おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
BACH/Cembalo Concertos
c0039487_1936338.jpg


Francesco Cera(Cem)
Diego Fasolis/
I Barocchisti
ARTS/47729-8(hybrid SACD)



エゴン・シーレの「抱擁」というアブない絵が使われたジャケット、バッハのチェンバロ協奏曲からはまるでかけ離れたそんなエロティックなイメージは、BWV1056の第2楽章「ラルゴ」が映画のサウンドトラックに使われているという理由によるものなのでしょうか。でも、「恋するガリア」にしても、「ハンナとその姉妹」にしても、そんなにエロい映画ではなかったような気がしますがね。そういえば、この曲はスィングル・シンガーズがカバーしたことによっても有名になっていますが、そもそもバッハのチェンバロ協奏曲というものはすべて彼自身によるセルフカバーなのですよね。
ここでのアンサンブル、スイスのイタリア語地区、ルガーノを本拠地に活躍している「イ・バロッキスティ」と、その指揮者ディエゴ・ファソリスは、以前パイジエッロの珍しい作品のCDをご紹介したことがありました。実は、ファソリスだけだとサン・サーンスのレクイエム、などというのもありましたね。そんな、主に声楽作品が得意分野の人だと思っていたら、こんなインストものにもしっかり挑戦していたのですね。確かに、真ん中のゆっくりした楽章などはソリストが思い切り歌えるようなサポートも見られて、なかなか味のあるアルバムでした。その、映画にも使われた「ラルゴ」では、ソリストがハメを外すほどに歌いまくっているのが強烈な印象を与えてくれます。
ただ、ライナーのデーターを見てみると、ここで演奏されている4曲の協奏曲のうち、2008年に録音されたのはBWV1053の1曲だけで、あとの3曲(1052,1054,1056)は2005年に録音されていることが分かります。その間にはアンサンブルのメンバーが大幅に替わっていますし、ソリストのチェラが弾いているチェンバロも別の楽器になっていますから、そんな変化も楽しむのも、また格別です。
オリジナル楽器の業界に於いては、3年と言えば決して短い期間ではありません。特に最近は次々と新しいスタイルを持った演奏家が登場、それぞれの主張を華々しく繰り広げていますから、「流行」は時々刻々変わっているという認識が必要です。そこで、同じ演奏家が「たった」3年前に録音したものを「今」と比べるだけで、聴くものにははっきりとその違いが分かってしまうことになります。これは、かなり衝撃的な事実でした。その一番の違いは、「今」の方が格段に伸びやかなものになっている、という点です。「昔」のものは、いかにも肩に力が入って、無理矢理不自然な表現を作り上げているな、というのがありありと伝わってくるのです。確かに、この業界でそのような不自然なものこそがなによりも尊ばれていた時代はありました。このオリジナル楽器のムーブメントの初期の推進者たちは、もっぱらそれだけで自己の価値を強引に認めさせ、聴衆もそれに迎合していたのですね。
しかし、もはやそんな「流行」は過去のものとなりました。ファソリスたちが、その事に気づいたかどうかは分かりませんが、感覚的により美しいものを求めようとするのはイタリア系の人たちの性でしょうから、巧まずしてこのような結果となって現れたのでしょう(コンサートマスターがヴァイオリンではなく「スパラ」を演奏しているのも「流行」?)。
その、BWV1053では、使われているチェンバロも「昔」のものよりさらに澄みきった音が響き渡るものでした。第2楽章の「シチリアーノ」でそのバックを務める弱音器を付けたヴァイオリンは、まさにオリジナル楽器にあるまじき官能的な音色さえも味わわせてくれるものです。そこでは、まるで彼らが今まで我慢してきた禁断の響きを存分に放つことを許された喜びを感じているようには聞こえては来ないでしょうか。
エゴン・シーレのジャケットは、そんな官能性を現しているものだ、というのは、あまりにうがった見方でしょうか。そんなことを言ってはいかんのう
[PR]
by jurassic_oyaji | 2008-11-02 19:48 | 室内楽 | Comments(0)