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TCHAIKOVSKY/Symphony No.5, The Nutcracker Suite
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Roger Norrington/
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.254



ノリントンとシュトゥットガルト放送響のコンビによるチャイコフスキーは、以前2004年に録音された「悲愴」を聴いていましたが、正直それほどの感銘を受けるものではありませんでしたね。弦楽器のビブラートを排してきれいなハーモニーを作るという、彼らの目指している「ピュア・トーン」の効果が、チャイコフスキーのぎらぎらした音楽ではそれほど発揮されてはいなかったのが、そのように感じた最大の要因でした。そもそも、ノリントンとチャイコフスキーはあまり相性がよくないのでは、とも。
今回は、それから3年後の2007年に録音された「5番」と「くるみ割り人形」です。やはりノン・ビブラートの弦楽器から華やかな響きを求めるのは非常に困難だということは再確認しながらも、この3年の間にノリントンが付けたある種の「折り合い」のようなものは感じることが出来ました。そんな弦楽器の「しょぼさ」を逆手にとっての、ノリントンならではの表現が、そこには見られたのです。
それは、「5番」第2楽章の中程、その楽章の冒頭でホルンによって奏でられたいとも甘美なテーマがヴァイオリンによってあらわれる部分で顕著に見られます。この、ヴァイオリンらしからぬ低音によって歌われるテーマは、木管楽器のオブリガートによって飾られているのですが、それはなんとも不思議なテイストの、なにか行く先の定まらないような雰囲気を持っています。「飾る」というよりは「邪魔をする」といった木管たちのフレーズの断片、ノリントンは、おそらくそのオブリガートに注目したに違いありません。「しょぼい」ヴァイオリンと一緒になったその木管からは、なんともグロテスクな、まるでゾンビのような気配が漂っているのですからね。
そんな具合に、この演奏には至るところにノリントンのいたずらっぽい仕草が顔を現しています。フィナーレなどは、まさに彼の「好き勝手」といった印象が色濃く感じられます。次々と現れる新鮮な驚き、次はどんな「技」を繰り出してくるのか、といった期待が満載です。なんせ、終わり近くでの「ドラえもん」のイントロに良く似たテーマなどでは、度肝を抜くようなダイナミクスが付けられていますしね。これは、コンサートのライブ録音、終演後の拍手やブラヴォーの嵐には、そんなノリントン節に酔った聴衆の思いが強く感じられました。
「くるみ割り人形」の方は、SWRのスタジオでのセッション録音、当然ホールでのライブとは異なった音で聞こえてきます。もちろん、エンジニアも違いますし。しかし、ここで聴かれる弦楽器は、ライブの時に聞こえていたちょっときつめの、ノンビブラートの悪いところだけが目立ってしまっていた音とは全然別物でした。別にビブラートを付けないことをやめた(変な言い方ですが)わけではないのに、例えば「アラビアの踊り」で出てくる弱音器をつけたヴァイオリンのふんわりとした肌触りは、普通の奏法のオケと全く変わらないものだったのです。今までさんざん聴いてきた禁欲的な響きは影を潜め、それこそ「ピュア」な美しさがそこにはあふれていました。これを聴けば、もしかしたら、ノリントンが求めていた響きは、大ホールでの力任せの演奏では本当の姿を現してはいなかったのではないか、という思いに駆られてしまうことでしょう。
サウンド的には一皮むけたこの「くるみ割り人形」、しかし、ノリントンの「個性的」な表現は変わることはありません。「葦笛の踊り」の3本のフルートのフレーズの最後の音にテヌートが付いているにもかかわらず短く切っているのもその一つ。しかし、何回か繰り返すうちに、プレイヤーがだんだん「楽譜通り」になっていくのが、面白いところです。指揮者とメンバーが「折り合い」を付けるのは、何年経っても難しいものなんねん

CD Artwork © SWR Media Service GmbH
by jurassic_oyaji | 2009-05-28 20:35 | オーケストラ | Comments(0)