おやぢの部屋2
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SHOSTAKOVICH/Symphony No.5
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-724SACD(hybrid SACD)


ホーネックとピッツバーグ交響楽団の最新SACDですが、録音されたのは2013年ですから、「最新録音」ではありません。もちろん、録音機材も、そして録音フォーマット(DSD256=11.2MHzDSD)も現在と全く変わっていませんから、SACDとしてのクオリティにはなんの問題もありません。この頃はホーネックとこのオーケストラとの相性もとても良好なものになっていたはずですから、ホーネックが自らの思いを存分にオーケストラから引き出している様を、最高の音で聴くことが出来ますよ。
このレーベルが作ったブックレットでうれしいのは、オーケストラのメンバーが全て掲載されていることです。もちろん、それは録音された当時のメンバーですから、もっと最近のものと比べるとそこに若干の違いがあったりするのが、とても生々しくて興味深いですね。今回は6月に録音されたショスタコーヴィッチの「交響曲第5番」と、10月に録音されたバーバーの「アダージョ」がカップリングされているのですが、それぞれに実際に演奏したメンバーが分かるようになっていますし、その時のエキストラまでしっかり記載されていますからね。ある意味、一つのオーケストラの資料として、とても貴重なものとなっているのではないでしょうか。
そこで、いつも気になっていることなのですが、アメリカのオーケストラの場合、メンバーの肩書の中に「Principal(首席奏者)」や「Associate Principal(副首席奏者)」といったものとは別に「~Chair」というのが加わっている人がいるんですね。実際にこちらでご覧になってください。管楽器では首席級の人だけのようですが、弦楽器だとトゥッティのかなり末席の人でもこの「Chair」を持っているようですね。
確信はないのですが、おそらくこれはある種の「ネーミング・ライツ」なのではないでしょうか。アメリカのオーケストラの主たる財源は個人や法人からの寄付ですから、こんな風に個々の団員(というか、個々の席次)にまでスポンサーが付くようなシステムが出来上がっているのでしょうか。なんせ、こんな風にインターネットや世界中で販売されているCDのブックレットに自分の名前がでかでかと載るのですから、たまらないでしょう。でも、中には謙虚な人もいて、別のオーケストラですが、自分は匿名で寄付をして、ヴィオラの首席を「パウル・ヒンデミット・チェア」と名付けるような粋な人もいるようですね。
もちろん、席次が下がれば寄付金もお安くなるのでしょうね。もしかしたら、パーティーなどの時には自分の「席」の人と家族みたいに親しくなれたりするのかもしれませんね。親席って。
このSACD、まず録音面で感心したのが、それぞれのパートがとても存在感を持っていることと、楽器の音のヌケが非常に良いことでした。特にホルンのパートがとてもくっきり聴こえてきたのには驚きました。あくまで個人的な感想ですが、このパートは、生で聴く時でも何本かが重なると常に音が濁って感じられるものでして、それが録音となるとさらに混濁が激しくなります。多分、ホールの中で微妙に倍音が干渉し合っているのでしょうね。それが、このアルバムではなんの障害もなくストレートにホルンの音が聴こえてくるのです。ホールの音響のせいか、マイクアレンジのせいかは分かりませんが、これは驚異的なことです。
そんなスッキリとしたサウンドによって、ホーネックのショスタコーヴィチは細かいところまで指揮者の意図が伝わってくるものでした。正直、それはこの作品に対してあまりに楽観的なように感じられるものですが、それはそれで楽しめるものです。こんな、陰の全くないショスタコーヴィチも、たまにはいいものです。
バーバーの「アダージョ」も、完璧に磨き上げられた弦楽器のサウンドは、パート全体が完全に「個」を離れた一つの発音体のように感じられるほどです。それはあたかも、北欧の優れた合唱団によって歌われた「Agnus Dei」のようにさえ聴こえてきます。

SACD Artwork © Reference Recordings

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# by jurassic_oyaji | 2017-10-19 20:27 | オーケストラ | Comments(0)
公式CD、BDも届きました
 日曜日のニューフィルの演奏会では、奇跡的に楽章間で録音ファイルが切り替わっていた、ということがありました。しかし、世の中、そんなに良いことが続くはずがありません。リハーサルの録音をモニターした時から気になっていたのですが、なんだか右と左のチャンネルが入れ替わっているような気がしたのですよね。これは、前回の名取での録音の時にも、ホールのスタッフがケーブルの接続を間違えていて同じようなトラブルがあったばかり。まさかそんな珍しいトラブルが別のホールで2回も続けて起こるはずはありませんから、これはちょっとした聞き違いだと思っておきました。
 しかし、次の日に編集しようとした時に聴き直しても、やはりこれは間違いなく左右が反対になっていると確認できました。そうなると、これを使って団員向けのCDを作るはずのHさんにも教えてあげなければ、と思っていたら、あちらから「左右逆に聴こえます」というメールが届きました。信じられないことですが、やはりホールのスタッフのミスだったんですね。もしかしたら、私のD-100に欠陥があるのでは、と、その他の録音を確かめてみましたが、そこでは何の異常もありませんでしたからね。
 でも、これは前にもやったように、簡単にチャンネルを「スワップ」できる機能が編集ソフトにありますから、いとも簡単に修正はできるんですけどね。そこから余計な部分をカットして曲ごとに分割したハイレゾファイルを、すでに公式サイトの掲示板からリンクしてありますから、一足先に聴いてみたい方はアクセスしてみてください。
 あとは、写真集の編集ですが、もう素材は全て手元に揃ったので、これも近いうちにはアップできることでしょう。すでに公式Facebookにはそのごく一部がアップされています。こういうのはまだですが(あえて、ピンボケにしてあります)。
 これで、厄介なエルガーにはもう関わる必要がなくなったので、次の演奏会へ向けての準備を進めましょう。まずはエルガーのパート譜を全部処分して、次の定期の「3スキー」に入れ替えます。ムソルグスキー、ストラヴィンスキー、チャイコフスキーの3人ですね。まだ団からパート譜は渡されていないのですが(いつもだともう渡ってます)、これは全部昔にやった曲ばかりなので、全パートの楽譜がストックされてましたから、それを引っ張り出してファイリングするだけです。なんせ、今度は「禿山」でピッコロで吹くことになったので、早めにさらっておかないと。
 さらに、もう一つ、ニューフィルの定期の前に、終わったはずの「杜の都合」をもう1回やってみようという話が、どうやら本格化したようなので、そちらの楽譜も準備を始めます。マーラーの9番ですって。ニューフィルでもやりましたが、その時は2番だったので、今度1番を吹けるのは楽しみです。そこで、ひょっとしたら、前曲でピッコロの出番があるかもしれませんから、それも余念なくさらっておかないと。最近やっとピッコロが馴染んできたような気がするので、これも楽しくてしょうがありません。
 ということで、もし演奏会が実現したら、という仮定のもとに、ダミーのチラシを作ってしまいました。あくまで「非公式」です。
 いや、実はその前に「第9」もありましたね。こちらでもピッコロを担当、作ったばっかりのダブルケースが大活躍です。
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# by jurassic_oyaji | 2017-10-18 21:43 | 禁断 | Comments(0)
EŠENVALDS/The Doors of Heaven
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Ethan Sperry/
Portland State Chamber Choir
NAXOS/8.579008


エリクス・エシェンヴァルズは、1977年にラトヴィアに生まれた作曲家です。ラトヴィアは、エストニア、リトアニアとともに「バルト三国」と呼ばれ、合唱が盛んな国として知られています。このエシェンヴァルズもおもに合唱のための作品をたくさん作っているまさに「売れっ子」の作曲家です。
手元には、2010年に録音されたレイトン指揮のポリフォニー盤(HYPERION)と、2015年に録音されたクリャーヴァ指揮のラトヴィア放送合唱団盤(ONDINE)がありました。それらを聴いて、この作曲家の作品には、かなり惹かれていました。もはや「アヴァン・ギャルド」と呼ばれるような音楽とは無縁になっている世代ですから、技法的にはとてもオーソドックスなものなのですが、ハーモニーの表現ツールとしてかなり細分化された音の塊を扱う、まるでリゲティのようなところがあるのが魅力的でした。
ただ、それを歌う合唱団はかなりのポテンシャルを要求されるのではないか、という気はしました。この2枚のCDで歌っている団体は、どちらも非常に高水準のテクニックと音楽性を備えていましたから、そんなエシェンヴァルズの音楽を、それぞれに方向性は異なるものの、しっかりと聴く者に使えることに成功していました。と同時に、これはアマチュアが手を出したりするのはかなり危険なのではないか、という印象も強く持ちました。
今回、2016年に録音されたNAXOS盤では、アメリカのポートランド州立室内合唱団という合唱団が歌っています。フーゾクではありません(それは「ソープランド」)。設立されたのは1975年、ポートランド州立大学の優秀な学生だけをピックアップして、このような名前のハイレベルな合唱団が結成されたのです。それ以来、ロバート・ショーやエリック・エリクソンなどの大指揮者との共演もあり、この合唱団のレベルには一層の磨きがかけられ、多くのコンクールに入賞したり、世界的なツアーを敢行したりするほどになりました。ポートランドで生まれた合唱作曲家、ローリゼンにも絶賛されています。レコーディングも数多く行っており、その中にはあのトルミス直々に指名されて録音したものも有るのだそうです。凄いですね。
とは言っても、基本的にアマチュアの合唱団ですから、エシェンヴァルズでは、果たしてこれまでの合唱団と対等に渡り合えるほどの演奏を聴くことはできるのでしょうか。なんせ、このアルバムでは収録されている4曲中の3曲までが、すでにさっきの2枚のCDに収められているのですから、ハードルはかなり高くなります。
それ以前に、この「The Doors of Heaven」というアルバム・タイトルに、ちょっと引っかかります。これは、ここで演奏されている作品のタイトルではないんですね。調べてみると、「Rivers of Light」という曲の歌詞の一部だと分かりました。「冬の夜には空一面が光の川であふれ、天国への扉が開く」とオーロラに彩られた北欧の夜空が歌われています。そんな美しい光景をイメージしたタイトルだったのでしょう。たしかに、そんなカラフルなイメージは、この中のどの曲からも受け取ることはできます。
ただ、それだけには終わらない、もっと強靭なメッセージが彼の音楽には込められています。それは、このアルバム・タイトルの元では決して伝わって来ることはありません。
そんな風に思ってしまったのは、この学生合唱団のレベルが、明らかにこれまでのCDの団体よりも数段劣っていたからです。どちらにも入っていた「A Drop in the Ocean」では、後半になるとぼろぼろになっているのがはっきり分かりますからね。ここで初めて聴くことが出来た先ほどの「Rivers of Light」も、前の2つの団体だったらもっと精緻なハーモニーが味わえるのに、と思ってしまいます。テナーに、とても目立つ悪声の人がいるんですよね。プロだったらありえないことです。
その程度のものでも構わないのでは、と思ってこのようなタイトルを付けたのであれば、それは作曲家に対する冒涜以外の何物でもありません。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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# by jurassic_oyaji | 2017-10-17 20:59 | 合唱 | Comments(0)
コンサートは2時間半
 エルガーの作品ばっかりを演奏するというニューフィルの定期演奏会が終わりました。まさか自分の手でエルガーを演奏するなんて思ってもみませんでしたが、確かにとても美しい曲であることが分かりました。しかし、なんとも演奏者としては戸惑いも感じられるような作品ではありました。なにしろ、本番の日になっても、まだ落とし穴がいっぱい残っているのですからね。いや、音は全然難しくないのに、なぜか突然自分の居場所が分からなくなってしまう、という、とても恐ろしい曲だということが、練習を重ねるにつれて分かってくるのですから、嫌になります。これを完全に克服するためには、もうあと何回かの納得のいく指揮者練習が欲しかったと思っています。なにしろ橘さんは忙しい方ですから、普通に6時間の練習を2日連続、ということがほとんどできなかったので、お互い何か踏み込んでいけないところが残ってしまったのでしょうね。もちろん、それをカバーできるほどの自主練習が出来れば問題はないのでしょうがね。
 今日の本番は、9時50分からゲネプロが始まるという予定なので、もう9時過ぎには次々と萩ホールにメンバーが集まってきましたが、会場は9時半にならないと使えないというので、しばらく外で待機です。結局9時20分には開けてもらえたので、さっそく音出しをしたかったのですが、まず私は録音の準備をしなければいけません。いつものようにD-100を持ち込んで、吊りマイクから録音させてもらうんですよね。ハイレゾで。
 ところが、ホールのスタッフにそのことをお願いすると、何も聞いていないというのですね。どうやら、団長の連絡ミスのようでした。その場ですぐケーブルを手配して接続してくれたのですが、レコーダーでモニターしても信号が来ていません。スタッフがあちこちいじって、やっとつながるようになりましたよ。そんなところで時間を食ってしまったので、そのままステージに荷物を持っていったままスタンバイ、ギリギリ練習開始に間に合いました。
 後半は降り番だったので、そのリハーサルの録音をモニターしながら、席取りです。このホールには、県民会館のようなまとまってお弁当を食べられる場所がないので(以前はあったのに、そこは今はカフェになってしまいました)、きのうから目を付けていた格好の場所を押さえておこうと思ったんですね。そこは誰でも座れる場所のようで、それこそニューフィルを聴きに早めにやってきたお客さんなんかも座っていたりしますが、なんとか4人分は獲得できたので、そこに陣取って録音を聴いたり、ちょっと外に行って写真を撮ったりしていました。
 やがてリハーサルも終わり、フルートパートはしっかりそこでお弁当を食べられましたが、他のパートの人たちはなんだか食べるところを探してウロウロしていたようでしたね。見事に私の予想が当たったようです。今頃探しても、もう遅いんですよ。
 お弁当を食べ終わる頃には、もう会場の前には列が出来ていました。開場間際に見に行ったら、
 長蛇の列でしたね。
 そろそろ開演の準備をしなければいけないので、レコーダーを元に戻してセットしてみると、電池が少なくなっています。そういえば、モニターの時には別の少なくなっていた電池に替えてあったのでした。ですから、元の電池に戻せばいいのですが、なぜか同じ種類のものがもう1セットありました。それに変えたら、相変わらず電池はなくなる手前、もう一つのでやっと満タンになってました。こんなことをやっていたので、あわてて着替えをしたらもう開演時間になっていましたよ。
 レコーダーの方は、まだ問題がありました。前半は大丈夫なのですが、後半は確実に1時間を超えてしまうので、ハイレゾで録音しているとファイルが途中で切れてしまうんですよ。音自体は途切れないのですが、そこをつなぐには、前のファイルを一旦分割して小さくしてから連結しないといけないんですよね。それが面倒で。
 ステージに出てみると、ホールの中は、1階席とバルコニーはほぼ満席でしたね。2階席はパラパラだったので、ちょっと1000人は無理かな、と思いましたが、結果は813人、前回ここで橘さんが「オケコン」をやった時は705人でしたから、これは「快挙」と呼べるのではないでしょうか。
 そして、奇跡は起こりました。出来上がった後半のファイルは、確かに2つになっていました。88分ほどかかったので、1時間のところで分割されていたんですね。しかし、その分割点は正確に第3楽章と第4楽章の間でした。つまり、何も手を加えなくても、理想的な場所で区切られていたのですよ。これは、最初に行った橘さんのトークが、絶妙の長さだったから。長すぎても短すぎても、このポイントで区切ることはできなかったのです。つまり、ホールで用意していたCDレコーダーでは、80分以上は録音できないので、これはまさにバックアップとしても役に立っていたのでした。その場で、そのままHさんに持って行ってもらいましたよ。
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# by jurassic_oyaji | 2017-10-15 23:49 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Magnificat in E flat
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John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
SDG/SDG728


最近、以前に録音していたバッハの大作を次々に録音し直しているガーディナーですが、今回はちょっと小さめの曲、「マニフィカート」です。ご存知のように、この曲にも受難曲同様、改訂された楽譜が存在しています。現在最も頻繁に演奏されるのは、その改訂稿のほう、というか、ただ「マニフィカート」と言った場合は、間違いなくそちらのことを指し示します。それに対して、改訂前のものには「第1稿」、もしくは「変ホ長調版」という但し書きが必要になります。そう、この曲は改訂の時に調性(キー)まで変えられてしまったのですね。改訂稿は半音低いニ長調になっているのです。
別に半音ぐらい違ったってそんなに違いはないのでは、と思われるかもしれませんが、それは平均律にどっぷりつかってしまった現代だから言えることです。早い話が、この曲が作られたバロック時代の横笛のフルートはニ長調で吹く時に最もよい響きがするように出来ていました。この頃のフルートは穴の数が少ないので、そのニ長調で吹く時には単に穴を1個ずつ開けていけば自然に音階が出来るのですが、半音高い変ホ長調になると、空いた穴の隣の穴をふさぐといった特殊な指使いをしないと、音階が吹けません。それは指使いが難しいだけではなく、音色そのものも濁ってしまいます。
ということで、変ホ長調の第1稿には、フルートは使われてはいませんでした。1曲だけ、「フラウト・ドルチェ」という名前の「フルート(フラウトはイタリア語でフルートのこと)」が2本使われているのですが、これは縦笛のフルート、つまり「リコーダー」で、オーボエ奏者が持ち替えで演奏していました。
さらに、これはバッハがライプツィヒに赴任した年、1723年のクリスマスのために作られたので、本来の「マニフィカート」のテキストの他に、4曲のクリスマスの聖歌が挿入されていました。しかし、その後、1730年代に、クリスマス以外の用途にも使えるようにその聖歌を「排除」して改訂を行ったのが、ニ長調の改訂稿です。第1稿は、現在の楽譜では、このようにその聖歌はきちんと場所が決められて印刷されていますが、バッハの自筆稿ではそれらは最後にまとめて書かれてあり、どこに挿入するかという指示が付け加えられていました。そういうことですから、これらを外すことも最初から想定していたのでしょうね。
ガーディナーがこの曲をPHILIPSに録音したのは、1983年でした。その時には「普通の」改訂版を演奏していましたが、今回、2016年のクリスマス近くに、おそらく教会で行われたコンサートと前後して録音されたものは、「第1稿」によるものでした。ですから、当然聖歌が歌われています。ただ、フルートは他の曲では使われるので、この曲でのリコーダーはオーボエ奏者ではなくフルート奏者が演奏しています。
新旧の録音には30年以上の隔たりがありますから、合唱もオーケストラもほぼ全員が他の人に入れ替わっているはずです。ですから、最近聴いた「ヨハネ」「ロ短調」「マタイ」、と同様、かなりの点で変化は見られます。最も強く感じたのが、今回の合唱のおおらかさ、でしょうか。旧録音では、合唱はとても厳しい姿勢で音楽に立ち向かっていたという印象がありました。メリスマなどはそれこそ正確無比の完璧さを聴かせていましたが、そのあまりの潔癖さには、ちょっと息が詰まるほどの圧迫感がありました。しかし、今回は見事に肩の力が抜けた、聴いていて気持ちの良いものに変わっていましたね。
オーケストラも、最後の「Gloria Patri」のトゥッティで楽譜上は付点音符のところを、以前は当然この時代の習慣に従って厳格に複付点音符できっちり合わせていたものが、今回はかなりユルめのリズムに変わっています。
そして、彼らの演奏で初めて聴いた聖歌が、やはりとても気持ちの良いものでした。特に3曲目の「Gloria in exelsis Deo」の軽やかさは、今まで聴いてきたどの演奏にも見られないものでした。

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# by jurassic_oyaji | 2017-10-14 23:01 | 合唱 | Comments(0)