おやぢの部屋2
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PUCCINI/Turandot
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Gabriele Schnaut(Turandot)
Johan Botha(Calaf)
Cristina Gallardo-Domâs(Liù)
David Pountney(Dir)
Valery Gergiev/
Wiener Philharmoniker
DENON/TDBA-80350(DVD)



最近「DENON」というレーベルで、今まで他のレーベルから出ていたDVDが大量に再発売されていますね。3年前にリリースされていたはずのあのクリスティの「ジューリオ・チェーザレ」などが、さも新譜のような顔をして店頭に並んでいるのですからちょっと混乱してしまいます。
この2002年のザルツブルク音楽祭のライブ映像である「トゥーランドット」も、かつては「TDK」として5000円ほどの価格で出ていたものが、今回ほぼ半額、CDの全曲盤よりも安い値段で再発されたというありがたいアイテムです。もっとも、品番を見ると前のもの(TDBA-0035)をそのまま継承しているようですから、レーベルは変わっても発売元そのものは変わってはいないのでしょうね。そのあたりの業界の複雑な事情は、理解不能です。
このプロダクション、何と言っても目を引くのはデイヴィッド・パウントニーの奇抜な演出でしょう。いきなり人形の首が切り落とされる、などというショッキングな幕開けにまず度肝を抜かれてしまいますが、それに続く想像を絶するようなスペクタクルなシーンにはただただ驚くばかり、手がハサミになった群衆にいったいどんな意味があるのかなど考えるヒマもなく、次々に目を見張るシーンがこれでもかと繰り出されます。
そしてもう一つの魅力は、このプロダクションはルチアーノ・ベリオが2001年に行った最後の部分の補作を使った上演の、最初の映像だということです。ご存じのように、「トゥーランドット」はプッチーニの遺作で、第3幕の途中までしか完成されてはいません。残りの部分は、プッチーニのスケッチを元にフランコ・アルファーノという、道路みたいな名前の(それは「アスファルト」)作曲家によって新たに作られ、現在ではこの「アルファーノ版」が普通の上演では使われています(一部カットがあるそうですが)。それは、「Nessun dorma」のテーマ(「イナバウアー」のテーマ、ね)が高らかに鳴り響くという、最高の盛り上がりでエンディングを迎える、ある意味「感動的」なスコアではあります。
しかし、この映像によって、「ベリオ版」は、そんな「アルファーノ版」とは全く異なる様相を呈していることが、容易に分かるはずです。おそらくアルファーノは、出来上がった結果はともかく「プッチーニだったら、こう作っただろう」というコンセプトで補作を行ったのでしょう。しかし、ベリオの場合は、最初からそんな仕事は放棄しているかのように見えます。そう、彼が行ったものは「補作」などという職人的な修復作業ではなく、完全な彼自身のオリジナルの「創作」だったのです。リューの死から始まるその作業は、最初のうちこそプッチーニの作った「リューの死のテーマ」を執拗に繰り返してはいますが、あたかもこれだけやればもう充分だ、とでも言うかのように、そのあとにはまるっきりプッチーニの作風とは共通点のない「ベリオ節」満載の展開となるのですからね。しかし、注意深く聴いていくと、そんな中に今まで出てきたさまざまなテーマが巧妙に見え隠れしていることも発見出来ます。言ってみれば、プッチーニのコラージュのようなもの、そこからは、アルファーノ版とは全く次元の異なる不思議な「感動」すら、呼び起こされるはずです。
そして、ここではパウントニーの演出が、その「感動」を見事に視覚化しているのです。今までの華やかな仕掛けは一体何だったのか、と思わせられるような暗い情景に変わった中で、かつてはまるで機械の一部と化していた民衆たちが、本来の人間の姿に戻ってあらわれてくるのが、そんな青白い「感動」の始まりです。服装は変わっても、口元に残るタトゥーはかつて彼らが「奴隷」だったことの名残なのかもしれません。
前に、これと良く似たシーンを見たことを突然思い出しました。それは、パトリス・シェローのバイロイトでの「指環」のラストシーン。トゥーランドットによる民衆と、そして彼女自身への呪縛は、神々の黄昏とともに解かれたのでしょうか。

DVD Artwork © Creative Core Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2009-05-08 20:06 | オペラ | Comments(0)