セカンド・ヴァイオリンは右に来て、チェロとコントラバスも左側になっています。これは、ベートーヴェンを録音していた時からこの配置でしたね。ですから、この曲の最初に低弦で出てくるテーマがちょっと左に寄った中央付近の奥から聴こえてくる、というのが、何か神秘的な感じがしていいですね。
ヴァンスカの演奏では、曲全体は旧録音より速くなっているのですが、実際に速くなっているのは第2楽章だけ、ここでははっきり曲のとらえ方が異なって感じられます。旧録音はまさにゆったりとした「子守歌」ですが、新録音ではもっと切実な、それこそ息子の死を悼む情感のようなものまで漂っているのではないでしょうか。
管楽器セクションのアンサンブルにも、違いが感じられます。ベートーヴェンを聴いたときにはこのオーケストラの木管は良く溶け合っているという印象があったのですが、今回シベリウスでフィンランドのオケと比べるとやはり個人芸が勝っているように聴こえます。

SACD Artwork © BIS Records AB
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# by jurassic_oyaji | 2016-08-25 21:43 | オーケストラ | Comments(0)
雨が降りそうなので・・・
 もうだいぶ前のことのような気がしますが、ちょっと興奮してしまうような「発見」があったもので、それをお伝えしておきましょう。ニューフィルでは毎年12月に角田市の合唱団の方々と一緒に「第9」を演奏させていただいています。毎回その前プロとしてオケ付きの合唱曲も加わります。それが、今年は今まで演奏したことのない曲をやる予定だ、と聞かされていたのですが、タイトルだけ分かってもそれがどういう曲なのかは全く分かりませんでした。そもそもオリジナルなのか、楽譜が発売されているものなのかも分かりません。でも、今頃はもうすでに合唱の練習は始まっている時期でしょうから、なにか情報があるのでは、とおもって、その団体のサイトを探してみたら、団員の方のブログがリンクされていて、そこにしっかり初練習の模様がレポートされていたではありませんか。どんぴしゃですね。
 さらに、そこにはその日に練習した曲の楽譜の写真までアップされていました。確かに「第9」と、「ふるさとの四季」という楽譜の表紙です。ちょっと小さくてよく分からなかったのですが、確かにそれは印刷されて出版されている楽譜のようでした。
 そこで、そのタイトルを元に検索してみたら、すぐにそれがカワイ楽譜から出版されているものだということが分かりました。表紙が全く同じだったんですよね。それはピアノ伴奏の楽譜でしたが、カワイのサイトでは、オーケストラ用のレンタル譜も用意されているということで、楽器の編成もしっかり書いてありましたよ。これだけで、情報としては十分です。フルートパートが何人か、というのは微妙な問題ですからね。
 さらに、編曲者の名前を頼りに検索してみたら、それを実際に演奏している映像が山ほど見つかりました。それは殆どピアノ伴奏のものでしたが、そこからリンクされて、なんとオケ伴奏の映像まで見つかってしまいましたよ。それを両方聴き比べてみると、オケ版はピアノ版よりイントロや間奏が長くなっているようですね。さらに「村祭」ではピッコロの長いソロまで入っていますよ。これはいったい誰が吹くことになるのでしょう。
 その映像は、カメラを3台使って適度にアングルを変えたカットに切り替えたりしている、かなり高度なものでした。これが、メインの中央からの画像です。
 ピアノまで入ってますね。これはさっきの編成に確かにありました。合唱専門の人がオーケストレーションを行うと、よくピアノが入ります。ただ、面白いことに、さっきの楽器編成にはなかった楽器がここには見られます。
 少し下手よりのカメラからの画像だと、それがよく分かります。バリトン・サックスと、ユーフォニアムでしょうか、あるいはチューバ?。金管にはあまり詳しくないので、よく分かりません。このオケにはどうやらオーボエとファゴットが足らないようで、おそらくファゴットのパートをバリトン・サックスで代用させているのでしょうか。そんな、いかにも「手作り感」満載の映像です。
 さらにもう1台のカメラで指揮者の顔もアップにされています。演奏はともかく、曲全体のイメージはとてもよく分かる映像ですから、何度も見ることはありませんが、一度ぐらいは見てみたらいいのではないでしょうか。ニューフィルのFacebookページからリンクされています。
 そういえば、今度の日曜日には千葉県でJAOのフェスティバルがあるんですね。入場ハガキだけは入手してあったのですが、なんせ会場がアクセスのとても不便なところなので、行くかどうかはギリギリまで待ってみました。でも、最寄りの駅からホールまでの道をストリートビューでシミュレーションしてみたら、どうやら地下道を通って線路を横切る場所があるようなので、行ってみることにしました。それでも「徒歩15分」ですって。でも、いくら遠くて不便でも、まともな音楽ホールがあるだけ、ましだとは思いませんか?宮城県でこのフェスが開催されないのは、そんなホールがないせいなんですから。
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# by jurassic_oyaji | 2016-08-24 20:56 | 禁断 | Comments(0)
British Music for Harpsichord
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Christopher D. Lewis(Cem)
NAXOS/8.573668




こちらこちらで、チェンバロという楽器についての様々な問題を投げかけてくれたクリストファー・D・ルイスの、NAXOSへの3枚目のアルバムです。1枚目では「ヒストリカル」、2枚目では「モダン」の楽器を演奏していたルイスですが、ここではなんとその2種類の楽器を同じアルバムの中で弾き分けています。おそらく、今までにそんなことをやった人はほとんどいないのではないでしょうか。ということは「ヒストリカル・チェンバロ」で演奏されていた曲に続いて、「モダン・チェンバロ」で演奏された曲が弾かれているのですから、その違いはどんな人にでもはっきり分かるということです。なにしろ、この楽器は非常にデリケートですから、会場の響きやマイクのセットの仕方で音が全く違って聴こえてしまいます。その点、このアルバムでは、おそらく全く同じ条件でその2種類の楽器を聴き比べることができるはずですからね。
ここで使われている楽器は、「ヒストリカル」は1638年に作られたリュッカースのフレミッシュ・モデルのコピー、「モダン」は1930年代に作られたプレイエルです。さらに「おまけ」として、1曲だけヴァージナル(1604年に作られたリュッカースのミュゼラー)で演奏されたトラックも加わっています。
まずは、レノックス・バークリーの2つの作品がモダン・チェンバロで演奏されます。彼がチェンバロのための曲を作るきっかけとなったのが、オクスフォード大学時代に同室だったヴェレ・ピルキントンというおせち料理のような名前(それは「クリキントン」)の友人でした。彼はアマチュアの音楽家で、みずからチェンバロを弾いていましたから、彼のために何曲かのチェンバロ曲を作ったのです。「ピルキンソン氏のトイ」というのは、バロック時代のチェンバロ曲のタイトルとして使われた「トイ」をそのままタイトルにした、いかにもバロッキーな舞曲、「ヴェレのために」は、もう少しモダンなフランス風のテイストを持った作品です。これらが作られたのは1930年ごろ、まさに伝説の楽器チェンバロが、モダン・チェンバロという形をとって復活したころですね。バークリーはこの楽器にいにしえの時代を感じながら、「モダン」な曲を作ったのでしょう。その楽器の音は、まさに「新しい」、言ってみれば「文明的」な音がしていました。
それに続いて、ヒストリカル・チェンバロによるハーバート・ハウエルズの「ハウエルのクラヴィコード」という曲が聴こえてきた時には、誰しもが「これが同じチェンバロか?」と思うはずです。その繊細な音の立ち上がり、鄙びた音色、まさにこれこそが昔からあったチェンバロそのものの響きです。ただ、ちょっと気になるのが、マイクアレンジ、あるいは録音レベルの設定、まるで楽器の中に頭を突っ込んで聴いているようなあまりに近接的な音場です。ですから、これでも明らかにモダン・チェンバロとは異なる音であることはしっかり分かりますが、もっと適切な録音方法であったならば、その違いはさらに決定的なものになっていたことでしょう。
この作品は、20年以上にも渡って書き溜められた20曲から成る曲集ですが、ここではその中から13曲が抜粋されて演奏されています。それぞれには、まるでエルガーの「エニグマ変奏曲」のように作曲者の友人などの名前が実名(エルガーの場合は匿名)でタイトルになっています。サーストン・ダートとか、ジュリアン・ブリームといった、我々にもなじみのある名前も登場するのには親しみが感じられますが、作風はとても生真面目でとっつきにくい面がありますね。全体のタイトルにあるように、この曲集は本来クラヴィコードのために作られたものです。ですから、その雰囲気をと、最後のトラックでは1曲目だけヴァージナルで演奏されています。しかし、これもやはりマイクが近すぎるために、この楽器の本当の味が分からなくなっているのが残念です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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# by jurassic_oyaji | 2016-08-23 23:14 | ピアノ | Comments(0)
シイタケは食べられません
 ニューフィルの恒例行事としては、春には「たけのこ、掘りたいかい?」がありますが(これは非公式行事)、夏の恒例行事は去年から始まった「あんさん、ぶりたいかい?」ではなく「アンサンブル大会」でしょう。きのうは、そのイベントの当日でした。スケジュールとしては朝のうちからリハーサルがあって午後1時半から本番が始まる、というものですが、ご存知のように私はリハがお昼すぎだったのでその頃までに行っていればいいということ、その前にまずマンションの防火訓練の「避難訓練」(外階段を使って駐車場まで避難)だけに参加して、出席を取った後、前もって別の所に置いてあった車に乗って会場に向かいます。そのタイミングで車を正規の駐車場から出そうとすると、そこは消防車が邪魔をしているので出られなくなってしまうことが分かっていましたから、朝早く隣のパチンコ屋に移動してあったのでした。
 旭ヶ丘についてもまだ時間があったので、いつもの広場で軽く練習です。いちおうモーツァルトを全曲通しておかないと不安ですからね。リハがおわったメンバーなどが何人か来てましたね。そして、上の交流ホールに行って、まずはフルートだけのアンサンブルのリハーサル。去年はこの段階でかなりヤバいところがあったのですが、今回はそんなことのないようにしっかり練習をしてきましたから、何の心配もありません。
 そして、別のグループを挟んで、モーツァルトのリハです。結果的に、D-durの全楽章をやることになっていたので、参加グループの中での最長の演奏時間になってしまいました。練習の時にはそんなに大変だとは思わなかったのですが、リハとはいえ周りに聴いている人がいるとなんだか余計なところに力が入って、すぐにばててしまいますし、なんてことのないところでミスをしたりして、こうなるとただの「ヘタな人」になってしまったな、という気がしてしまうほどの演奏になってしまっていました。恐ろしいですね。ここで、第2楽章には休むところが1ヵ所もないことに、ハタと気が付きました。今までそんなことはなかったのに、もう楽章の後半は全く初心者以下のアンブシャーになってしまいましたよ。
 それから、あわてて買っておいたパンをその場で食べて、本番に臨みます。出番は最後近くですが私は最初から写真を撮らなければいけませんからね。去年も思いましたが、みんな本当に素晴らしいですね。もちろん上手なんですが、それが高い次元で音楽になっているという感じが、間違いなく伝わってくるものばかりですよ。こうなると、私の演奏なんかがこんなところで披露できるものなのか、自信が全くなくなってきます。
 本番はモーツァルトの方が先、さっきのようなふがいのない演奏にはならないように、適度に緊張感をもって臨みます。それでも2楽章はちょっと怖いので、極力無駄な力は使わないように、伸ばすところは早めにブレスを取ってひたすら休むことだけを考えていました。まわりの人たちもちゃんとついてきてくれていますし、全体の演奏に破綻はないはずです。まるで本当のコンサートのように、楽章の間の拍手も起きず、とうとう最後まで一気に演奏してしまいました。
 そのあとは、フルートだけの「くるみ割り人形」。私のパートから始まる曲だったのに、2つ目で一瞬メガネがずれて楽譜が読めなくなり、別の音を出してしまうというハプニングがありましたが、まあまあ大事故もなくいったことでしょう。
 打ち上げは、久しぶりに料理がとてもおいしいところでした。最初の冷しゃぶが絶品、これだったら期待できるな、と思っていたら、ここの専門である焼き鳥が期待通りのおいしさ、さらに、厚揚げなどというサプライズまで。これは、定義山にはかないませんが、なかなかでした。演奏についても、お互いに相手を褒めあっているという和やかさ、とりあえず、聴いている人に何らかの印象は確実に与えられたことだけは分かって、ほっとしているところです。
 思いがけなく、モーツァルトの四重奏曲をきちんとやる機会が出来たので、私としてはベストを尽くしたつもりですが、やはり場数を踏まないことには解決できないところもあることを痛感です。たぶん、来年も、こんどはC-durあたりを演奏できそうですから、楽しみです。
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# by jurassic_oyaji | 2016-08-22 21:32 | 禁断 | Comments(0)