おやぢの部屋2
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DURUFLÉ/Requiem
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Magid El-Bushra(CT), Peter Harvey(Bar)
Mark Chaundy(Ten)
Martin Ford, Richard Pinel(Org)
Bill Ives/
The Choir of Magdalen College, Oxford
HARMONIA MUNDI/HMU 807480(hybrid SACD)



デュリュフレの「レクイエム」には3つの稿が存在していることはこちらで分かります。それは、オリジナルのフル・オーケストラ・バージョン(第1稿)、オルガンだけ(一部にチェロが入りますが)の伴奏によるバージョン(第2稿)、そして、小編成の弦楽器にオルガン、ハープ、トランペットとティンパニが加わったバージョン(第3稿)です。それらの形態が出揃ってから半世紀近くが経過した現在では、録音の数で比べると第2稿>第1稿>第3稿と、オルガン伴奏版が最も多くなっています。確かに、フルオーケストラを使うのは手間とお金がかかりますから、それは納得です。しかし、やはりこの曲ではオルガンだけの伴奏ではちょっと物足りないところが沢山ありますから、本当はオーケストラを使いたい、というのが作曲者の願いだったに違いありません。そこで、その折衷案としてオルガンと室内オーケストラというバージョンも用意したのでしょうが、実際にはオルガン版の三分の一にも満たないCDしかリリースされていないのが現状です。しかも、1994年のNAXOS盤以来、新しい録音も絶えてありませんでしたし。
そんな中での、久々の第3稿による「レクイエム」です。演奏しているのがビル・アイヴスの指揮するオクスフォード・モードレン・カレッジ聖歌隊という、こちらで素晴らしい演奏を披露してくれた団体ですから、色々な意味で期待が膨らみます。
しかし、今回の彼らの演奏には、少なからぬ失望を隠すことは出来ませんでした。なにしろ、「レクイエム」のそもそもの始まりのテナーが、音色は揃わないし、発声は幼稚だし、表現は平板だし、と、なにも良いところがないのですからね。他のパート、成人男声のアルトはしっかりした響きですし、少年だけのトレブルも、少し雑なところはありますが、繊細さは失われていない中にあって、このテノールの拙さは致命的です。やはり、こういう合唱団は入れ替わりが激しいので、年によってはこんな「ハズレ」の時もあるのでしょうか(男声が素晴らしかった時代には、モーモドレンって)。ただ、「ピエ・イエス」でのソロを歌ったカウンター・テノールは、とても立派な声と、素晴らしい表現力を持っていました。
失望したのは、合唱だけではありませんでした。このバージョンのオーケストラは、元の編成の木管楽器やホルンのパーがオルガンに置き換わっているのですが、「生」楽器であるトランペットとオルガンとの間が、完全に乖離して聞こえてくるのです。今まで出ていた6種類の録音では、割と多めの残響などのお陰でそのような違和感がなかったものが、なまじSACDの解像度で聞かされるとそんな編曲の欠点がまざまざと露呈されてしまうのでしょう。いや、あるいは合唱にもう少しの力があったなら、これはそれほど気にはならないものだったのかもしれませんが。
このSACDには、その他に「4つのモテット」と「ミサ・クム・ユビロ」という、良くあるカップリングの他に、オルガンの曲も収録されています。そこで「オルガンのための瞑想」という、キャッチーなイントロを持つ曲が聞こえてきました。そのあとに「クム・ユビロ」が入っているのですが、最後の「アニュス・デイ」のイントロが、その曲と全く同じものだったことに初めて気づきました。デュリュフレは、こんな「使い回し」もしていたのですね。
その「クム・ユビロ」は、オルガン伴奏(これも、最初はオルガンとオーケストラという編成でした)に男声のユニゾンだけという曲です。しかし、この男声も、「レクイエム」同様、とことんだらしないものでした。中でテノールのソロが入る楽章があるのですが、このソリストもちょっと危なっかしい人で、演奏を味わう以前のところで終わってしまっています。

SACD Artwork © Harmonia Mundi USA
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by jurassic_oyaji | 2009-02-28 22:25 | 合唱 | Comments(0)