おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem
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Ruzanna Lisitsian(Sop), Karina Lisitsian(MS)
Ruben Lisitsian(Ten), Pavel Lisitsian(Bas)
Arvid Jansons/
The Lithuanian State Choir
The Lithuanian RTV Symphony Orchestra
VENEZIA/CDVE 04335



ヤンソンスと言えば、今では息子のマリスの方が有名ですが、1984年に亡くなったその父親のアルヴィドもかつては名声を誇ったものでした。いえ、別に親子の優劣などに、なんの意味もありません(ナンセンス)。そのアルヴィド・ヤンソンスが1976年に残したモーツァルトのレクイエムの放送音源などというものがリリースされました。彼はラトヴィア出身ですが、ここではリトアニアの団体を指揮しています。もちろん、これは初めて世に出たものなのでしょう。当然のことながら、ジュスマイヤー版が使われています。
まず、キリル文字だらけのライナーにたじろいでしまいますが、なにしろまだ「ソ連」時代の録音なのですから、いったいどんな音なのか想像も付きません。しかし、こわごわ聴き始めた割にはそれほどヘンなものではなかったので、まずは一安心。演奏会のライブではなく、放送局のスタジオあたりで録音されたものなのでしょうが、適度な残響があって、合唱もオーケストラも柔らかい響きに包まれています。もちろんステレオで、合唱のパートやソリストの定位などもはっきり分かります。ただ、フォルテシモでは合唱の音が濁ってしまうのは、まあ仕方のないことなのでしょうね。しかし、なぜかバスのソロだけに異様に深い人工的なエコーがかかっているのが気になります。
そのソリスト、4人とも同じラストネームなのも気になりますね。兄弟か、親戚なのでしょうか。あるいは、「リシツィアン」というのは、「松本」や「吉田」などのように、リトアニアではありふれた名前なのでしょうか。肉親にしてはあまりに声の質や歌い方が異なっていますし。ソプラノは伸びやかで素直な声なのですが、アルトは変なビブラートがあってちょっと異質、テノールとバスはまさに「スラブ」風の、あたり構わないおおらかさですから、ソロはともかくアンサンブルになるとかなり悲惨です。
とは言っても、全体の演奏は、予想以上になかなかの高レベルのものでした。特に、合唱がひと味違う渋い魅力を持っていました。考えてみたら、リトアニアと言えば同じバルト三国のエストニアやラトヴィアと並んで、素晴らしい合唱の伝統を持つ国です。この「国立合唱団」も、そんな例に漏れず、独特の深い響きを持ったものでした。ソプラノの暗めの音色には特に惹かれるものがあります。歌い方も、決して大声で爆発するようなことはなく、底の方からじわじわと深いものが迫ってくる、といった、じっくりと訴えかける姿勢が浸透しているようです。
これは、もちろん指揮者のヤンソンスの姿勢との相乗効果なのでしょう。ここで聴くことの出来る彼のスタイルは、あくまで深い内面をえぐり出そうとするもの、その結果、その中には、誰しもがまさに圧倒されるような力を感じないわけにはいかないはずです。基本的に遅めのテンポで終始しているものが、「Rex tremendae」が一般的なもののほぼ倍の遅さで演奏されるあたりから、その尋常でないアプローチは明らかになります。殆ど冗談に近いこのテンポが、合唱のねばり強い声によって必然性を持つのを見るのは、感動的ですらあります。その流れで、やはりスローモーションとなった「Confutatis」と、それに続く「Lacrimosa」は、まさにこの演奏の目指すものが端的に表れた頂点を形作っています。
その「Lacrimosa」、前半の上向音型のクライマックスからは、もしかしたら涙を誘うほどのパッションが感じられるかもしれません。しかし、その後に続くジュスマイヤーの補作を聴くとき、それは到底このテンポには耐えられないものであることも、また感じられてしまうのではないでしょうか。それは、モーツァルトと同時代の作曲家の拙さよりは、モーツァルトに対する過大な思い入れの愚かさこそを、証明しているもののように思えます。
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by jurassic_oyaji | 2008-11-20 20:01 | 合唱 | Comments(2)
Commented by Bunchou at 2008-11-29 15:06 x
失礼ながら、最期の一文が蛇足だと思いました。
というか、それまでの流れと繋がっていないような気がします。
モーツァルトに対する思い入れ度合いの強さがどうかというより、
彼のウィーンでの作品が、当時としてはやはり過剰品質だったということではないでしょうか。
倍近い遅さでも聴けてしまうというのは、そういうことではないかと。

サンクトゥス以下のジュスマイヤーの補作はやっぱり拙いんだと思います。
当時の彼はまだ作曲家としては見習い期間中だったそうですから、
仕方ないのかもしれませんが。
Commented by jurassic_oyaji at 2008-11-29 23:43
Bunchouさん、ご指摘ありがとうございます。
我ながらひねくれた文章で、確かにストレートではないだけ誤読を誘うものでしたね。基本的にこの演奏を褒めてはいないのだ、というのが、ヒントになるのではないでしょうか。