おやぢの部屋2
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TCHAIKOVSKY/Symphony No.5
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Gustavo Dudamel/
Simón Bolívar Youth Orchestra of Venezuela
DG/00289 477 8022



快進撃の止まらないヴェネズエラの星、ドゥダメルとシモン・ボリーバル・ユース・オーケストラ、ついに昨年の12月には来日公演が行われましたね。その時のプログラムであるチャイコフスキーの「5番」のCDは、ですから、だいぶ前に国内盤が発売になっていました。あいにく、国内盤にも、そして東京でのコンサートにも全く縁のないものとしては、やっと輸入盤として出回ったこのアルバムが、この曲を演奏している彼らとの初対面となります。今までのアルバムで、ベートーヴェンからマーラーまで、単なる勢いにはとどまらない確かな音楽性を披露してくれていたこのコンビですから、期待は高まります。
しかし、ここでのドゥダメルたちの、なんだかあまりノリの良くない演奏には、ちょっと戸惑ってしまいました。今までのアルバムでは必ず見られていた、曲の最初からみなぎっている生命感が、あまり感じられないのです。言ってみれば、楽譜を音にするのに精一杯、それを超えたところでの流れのようなものが、まるで見えてこないのです。どうやら、チャイコフスキーというのはかなり手ごわい相手だということに、彼らは気が付いてしまったのではないでしょうか。事実、チャイコフスキーの音楽の作り方というものは、一筋縄で解き明かせるものではなく、多くの「謎」に包まれています。一見華やかに見えて、なんのためにあるのか分からないような仕掛けが、あちこちに見え隠れしているのですね。最初のうち、ドゥダメルたちはその「仕掛け」に一生懸命意味づけをしているように見えます。ある時には、ちょっとヘンな作り方をなんの細工もしないで表面に出してきて、さも、お客さんにその謎解きを迫っているかのように振る舞っているような風にも見えてしまうのです。
ですから、最初のホルンのソロに始まって美しいメロディがてんこ盛りの第2楽章にしても、決してその美しさに酔わせよう、などとは考えてはいません。それどころか、そのホルンのソロを包み込むさまざまな夾雑物を、あえて表面に出してきて、その美しさの陰にあって今までは気づくことの無かった「負」の部分を、ことさら目立たせようとさえしているように見えてしまうのです。
これは、戸惑いを超えた驚きをもって迫ってきます。ある意味、若さに任せて元気よく振る舞っていたはずの若者たちが、実はそんな深いところにまで考えを巡らせていたのか、という驚きです。ただ、それはいかにも迷える若者の整理の付かない心のようなもので、問題点は良く分かるものの、聴いていて決して心地よいものではないのです。この問題を昇華したところでの、もっと弾けた音楽を聴きたいな、と、正直思ってしまいました。
そんな思いで暗い気持ちになってしまい、やはりチャイコフスキーは若さだけではなんともならないものなのだな、とあきらめかけていたところ、第4楽章になってしばらくすると、急に今までの彼らのアルバムで感じたのと同じようななにか浮き立つものを感じる瞬間があったのです。それは、楽章の序奏にあたる1楽章でさんざん聞かされた「運命のテーマ」の再現が終わり、ティンパニのロールに導かれて「Allegro vivace」の部分が始まった時のことでした。今までウジウジしていたのがまるでウソだったかのように、いつも通りのドライヴ感あふれる音楽が始まったのですから、喜びはひとしおです。これは彼らの作戦だったのでしょうか。いや、まだまだ迷いの多い青春まっただ中の心情の、これは正直な吐露だったのだとろ思いたいものです。
うっかりすると忘れてしまいがちですが、メンバーの殆どはそもそもクラシック音楽を専門的に学んではいないはずです。そんな集団が、逆にクラシックの閉塞感を破ってくれるのかもしれませんね。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH, Hamburg
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by jurassic_oyaji | 2009-02-10 22:52 | オーケストラ | Comments(0)