おやぢの部屋2
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MARTÍN y SOLER/Il burbero di buon cuore
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Elena de la Merced(Angelica)
Carlos Chausson(Ferramondo)
Véronique Gens(Lucilla)
Saimir Pirgu(Giocondo)
Cecilia Díaz(Marina)
Irina Brook(Dir)
Christophe Rousset/
Orquesta Sinfónica de Madrid
DYNAMIC/33580(DVD)



あのモーツァルトよりも2歳年上のスペイン生まれの作曲家ヴィセンテ・マルティーン・イ・ソレル(最後の3つがラスト・ネーム)は、モーツァルトがウィーンで「フィガロ」などのオペラを作っていたのと同じ頃に、ウィーンで活躍していました。言ってみればこの二人はライバル同士、お互いにその存在を意識しあっていたことでしょう。なにしろ、「フィガロ」などの台本を執筆したロレンツォ・ダ・ポンテは、彼のためにも台本を提供していたのですからね。こちらにも書いたように、実際に「フィガル」のアリアのパクリっぽいアリアが入っている彼の「Una cosa rara(椿事)」もダ・ポンテの台本によっています。そして、このオペラが人気を博しために、それまで上演されていた「フィガロ」が打ち切りに追いやられた、というのは有名な話、さらに、その腹いせにモーツァルトが「ドン・ジョヴァンニ」で「椿事」からの引用を行っている、というのもオペラ・ファンにはお馴染みの珍事です。
今回、世界初録音となったDVD(これまで、CDすらありませんでした)がリリースされた、「椿事」と同じ年、1786年に上演されたやはりダ・ポンテの台本による「善良な心の気むずかし屋」というオペラ・ブッファは、正確な意味では「初録音」ではありません。その中で歌われるソプラノのための2曲のアリアだけはすでにCDなどが出ているのです。ただし、それはマルティーン・イ・ソレルの曲として扱われているのではありません。作曲者のクレジットは、なんと彼のライバル、モーツァルトなのですよ。それは「コンサート・アリア」として知られているK.582の「誰が知っているでしょう、私のいとしい人の苦しみを」と、K.583の「私は行ってしまうわ、でもどこへ?」です。敵同士だったこの二人が、ここでは「共作」をしていたのでしょうか。
実際の経緯は、こうです。評判の良かったこのオペラは、3年後の1789年に再演されることになったのですが、その時にルチッラという浪費癖の人妻の役を歌ったルイーズ・ヴィルヌーヴという新人歌手のために、モーツァルトが新しい曲を提供し、今まであった曲と差し替えて歌われたのです。この頃にはマルティーン・イ・ソレルは次の任地のサンクト・ペテルブルクにいましたから、他人のオペラに勝手にそんなことをして大丈夫だったのでしょうね。それにしても、今だったら著作権などが問題になっていたことでしょう。ちなみに、このヴィルヌーヴ嬢は、次の年の「コシ・ファン・トゥッテ」の初演ではドラベッラを歌っています。
重要なのは、他の人が書いたものが挿入されていても、当時のお客さんはなんの違和感も抱かなかっただろう、ということです。実際にここでヴェロニク・ジャンスが歌うその2つのアリアを聴いてみると、それは見事にこの作品の中に馴染んでいます。というより、すでに序曲の段階で、この曲は耳に馴染みやすいものでした。もちろん、それはあのモーツァルトと全く同じテイストが、その中に存在していたからです。さらに、各幕の最後を飾るフィナーレの見事なこと、入れ替わり立ち替わり登場する人物の細かい状況の変化が、絶妙のアンサンブルで実に巧みに表現されています。もちろん、それは「フィガロ」第2幕の長大なフィナーレが、モーツァルトによってしかなしえないものでは決してなかったことを示しているのは明白なことです。
イリーナ・ブルック(ピーター・ブルックの娘)による現代風の設定と、クリストフ・ルセのピリオド・アプローチによって、新鮮な若々しさを与えられたマドリッドのレアル歌劇場のプロダクション、それは、接する機会さえ多ければ、このスペインの作曲家のオペラは「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」と同等、もしかしたらそれ以上の楽しみを間違いなく提供してくれることを私たちに教えてくれています。

DVD Artwork © Dynamic/Teatro Real
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by jurassic_oyaji | 2009-05-14 20:06 | オペラ | Comments(0)