おやぢの部屋2
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KABALEVSKY/Symphonies 1-4
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大植英次/
NDR Chor
The Choir of Hungarian Radio
NDR Radiophilharmonie
CPO/999 833-2



ドミトリー・カバレフスキーは、同じ「ドミトリー」というファーストネームを持つショスタコーヴィチの生年の2年前、1904年の生まれですから、この2人はほとんど同じ時代を生きた作曲家と言えるのでしょう。同じように潔癖性で(「ゴミトリー」、ね)、同じように体制の中で生き延びるべく作風を模索していても、カバレフスキーの作品にはあちらのような「毒」が込められることはなく、平易な外観を装うことがほとんど地の姿であったようにすら感じられます。
カバレフスキーといえば、まず真っ先に思い出すのは「道化師のギャロップ」ではないでしょうか。そんな曲は知らない、という人でも、実際には必ず生涯に何度かは聴いたことがあるはず、タイトルは忘れられてもその音楽だけは日本人のほとんどの人が知っている、という幸せな曲です。そう、それは、運動会では必ず徒競走などのバックに流れる、あの軽やかな音楽なのですよ。これを聴けば誰でも思わず走り出したくなってしまうという、ほとんど条件反射まで付いてきますね。最近ではそんなシチュエーションで「ライディーン」なども使われているそうですが、YMOと同次元で語られるカバレフスキー、なんだかシュールですね。
そんな「ギャロップ」以外には、おそらくピアノの教材程度しかその作品は知られてはいないでしょうね。しかし、彼には交響曲が4曲残されています。もちろん初めて耳にしたものですが、「ギャロップ」のイメージを裏切らない親しみやすい響きのせいでしょうか、それを収めた2枚のCDはいともすんなり聴き通すことが出来ました。そこには、チャイコフスキーから綿々と受け継がれてきたロシアの交響曲の伝統そのままの、愛すべき楽想と、贅沢で華麗なサウンドがあふれていました。
1932年から1934年にかけて作られた1番から3番までは、長さも20分程度の小規模な「交響曲」です。「1番」は、楽章は2つだけ、ちょっとまとまりに欠けるような感じはしますが、力強く迫ってくるものを押さえきれないほどの、若いエネルギーにあふれた作品です。それが「2番」になると、急-緩-急の3楽章形式となって、古典的な交響曲のようなコンパクトなたたずまいが見られるようになっています。この曲の真ん中の楽章は、とても美しい情緒をたたえたもの、冒頭でフルートによって奏でられるテーマが心にしみますが、それと同じものが最後にクラリネットによって消え入るように歌われるのが、とても素敵です。
「3番」は、実は「2番」よりも先に作られたものなのですが、これには「レーニンへのレクイエム」というサブタイトルが付いています。もちろん、これは「偉大な指導者」レーニンの死を悼んで作られたもので、2つの楽章から成っている後半の楽章には、混声合唱が加わります。第1楽章での深刻ぶった追悼の音楽には、おそらく当時のソ連の国民は涙を誘われたことでしょう。そして、第2楽章の合唱は「いかにも」という音楽です。
「4番」は、それからかなりの年月を経た1956年に完成した、4楽章の堂々とした作品で、演奏時間も倍の40分以上かかります。第3楽章がスケルツォ的な位置づけ、実際にはワルツの優雅さも持っている、しゃれた曲です。テーマの扱いも手慣れたもの、そこにはまさに職人的なエンタテインメントを感じることが出来るでしょう。最後の楽章で多用されるシンコペーションが、この作曲家の軽やかなフットワークを象徴しているかのようです。
ここで演奏しているのは、北ドイツ放送所属の2つのオーケストラのうちでも、ハンブルクのオーケストラほどの知名度はない、ハノーファーの「放送フィル」です。首席指揮者の大植英次のもと、まるでロシアのオーケストラのような力強い金管の叫びを聴かせてくれています。その分、繊細さがやや犠牲になっていると感じられるのは、カバレフスキーのキャラを強調させた結果なのでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2008-12-18 19:39 | オーケストラ | Comments(0)