おやぢの部屋2
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PENDERECKI/Utrenja
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Iwona Hossa(Sop), Agnieszka Rehlis(MS)
Piotr Kusiewicz(Ten), Piotr Nowacki(Bas)
Gennady Bezzubenkov(Basso profundo)
Antoni Wit/
Warsaw Philharmonic Dhoir and Orchestra
NAXOS/8.572031



ペンデレツキの1970年の作品「ウトレンニャ」といえば、ユージン・オーマンディという、およそ彼のそれまでの作品とはミスマッチだと思われた指揮者に献呈されたことで知られています。4月にアルテンベルク大聖堂でアンドロジェイ・マルコフスキの指揮によって世界初演が行われた後、同じ年の9月にオーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団によってアメリカで初演され、その直後に録音されたものがこちら、「ウトレンニャ~キリストの埋葬」です。今回のヴィット盤では、オーマンディ盤が録音された次の年に作られた「第2部」にあたる「キリストの復活」が加わっています。そもそも「ウトレンニャ」というのは、聖週間あたりの朝の礼拝のことを指し示す言葉なのだそうですね。つまり、キリストが「埋葬」され、さらに「復活」が起こる、というシチュエーションでの礼拝ということになるのです。
そんな礼拝の意味を持つ音楽に、作曲者が用いたテキストは、ロシア正教で使われている古代のスラブ語でした。そして、歌手たちの陣容の中に「バッソ・プロフンド」というキャラクターが起用されているのが極めて特徴的なテイストを持つことになります。これは、「オクタビスト」とも呼ばれ、納棺の仕事(いや、それは「オクリビト」)はしませんが普通の「バス」のさらに1オクターブ下の音まで出すことが出来るという、スラブ民族特有の声の持ち主のことを指します。さらに、オーマンディ盤ではあまり気づきませんでしたが、ここでのテノールのソリストは、ファルセットを多用したなんとも言えない妖しさを持っていました。
これらの、いわば「スラブ的」な礼拝音楽を作り上げる最後の仕上げが、そんなロシア正教っぽい「聖歌」の挿入です。「第1部」を聴いたときにいとも唐突にあらわれるその「聖歌もどき」は、1964年の名作「ルカ受難曲」の流れを汲むクラスターやシュプレッヒ・ゲザンクの中にあって、なんとも居心地の悪い印象を与えていたものです。そして、今回初めての体験となる「第2部」になると、その「聖歌もどき」の扱いが「第1部」とは比べものにならないほど重要さを増しているように感じられてしまいます。生きの良いアウフタクトを持つその「聖歌」は、まるでこの曲の最も重要なテーマのような扱いを受けていると言ってもおかしくはないほどの頻度をもってあらわれます。それと同時に、全体の音楽までもが前作とは微妙に異なる整然としたたたずまいの中にあることにも気づかされます。一見暴力的で無秩序なように聞こえがちな打楽器の連打の中にも、なにか居心地の良い規則性を見いだすのは、それほど困難なことではありません。
たった1年の間にこれだけの様式の変化が見られるというのは、尋常なことではありません。しかし、巨視的な見方をすれば、作曲家はこの作品の中で、極めて周到に外部へ向けての自己変革の準備を行っていたことに気づかされます。おそらく、デビュー以来彼のアイデンティティとして誰からも認められていた「アヴァン・ギャルド」の様式には、もはや1960年台後半には彼自身が見切りを付けていたのではないでしょうか。かといって、いきなり「リニューアル」をしたのではファンからはそっぽを向かれてしまいます。そこで、おそらく1970年台の半ばごろまでの長い時間をかけて、彼の中ではすでに終わっていた過去の様式をさも大事に持ち続けているフリをして、実はより「親しみやすい」スタイルへ移行しようと目論んでいたのではないでしょうか。1974年の「マニフィカート」あたりでは、それはほぼ成し遂げられていたのでしょう。
そんな「周到」というよりは「姑息」な作曲家の「裏切り」の足跡が見事に透けて見えるのがこの作品、特に「第2部」であることを、こちらで確かめられてはいかがでしょうか。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2009-06-07 20:45 | 現代音楽 | Comments(0)