おやぢの部屋2
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RACHMANINOV/Symphony No.2
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Lan Shui/
Singapore Symphony Orchestra
BIS/SACD-1712(hybrid SACD)



ラフマニノフの交響曲第2番が好きな人には、良く出会えます。なんとも甘ったるくて軟弱、その道の大先輩ベートーヴェン先生がその中に込めた「厳しさ」や「苦しさ」などはかけらもない、同じ「交響曲」と呼ぶことすらはばかられるような曲なのですが、なぜかファンは多いのですね。ある人は、それを「演歌の魅力」だとおっしゃっていました。なるほど、確かにあのいたずらに飾り立てられた叙情性は、まさに「演歌」の持つ湿っぽさとどこか共通するものがあるのかもしれません。それだったら、日本人の心にストレートに訴えかける力を持っているのも納得です。糸を引く粘っこさもありますし(それは「納豆」)。
この、ムダに長い曲は、かつては作曲者の公認のもとに、多くの冗長な部分をカットして演奏するという慣習がありました。例えば、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団が1951年にそのようなカットを施した楽譜で録音したものをこちらで聴くことが出来ます。この曲を良く知っている人が聴けば、確かに多少の違和感が伴うかもしれませんが、何も知らないで聴いていたらいったいどこをカットしたのか分からずに通り過ぎてしまうかもしれません。これはその程度の曲、1箇所たりとも変えることが許されないほどの確固たる構成感を持っているとされるベートーヴェン先生の作品とは、そもそも勝負にならないのです。
とは言っても、やはり作曲家の書いたとおりのものをきちんと演奏したいという機運は高まってくるもので、1973年にはアンドレ・プレヴィンがロンドン交響楽団と、初めてこの曲をオリジナル通りに演奏したものを録音したのです。そのジャケットにはわざわざ「コンプリート・バージョン」という但し書きがつくほど、それは珍しい試みだったのですね。もちろん、現在ではこの曲にカットを加えて演奏するような不見識な指揮者は、まず見あたりません。
ただ、実はプレヴィンの録音は決して「コンプリート」ではありませんでした。この曲の第1楽章には、古典的な交響曲のように提示部の繰り返しが指定されているのですが、プレヴィンはそこを繰り返さないで演奏しているのです。さすがにそこまでやるのは「長すぎる」と判断したのでしょうか。確かに、ここを繰り返して「コンプリート」を貫いている指揮者は、あまり見かけません。
2008年6月に録音されたという、現時点でもっとも新しいCDをリリースしたラン・シュイ指揮のシンガポール交響楽団は、その繰り返しをしっかり行っていました。実際にそういう演奏を聴くのは初めての体験だったのですが、それによってことさら「長い」と感じることがなかったのは、おそらくカットされたもの聴いても何も感じなかったのと同じ意味を持っているのでしょう。別に長くしようが短くしようが、それが全体の価値に及ぼす影響などはそもそも極めて少ないというのが、この曲なのです。
そんなことよりも、ここで弦セクションが繰り広げているなんとも派手なポルタメントには、辟易とさせられます。なにしろ、マーラーであろうがドビュッシーであろうが、跳躍音型を見つければその間を連続した音で埋めないと気が済まないというのは中国系の人々のアイデンティティのようなものなのでしょうから、いくら「演歌」であっても、これほどまでに粘っこくはないだろうという嫌らしいまでのポルタメントには耐えなければなりません。
ところが、先ほどのオーマンディの半世紀以上前の演奏を聴いてみると、実はこれと同じ程度の「くさい」表現が、頻出しているのにも気づかされます。ひょっとしたら、シュイたちの演奏は、そんなノスタルジックなスタイルへの回帰だったのでしょうか。確かに、SACDでありながらなんとも解像度の低いモヤモヤとした録音は、そんな時代を彷彿とさせるものでした。ですから、SACDモードでの再生は不可能なこちらで聴いてもなんの遜色もありませんよ。

CD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2009-02-14 19:45 | オーケストラ | Comments(0)