おやぢの部屋2
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C.P.E.BACH/Magnificat
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Monika Mauch(Sop), Matthias Rexroth(Alt)
Hans Jörg Mammel(Ten), Gotthold Schwarz(Bas)
Fritz Näf/
Basler Madrigalisten
L'arpa festante
CARUS/83.412(hybrid SACD)



大バッハの次男、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハの作品の新録音です。なんでも、この前の大戦の時にドイツからソ連(当時)に没収されてしまい、長いこと行方不明だった彼の作品の大量の楽譜が、ごく最近キエフで発見されたそうで、それらがどんどん演奏されたり、録音されたりしています。まるで宝の山のように、今まで知られていなかった音楽たちが実際に音になるのですから、これはなかなか興奮しますね。そういえば、父親の大バッハも長いこと忘れられていたものが、ある日突然日の目を見た、という体験を持っていますから、親子してなんか因果な運命に翻弄されているようですね。ただ、父親の場合は、作品と同時にその当時の演奏習慣なども完璧に忘れ去られてしまっていた「時代」に突如「出現」してしまったものですから、ちょっとかわいそうな目には遭ってしまいます。彼が生きていた時代には全く考えられなかったような様式で演奏されるということが、長い年月にわたって続くことになるのですからね。「音楽の父」などと祭り上げられて、およそ彼にはふさわしくないような重々しい演奏がありがたがられるという「時代」は、実はごく最近まで続いていたのです。いや、もしかしたらそれは未だに脈々と生きながらえているのかもしれません。
その点、息子のエマニュエルははるかに幸せでした。こんな彼の失われていた楽譜が「発見」されたのが、楽器や演奏様式を、それが作られた時代に可能な限り近づけるという努力が、豊かに結実したこの時代だったのですからね。「世界初録音」された時点で、それがもっともふさわしいと思われているスタイルで演奏されていた、というのは、聴衆にとっても、作曲家にとってもこれ以上の幸せなことはありません(余談ですが、そういう意味ではモーツァルトあたりが最も「不幸」な作曲家なのではないでしょうか)。
そんなわけで、この「マニフィカート」が、名手揃いのオリジナル楽器のオーケストラと、よく訓練された合唱団、そして、時代的な意味を歌に反映させるすべを心得たソリストたちによって演奏されたものを、なおかつSACDという高い解像度を持つ媒体を通して初めて耳にした時には、この曲はなんと幸せな生い立ちを持ってこの世に生まれてきたのだろうという感慨にふけってしまいました。しばらくの間、この溌剌とした演奏は、耳の奥に残っていることでしょう。
お父さんにも同じタイトルの曲がありますが、息子のものはそれとはまさに一線を画した、新しい時代の息吹を感じさせるものでした。2曲目のソプラノのアリアなどは、途中にカデンツァなども挿入されていて、まさにオペラのアリアのような自由さを持っています。続くテノールのアリアも、技巧の丈を尽くしたコロラトゥーラが、華美に迫ります。そして、「これを聴けばエマニュエル」という独特のハーモニーと節回しにも、なにか安心した気持ちにさせられます。7曲目のアルト(ここでは男声アルト)の美しいメロディの裏で寄り添っているトラヴェルソの柔らかい音色は、何にも代え難いものです。
それと同時に、曲の端はしに何となく父親のモチーフの断片のようなものが感じられるのも、親子の血のなせる業なのでしょうか。それが端的に表れているのが、6曲目の「Deposuit potentes」というアルトとテノールのデュエットです。同じタイトルのテノールによる父親のアリアとは、まるで生き写し、思わずのけぞってしまうことでしょう。その前の「Fecit potentiam」も、どことは言えないものの、よく似た雰囲気を持っています。
最後の曲に大規模なフーガを持ってきたというあたりにも、父親の背中を見て育ったことを感じてしまいます。しかし、そのフーガは父親のものが持つ厳格さとはちょっと異なる、生身の人間の息吹きのようなものを持っていました(いえ、「風雅」とまでは行きませんが)。
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by jurassic_oyaji | 2008-12-16 23:19 | 合唱 | Comments(0)