おやぢの部屋2
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Air
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Yolanda Kondonassis(Hp)
Joshua Smith(Fl)
Cynthia Phelps(va)
Bridget-Michaele Reischl/
Oberlin 21
TELARC/CD-80694



ドビュッシーと武満徹の作品をカップリングした、という、ちょっと面白い企画のアルバムです。そのどちらの作曲家も偏愛していたハープとフルートという楽器が中心になっているところも、魅力的です。演奏しているのは、このレーベルで多くのソロアルバムを出しているハープのヨランダ・コンドナシスと、クリーヴランド管弦楽団の首席フルート奏者ジョシュア・スミスです。
武満の作風の中に、ドビュッシーやメシアンと同質のテイストを見いだすのはそんなに難しいことではありません。彼自身、フランス人の作る音楽にシンパシーを見せていたことはよく知られていますし、彼が使ったピアノには「フランス語の鼻母音の響きがある」と言ったのも、彼自身ではなかったでしょうか(それの受け売りが、高橋悠治でしたっけ)。実際に、彼の作品の中には明らかにドビュッシーに対するオマージュと受け止めるべきものがいくつか存在しています(もちろん、メシアンに対するものも)。そんな曲のうちの「エア」と、「そして、それが風であることを知った」の2曲が、それぞれの「元ネタ」と一緒に演奏されている、というのが、このアルバムの一つのポイントとなるのでしょう。
武満の最後の作品となった、独奏フルートのための「エア」は、晩年の彼の作風を反映して、極めてリリカルな面を持っています。同じ楽器のための作品でも、「ヴォイス」などが持っていた前衛性などはすっかり影を潜め、息の長い瞑想的な音の流れが原初的な音楽としての「うた」を紡いでいます。そんなコンセプトの源を、ドビュッシーの名曲「シランクス」に求めるのは容易なことです。そこで繰り広げられる、とても1本のフルートだけとは思えないような大きな世界は、ともに魅力的な力を放っています。
「そして、~」の場合は、フルート、ハープ、ヴィオラという特異な編成から、ドビュッシーの「ソナタ」の継承であることは明白です。こちらには、テーマそのものの借用など、そのつながりはさらに強まっている印象を与えられることでしょう。もちろん、ドビュッシーの持っていたオリエンタルなたたずまいや、かなり大きなダイナミック・レンジの広さなどが、武満ではもう少し内に秘めた繊細さに変わっているというのは、当然のことです。
しかし、このアルバムで感じられるのは、そのような個々の作品の相違点よりは、全体に漂う言いしれぬ甘ったるさです。まず、フルートが入っていない、ハープと弦楽合奏という編成の「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」が、そのようなトータルイメージの牽引役としていとも甘美な音色で迫ってきます。ハープという楽器が、これほどまでにまろやかで暖かい響きに録音されているのは驚異的ですが、それを取り巻くストリングスのなんというソフトな肌触り。
武満の「海へII」は、それと対をなす意味でのエントリーなのでしょう。しかし、元々アルトフルートとギターという緊張感をはらんだ編成のための曲が、ギターの代わりにハープ、そしてそこに弦楽合奏が加わったときに、これほどまでに「甘い」ものに変貌するのは驚くべきことです。そのような印象は、ひたすら美しく歌い込む弦楽器と、特殊奏法を敢えて無視して口当たりの良い滑らかな音色にこだわるフルーティストから与えられたものなのでしょう。この曲を聴いて、弦楽器が邪魔だと感じられたことなど、初めての体験です。
ドビュッシーの「ソナタ」などからは、フルートのスミスの柔らかい音色と相まって、とびきりの癒し感が与えられます。それはフランス音楽の持つエスプリとは無縁なもの、ドビュッシーはともかく、武満までもがこれほどまでに和む、殆どバックグラウンドミュージックとして聴いても何ら違和感のない音楽になりうることなど、前世紀にはとても想像出来なかったことでしょう。「現代音楽」の全盛期は、とっくに終わっています。

CD Artwork © Telarc International
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by jurassic_oyaji | 2009-01-13 20:19 | フルート | Comments(0)