おやぢの部屋2
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FAURÉ/Requiem
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Sandrine Piau(Sop)
Stephane Degout(Bar)
Laurence Equilbey/
Membres de l'Orchestre National de France
Accentus
NAÏVE/V 5137



あけましておめでとうございます。恒例の(いつから?)元旦からの「レクイエム」です。
多くの「トランスクリプション」の紹介、中にはヴィヴァルディの「四季」をレクイエムのテキストで演奏するなど、常に合唱音楽の新しい可能性を開拓してくれていた「アクサントゥス」が、フォーレのレクイエムなどというベタな曲を録音しました。一体どうしたことだろうと思わず心配になってしまいます。あれだけユニークなことに命をかけてきた団体が、そんなフツーの合唱団に成り下がってしまったなんて。
しかし、そんな心配は杞憂に終わりました。彼(彼女)らは、やはり普通のグループでは到底なし得ないような、実に「ユニーク」なアプローチに挑戦していたのですから。お正月から温泉ですか(それは「湯に行く」)。
この曲の場合、バージョンの違いによって多くの演奏形態が考えられます。ここで彼らがとったのは「1893年のオリジナル稿」を、オーケストラと一緒に演奏するというものでした。今までのリーダーアルバムは、無伴奏かピアノ伴奏だけでしたから、エキルベイの指揮による正規のオーケストラとの共演は、もしかしたらこれが最初の録音かもしれません。ただ、「1893年稿」とは言っても、全く異なる2つの「版」が存在していることは、こちらをご覧にならなくても、博識な皆さまにはすでにご承知のことでしょう。これも、しっかり「アメル版を使用」というクレジットがありますから、「ネクトゥー・ドラージュ版」の方であるはず、ちょっと嬉しいことです。もう一つの「ラッター版」の方は、なにか胡散臭いところがありますからね。
同じオーケストラの伴奏でも、この「1893年稿」は、後の「1900年稿」に比べると小さな編成になっており、弦楽器もそれほど多くのプルトは必要とされてはいません。ここで演奏しているフランス国立管弦楽団のメンバーによる室内楽では、しかし、ヴィオラが12人と、それほど「小さい」編成ではありません。ですから、冒頭の重々しいアコードも、ほとんど「1900年稿」と変わらないほどの厚い響きで迫ってきます。しかも、そのアインザッツが、まるでフルトヴェングラーかなにかのような、低音から順次少しずつずれて始まるという時代がかったものですから、ちょっと度肝を抜かれてしまいます。なんという鈍重なフォーレなのでしょう。もっとも、それは日頃オーケストラを振り慣れていない指揮者による、彼女としては不本意な演奏の結果だったのかもしれませんが。
続いて出てくる合唱は、そんなオーケストラに引っ張られたせいでもないのでしょうが、いつもながらのユルいものでした。そして、テナーのパートソロが「Requiem aeternam~」と歌い出した時、なにかネクトゥー・ドラージュ版にしては違和感があることに気づかされます。楽譜をとりだして比較してみると、その譜割りはなんとラッター版のものではありませんか。最後までチェックしてみた結果、それは、合唱パートはラッター版、オーケストラパートはネクトゥー・ドラージュ版という、なんとも不思議な選択による演奏であることが分かりました。「アメル版」と断ったにもかかわらず、全く別のイギリスの出版社からしか出ていないラッター版をわざわざ使ったというのは、どういう意図からなのでしょうか。そう、これが、彼らの「ユニーク」さの正体だったのです。
もう一つ、ここではソプラノ・パートにパリ児童合唱団を加えるという「ユニーク」なことも行っています。それは「Sanctus」と「In Paradisum」に限ったことなのですが、特に児童合唱だけとなった後者では、それは「天上の声」にはほど遠いがさつなものにしか聞こえず、とても成功しているとは思えません。
合唱が頼りない分、ソリストに期待したのですが、ピオーはまるで森麻季のような気持ち悪い「あと膨らまし」の歌い方に、ドゴーも深すぎるビブラートに、萎えてしまうばかり。

CD Artwork © Naïve
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by jurassic_oyaji | 2009-01-01 19:04 | 合唱 | Comments(0)