おやぢの部屋2
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BACH/Messe in h-moll
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L. Crowe, J. Lunn, J. Lezhneva, B. Staskiewicz(Sop)
N. Stutzmann(Alt), T. Wey(CT), C. Balzer(Ten)
M. Brutscher(Ten), C. Immler(Bar), L. Tittoto(Bas)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre
NAÏVE/V 5145



ミンコフスキの初めてのバッハへの挑戦、もちろん、オーケストラは彼の手兵、レ・ミュジシエン・ドゥ・ルーヴルです。ただ、バッハの作品、特にこの「ロ短調ミサ」を演奏するときに問題になるのが合唱のサイズなのですが、ミンコフスキはあのジョシュア・リフキン、そしてアンドリュー・パロットの流儀、「1パート1人」をとっているかに見えます。しかし、ここで集められた若手を中心にしたメンバーは全部で10人、つまり5声部のこの合唱は、それぞれ2人ずつで歌われることになります。しかし、実際に彼が行ったのは、以前フェルトホーフェンがとったような、場所によって「1人」と「2人」の部分を歌い分ける、という方法でした。さらに、ソロの曲ではその10人全員が、必ず1度は歌うようなローテーションが組まれています。これはかなり贅沢な布陣なのではないでしょうか。あ、もちろん男性もいます(「婦人」だけではない、と)。
しかし、そんな編成云々の議論などは、ここでミンコフスキが繰り広げてくれた、なんとも生命力に満ちあふれた世界の前ではとても些細なことのように思われてしまいます。彼は、オーケストラと、そしてソリストたちの力を全面的に信頼して、このミサ曲からまるでオペラのように起伏にあふれる情景を描き出していたのです。そこでは、淡々と歌われるはずのアリアでさえも、まるでダンスのように軽やかなフットワークを持つことになりました。例えば、ソプラノ・ソロにヴァイオリンのオブリガートがついた「Laudamus te」では、そのヴァイオリンの細かい音符が堅苦しいものではなく、すべて踊りまくっているのですから、その中で歌われるソロの足取りも、自然に浮かれてくるのも当然のことです。もう少し落ち着いたたたずまいのはずのテノール・ソロの「Benedictus」でさえ、フルートのオブリガートが三連符で微妙にシチリアーノ風のリズムを刻めば、体は揺れてくることでしょう。
そして、トゥッティになったときのエネルギッシュなこと。トランペットは吼えまくり、ティンパニの強打がいやが上にも迫力を演出します。なんせ、そのティンパニときたら、まるでポップスのドラム・セットの録音のように、左右いっぱいに広がった音場設定になっているのですからね。ティンパニがパンポットするバッハなんて、最高!
そんなお祭り騒ぎの中だからこそ、シュトゥッツマンが歌う「Agnus Dei」がしっとりと心にしみてきます。翳りに満ちたその声は、なんの作為を施さなくても、穏やかな世界を見せてくれています。
もう一人、素晴らしい声を聴かせてくれたのが、10年前まではウィーン少年合唱団で歌っていたという、カウンターテナーのテリー・ウェイです。彼のソロが聴けるのが「Qui sedes ad dextram patris」。オーボエ・ダモーレのもの悲しいオブリガートに乗って歌うその声は、カウンターテナーにありがちな弱々しいものではなく、力のこもった逞しいものでした。そう、彼はファルセットではなく、実声でアルトの音域をカバーしているのです。もう一つ、ソプラノとのデュエット「Et in unum Dominum」でも出番がありますが、こちらでは「男声」ならではの深い低音を聞かせてくれています。おそらく、これからのバロック・オペラのシーンにはなくてはならない存在になることでしょう。大活躍の予感、楽しみです。
ただ、バスのティトットだけは、その明るさがミンコフスキとはちょっと違うベクトルに向いているために、ホルンのオブリガートのついた「Quonian tu solus sanctus」は悲惨な結果に終わっています。しかし、そこにすかさず躍り込んでくる「Cum Sancto Spiritu」の勢いは、そんないやな思いなど忘れさせてくれるものでした。ミンコフスキが作り出す大きな流れは、それしきの些細な傷ごときはいともたやすく覆い隠してしまうのでしょう。

CD Artwork © Naïve
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by jurassic_oyaji | 2009-01-25 21:02 | 合唱 | Comments(0)