IE9ピン留め
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TAKANO/LigAlien


Nathan Nabb, 杉原真人(Sax)
池田昭子(Ob), Sharon Bezaly(Fl)
安田紀生子、木村まり(Vn)
Winston Choi(Pf),
南原和子(Hp), 丸田美紀(十七絃)
BIS/CD-1453




1960年生まれの作曲家、たかの舞俐さんの、BISレーベルからの2枚目のアルバムです。前作は彼女のポートレイトがジャケットを飾っていましたが、今回はブックレットの裏表紙に移っています。まるで別人のように見えるのは、髪型とメークのせいなのでしょう。
今回のアルバムタイトルは「LigAlien」という不思議な言葉です。彼女自身のライナーによれば、「Ligeti」と「Alien」を組み合わせた造語なのだとか、彼女の師である「リゲティ」の作曲技法の中に、自分の「エイリアン=外国人」としてのDNAをどのように組み入れていったらよいのか、といった、いわば彼女の根元的な問いかけを、作品に反映させたもの、というような感じでしょうか。ですから、発音は「リゲイリアン」となるのでしょうね。日本の代理店のインフォでは「リガリアン」となっていましたが、それはちょっとスルメが好きな甲殻類(ザリガニ)みたいで、馴染めません。
ただ、このアルバムに含まれる7つの作品の中で、最も長い、まるでメイン・プロのような扱いを受けている「フルート協奏曲」は、そのソリストのシャロン・ベザリーのSpellboundというアルバムのコンテンツとして、すでにリリースされていたものでした。せっかくのオリジナル・アルバムが、なんだかベスト・アルバムみたいになっていて、ちょっと嫌ですね。
師匠のリゲティは、彼女に自分の影響からは出来るだけ自由になって、彼女自身のスタイルを切り拓くように勧めていたのだそうです。それは、「今」の作曲家にとっては極めて重要なことなのではないのでしょうか。というより、彼らにとって、師の世代が築き上げてきた「現代音楽の伝統」などというものは、もはやなんの意味も持たないようになってしまっているはずです。先人が後生大事に伝えてきた「12音」やら「セリー」といった人工的な技法は、今となっては誰にも顧みられることのない「過去の遺物」と化しています。そんな中で、「クラシック音楽」を作って行くには、そんな先人の浅知恵など、なんの役にも立つはずはないのです。
今や、彼女はまさにそんな過去のしがらみからは「自由」になって、彼女自身の語法で音楽を発信し続けています。それは、決して小難しいものではない、おそらく多くの人に共感を与えられるような語り口です。思わず体が動き出してしまうような「ノリ」のよさ、それはもちろん「ジャズ」という概念と無関係ではないはずです。「クラシック」よりはもっぱら「ジャズ」での方が居心地が良い楽器、サクソフォンをフィーチャーした「LigAlien I」や「LigAlien IV」では、「ブギウギ」や「スウィング」といったジャズの語法が大活躍、堅苦しさとは無縁のインタープレイの魅力をふりまいています。
ピアノ・ソロのための「Jungibility」(これも、「Jungle」と「Ability」に由来する造語なのでしょう)などは、ほとんどフリー・ジャズの世界です。まるで山下洋輔の「グガン」でもを聴いているかのような爽快さにあふれた作品です。「ひじ打ち」のクラスターはでてきませんが。
アルバムの中で最も面白く聴けたのが、ヴァイオリンとエレクトロニクスのための「Full Moon」です。ソロ・ヴァイオリンを相手に、そのヴァイオリンの音源を加工した「電子音」などがからみます。もちろん、そこにはいにしえの「電子音楽」のような難解さは微塵もなく、リズミカルでカラフルな合成音の海を泳ぐ「生」ヴァイオリンの「かっこよさ」を存分に味わうことが出来ます。
そんな中で、「フルート協奏曲」を聴き直してみると、ベザリーのソロがたかのさんの世界とはちょっとズレているような気がしてしまいます。ベザリーの資質はかなり奔放なようでいて、それはあくまで「クラシック」の中にしか留まれていなかったことが、そんな違和感の原因なのかもしれません。

CD Artwork © BIS Records AB
# by jurassic_oyaji | 2012-01-31 23:15 | 現代音楽 | Comments(0)
LLOID WEBBER/The Phantom of the Opera at the Royal Albert Hall




Ramin Karimloo(Phantom)
Sierra Bogges(Christine)
Hadley Fraser(Raoul)
Anthony Inglis(Cond)
UNIVERSAL/GNXF-1418(BD)




1986年に初演されたアンドリュー・ロイド・ウェッバーのミュージカル「オペラ座の怪人」は、昨年25周年を迎えました。それを記念して201110月1日と2日に開催されたのが、この「25周年記念公演」です。ただし、それは単に今まで世界中の劇場で延々と続けられていた公演とは一線を画す、とてつもないスケールを持ったものでした。まず、会場には、普通のミュージカル用の劇場ではなく、ロイヤル・アルバート・ホールという、あのBBCの「プロムス」でおなじみの巨大なコンサートホールが使われています。スタッフは学生ばかり(それは「アルバイト・ホール」)。収容人員7000人という比類のないキャパ、もともとコンサートのためのステージしかなかったものを逆手にとって、ホール全体を使っての演出が取り入れられ、出演者も通常の3倍に増やされています。さらに、すでにオペラの世界では日常的に用いられるようになった「ライブ・ビューイング」の手法によって、リアルタイムにヨーロッパやアメリカの劇場や映画館でスクリーン上に公演の模様を再現していたのです。
もちろん、この映像素材は、日本の映画館でも昨年末から大都市での上映が始まり、今でも地方都市での上演が続いています。その素材がついにBD化、この画期的なステージの模様が「お茶の間」で楽しめるようになりました。なんでも、映画館で使われたデータはコマ数を変換する時のトラブルで、音声に欠陥があったそうですが、BDではそんなことはありませんから、もしかしたら映画館よりも「良い音」で楽しめるようになっているのかもしれません。
とは言っても、やはり映像はいくら大画面モニターであっても、映画館のスクリーンとはスケールが違うのでしょうね。最初の頃は、ホール全体のアングルでは細かいところが分からず、いったい、そこで何が行われているのか的確には把握できない状態が、しばらく続いてしまいました。しかし、次第にカメラワークに慣れてくれば、その仕組みは次第にはっきりとしてきて、そこに注がれているエネルギーがいかにハンパではないことを思い知ることになるのです。
まずは、オーケストラ。このホールにはオーケストラ・ピットはありませんから、ステージの後の一段高くなったところに配置されています。出演者は、ステージの前にあるモニターで、指揮者を見ることになります。総勢45人ほどの小ぶりの編成(弦のプルト数は4-2.5-2-2-1.5)ですが、劇場のピットでのしょぼいオケに比べたら、格段に深い響きです。弦楽器はいかにもしっとりと聴こえてきますし、なによりも「序曲」などではこのホールに備え付けのオルガンが加わるのですから、そのサウンドはまさに「本物」の重厚さを持つものでした。
そして、コンサートホールを劇場に変えてしまうマジックをかなえたのが、ロック・コンサートなどでおなじみのLEDスクリーンでした。クリスティーヌがファントムに連れられてやってくる地下の湖のシーンでは、劇場と同じように床から燭台がせり出してくるのを、このスクリーンによって体験することが出来ます。背景を瞬時に変えられるのですから、場面転換も極めてスムーズに運んでいました。
そんなお膳立ての上での、劇場と同じ繊細さを持った演技や歌は、感動的でした。キャストたちはすべてハイレベルの人たちばかり、中でもファントム役のカリムルーの声の多彩さには、圧倒されてしまいます。
一応「お祭り」ですので、アンコールでは25年前のオリジナル・キャストが登場して歌うというオマケがついていました。なんとも皮肉なことですが、彼(彼女)らの「芸」によって、この作品は25年をかけてまさに「オペラ」を超えるほどのとてつもないクオリティを築き上げていたことが実証されていたのです。ほんと、OCCDを聴き直してみると、マイケル・クロフォードのファントムなどはまるでシロートです。

BD Artwork © Universal Studios
# by jurassic_oyaji | 2012-01-29 22:20 | オペラ | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana

S. Saturová(Sop), B. Bruns(Ten), D. Köninger(Bar)
Martin Grubinger & The Percussive Planet Ensemble
Fernan & Ferzan Önder(Pfs)
Rolf Beck/
Schleswig-Holstein Festival Chor Lübeck
SONY/88697 99511 2




オルフの「カルミナ・ブラーナ」の2台ピアノと打楽器バージョンは、ほんの数ヶ月前に出たばかりでした。こんな珍品は一つあれば充分、なにも無理して新しいのを買うこともないな、と思うのが、庶民の感情でしょう。しかし、変わったバージョン好きとしては、とても見過ごすことは出来ません。たとえ無駄でもとりあえず手に入れる、それが好事家というものです。
ところが、聴いてみてびっくり、演奏は素晴らしいし、録音は良いし、こんなに手放しで嬉しくなってしまうCDなんて久しぶりでした。
このバージョン、今までに4種類ぐらいのものに接してきましたが、今回もそれらと同じ、オルフの弟子のキルマイヤーが編曲した楽譜が使われています。しかし、冒頭の「O Fortuna」が聴こえてきた瞬間、もしかしたら他の人がアレンジしたものなのではないか、という気になってしまいました。それほどまでに、同じ楽譜でも聴こえかたが違っていたのですよね。まず、ピアノの高音がとてもはっきりしているので、コードさえ違って感じられます。そして、なんといっても打楽器の存在感がハンパではありません。このあたりは楽譜を見ると他のものとなにも変わっていないのに、この、マルティン・グルービンガーをリーダーとする打楽器のチームは、その楽譜からとことん「熱い」インパクトを産み出しているのですね。それは、「クラシック」のオーケストラに取り込まれてお上品に収まっている「楽器」ではなく、それらの楽器が元々持っていたそれぞれの民族の「力」までをも一緒に抱え込んで発散させている、むき出しの「パーカッション」そのものだったのです。
さらに、彼らは必要とあらば楽譜には書かれていないことまでも実行しています。オリジナルでは2本のフルートが美しいオブリガートを奏でるソプラノ・ソロのナンバー「In trutina」では、最後にタムタムが入ってその余韻を楽しませてくれますし、最後の最後、「O Fortuna」のリプリーズのエンディングでは、グラン・カッサは楽譜のように頭に一発叩くのではなく、ティンパニと同じようにロールで打ち続け、とてつもないクレッシェンドをかけています(もちろん、1曲目ではそんなことはやっていません)。グラン・カッサ一つで作りだしたふつうのオーケストラ以上の高揚感。これには、文句なしに打ちのめされてしまいます。
ピアノ・パートのエンダー姉妹も負けず劣らずアグレッシブ、至るところでハッとさせられるようなフレーズに気づかせてくれます。かと思うと、とてもソフトな音色で(録音のせいもあるのでしょう)味わい深く迫ってくるのですから、たまりません。バリトン・ソロが甘くレシタティーヴォを歌う「Omnia sol temperat」では、歌い出しに続くアコードを、やはり意識的にアルペジオにしています。これが、まるで「シェエラザード」のヴァイオリン・ソロに寄り添うハープのように聴こえてきますよ。
そのバリトンのケニンガーは、まさに出色の出来、声はあくまで滑らかでまるでビロードのよう、これを聴いて心がとろとろにならないオナゴなどはいないのではないでしょうか。テノールのブルーンスも、良く響くテノール声域と、伸びのあるカウンター・テナー声域を使い分けて、ただ1曲の持ち歌を完璧に歌い上げています。ソプラノのシャトゥロヴァーは、ちょっと不安定な所はありますが、強靱な声は魅力的です。
合唱は、何も言うことはありません。今まで数多くの「カルミナ・ブラーナ」を聴いてきましたが、その中で間違いなく上位にランキングさせるものだと言うだけで、その素晴らしさは伝わることでしょう。久しぶりに巡り会えた全ての面で満足のいく「カルミナ」、ただ一つの不満は、大人たちに負けずにこの名演の一翼を担っている児童合唱団の名前がクレジットされていないことだけです。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
# by jurassic_oyaji | 2012-01-27 20:23 | 合唱 | Comments(0)
Duets II





Tony Bennett
COLUMBIA/88697 66253 2




巷で大評判のトニー・ベネットの最新アルバムを聴いてみました。去年85歳というとんでもない年になって作られたこのアルバムは、なんとBILLBOARDのアルバム・チャートで初登場1位を獲得したというのですから、すごいものです。芸歴の長いベネット自身にとっても、これが初めての「1位」だというのですから、感慨もひとしおでしょう。
実は、この5年前、2006年に彼が80歳になった時に、記念に作られたアルバムが「Duets/An American Classic」でした。タイトルの通り、彼がこれまでに歌ってきたスタンダード・ナンバーを、今をときめく人気アーティストと一緒に「デュエット」した、というもので、これもかなりの評判になったものです。せっかくだからと、こちらもついでに聴いてみたのですが、確かに素晴らしいアルバムでした。何より、ベネット本人の声がとても80歳とは思えないような力強いものでした。リズムやピッチには寸分の乱れもありませんし、高音で張った声も堂々たるものです。ですから、それにからむ歌手たちは、自分の個性を出す前に、まずこの声に圧倒されて、ほとんど「先生と生徒」みたいな歌い方になっているのですから、すごいです。ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンといったロック畑の人が、そんな感じでかしこまって歌っているのがおかしくて。かと思うと、スティービー・ワンダーなどとは、まさに「真剣勝負」といった緊張感あふれるやりとりが聴かれたりしますから、とことん中身の濃いアルバムでしたね。

それから5年、彼の歌は全く衰えてはいませんでした。いや、声の張りなどは、前作以上かもしれませんよ。さらに、サウンド的にも格段にパワーアップしたものが聴かれます。前作ではあまり使われていなかったビッグ・バンドのアレンジが、前面に押し出されているのですね。そんなキレのいいサウンドに乗って、まず登場したのがレディー・ガガです。うすうす気づいてはいたのですが、彼女は本当に歌が上手なんですね(いや、「歌手」なんだから歌がうまいのは当たり前なのかもしれませんが、なんせ○任谷由美が、歌が歌えなくても歌手になれることを証明してしまったものですから)。声が素晴らしいのはもちろんですが、ここではベネットと対等に渡り合えるほどのジャズ的なセンスも披露してくれています。年の差60歳の軽妙なデュエット、これは素敵です。
別の意味で素敵な味を出していたのが、こちらは80歳に手が届こうかというウィリー・ネルソンです。カントリーのフィールドでありながら、ベネットとはなんの違和感もなく溶け合っている彼のだみ声は、まさに「重ねた年輪」が感じられるものでした。おまけに、とことん渋いギター・ソロまで聴かせてもらえますよ。
ベネットは、どんな人が相手でも、常にリラックスしながら楽しんで歌っているようでした。豪華ですね(それは「デラックス」)。おそらく、あまりリハーサルなどは行わないで、その場の「ノリ」を重視したような作られ方なのでしょう。間に「今度は、君の番だよ」みたいなセリフまでが、極めて「音楽的」に入っているのですから、たまりませんね。
ただ、中には「なんでこんな人が」というのがいないわけではありません。その筆頭がアンドレア・ボチェッリ。まさに「水と油」を絵に描いたような唐突さには、笑ってしまいます。同じクラシック指向でも、ジョシュ・グローバンはなんなく馴染んでいるというのに。
前作のプロデューサー、大御所のフィル・ラモーンとともに、ここではベネットの息子、ディー・ベネットが、エンジニア兼任でプロデュースも行っています。彼の手によって、ほぼフルサイズのオーケストラによるストリングスのサウンドが、とても華麗で上品に仕上がっています。それは、前回のベルリン・フィルの弦楽器など比較にならないほどの美しさです。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
# by jurassic_oyaji | 2012-01-25 20:36 | ポップス | Comments(0)
Tchaikovsky/Symphonies Nos. 4,5 & 6




Herbert von Karajan/
Berlin Philharmonic Orchestra
EMI/TOGE-12050-52(hybrid SACD)




EMIジャパン(いずれはこの社名も変わっていくのでしょうね)が、日本国内だけに向けて制作している「名盤」のSACDは、最初のリリース分を聴いた時には本当に感激したものでした。さすがは、自社で保有しているおおもとのマスターテープまでさかのぼってマスタリングを行っただけのことはある、と思わせられるだけの、それはとてつもないクオリティを持っていたのですからね。
そして、次のリリースの予定に、このカラヤンのチャイコフスキーを見つけた時には、これはなんとしても聴いてみなければ、と思ったものです。カラヤンはこれらの曲をたびたび録音していましたが、これは1971年にDGではなくEMIに録音したものです。かつてFMでこのレコードの中の「悲愴」を聴いた時に、その圧倒的なドライブ感に圧倒された思いがあったのと、3曲中2曲でゴールウェイが録音に参加していることが分かっていたので、それをじっくり「マスターテープの音」で聴いてみたかったのですね。
ゴールウェイが乗っているのは4番と5番だというのは、幸せなことでした。それは、このチャイコフスキーの後期の3曲の交響曲では、4番がもっともフルートが活躍しているからです。それに比べたら、5番や6番は全然つまらないものです。いや、音楽的に、ということではなく、あくまでもフルートパートに限って、ということですが。
その4番では、まさにゴールウェイのフルートが堪能できました。彼が入ってくると、木管パート全体の輝きが、ワンランク上がるのが良く分かります。そして、ソロではカラヤンをも差し置いて、とても自由に吹いていることも。例えば、クラリネットが付点音符で奏でるメランコリックなテーマで始まる、第1楽章の第2主題、そのフレーズの最後のスケールの音型を模倣する時に、ゴールウェイはそれまでの流れを断ち切るように「早め」に入ってくるのですね。まるで、それまでのソロがあまりにもったりしているのにしびれを切らして、「もっと早く!」と言っているように思えてしまいます。
いや、考えてみれば、こういう風に合いの手を「早めに」入れる、というのは、カラヤンの常套手段だったはず、ですからここでは、ゴールウェイはカラヤンに向かって「あんたはいつもこうやっていたんじゃないのかい?」と言っていたのかもしれませんね。
しかし、肝心の音は、今まで聴いてきた他のSACDと比べたら全くの期待はずれでした。SACDらしい生々しさが、全く感じられないのですね。と言うか、マスターテープの段階で音がすっかり飽和してしまっていて、それはいくら他のメディアに移してもどうしようもない録音のように感じられてしまうのですよ。ちょっと見、とても華やかで輝かしい響きなのですが、ある程度の音圧を越えるとそれがとても醜く感じられてしまうのですね。そう、まさに「醜女の厚化粧」そのものの許し難い音だったのです(「酋長の厚化粧」なら許せますが)。こういう音は、FM放送などではとても強いインパクトをもたらすはず、もしかしたら、昔はそれに圧倒されていただけなのかもしれません。
これは、常々EMIでのカラヤンの録音を聴いた時に感じていたことでした。1970年代の前半に、カラヤンとベルリン・フィルは、それまでの「専属」だったDGだけではなく、EMIでも録音を始めます。その時のプロデューサーが悪名高いミシェル・グロッツです。グロッツとエレクトローラ(ドイツのEMI)のエンジニア、ヴォルフガング・ギューリッヒというチームは、この安っぽい音でカラヤンを大いに満足させるのです。カラヤンのお気に入りのグロッツは後にDGの録音でもディレクターに収まったため、彼の趣味で1980年代以降のカラヤンの録音は、全て薄っぺらな音になってしまいました。
グロッツはすでに2年前に他界しています。SACDによってよりはっきりした彼の「罪」は、もはや誰にも糾弾されることはありません。

SACD Artwork © EMI Music Japan Inc.
# by jurassic_oyaji | 2012-01-23 20:42 | オーケストラ | Comments(0)

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