おやぢの部屋2
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JACKSON/Choral Music
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Stephen Layton/
Polyphony
HYPERION/CDA67708



意欲的な録音の成果を次から次へと届けてくれて、まさに片時も目を離すことの出来ない存在となったレイトンと「ポリフォニー」、彼らによる現代の合唱界の最先端の作曲家たちの紹介には、毎回強い刺激を与えられてばかりいます。雨も防いでくれます(それは「レインコート」)。今回のガブリエル(ゲイブリエル)・ジャクソンも、そんな、期待に背かない作曲家の一人でした。
1962年に英領バミューダで生まれたイギリスの作曲家ジャクソン、写真を見るとスキンヘッドのちょっとおっかない、というか、とても作曲家には見えないような外見です。とは言っても、初めて聴いた彼の作品は、いともすんなりと心の中にしみこんでくる親しみやすさを備えていました。彼自身のライナーのコメントによると、彼の作品は「単純なメロディ、コード、ドローン、オスティナートで出来ている」そうなのです。そこには「中世のテクニックとアイディアへの興味が反映」されているのだ、と。確かにそんな分かりやすいパーツがふんだんに用いられている、という印象は否定できません。しかし、彼が作り出した音楽を聴いていると、彼はそのような原初的な手法の中に、実はもっと根元的な「力」を感じていたのではないか、という思いに駆られます。ヨーロッパの音楽史の中でさまざまな才能が産み出してきた多くの技法によって、あたかも「進化」したかのように見える音楽も、実は「中世のテクニックとアイディア」を超えるものではなかったことに、おそらく彼は気づいてしまったのではないでしょうか。それが最終的には収拾のつかない混沌へと向かってしまった経過を身をもって知ることの出来た年代だからこそ、容易にそのようなスタンスをとることが出来たのかもしれません。
そんな彼の音楽の本質が、レイトンとその合唱団の、とてつもないハイテンションのアプローチによっていともストレートに伝わってきます。ありきたりな美しい「コード」が、決して陳腐には響かずに、その中に言いようのない力が秘められていることを誰しもが感じられるのは、ひとえに彼らのいつもながらの高密度で振幅の大きい熱演のなせる業なのでしょう。
そんな幸福なコラボレーションが見事に結実されたことを実感できるのが、2004年の作品「Ave Maria」ではないでしょうか。有名な聖母マリアをたたえるテキストが、最初はとびきりの柔らかさで甘く迫ってきます。それが後半、とても30人足らずの無伴奏合唱とは思えないような大音響で「Sancta Maria, mater Dei」という言葉が響き渡ると、その渾身の、殆ど「叫び」とも思えるような響きこそが、ジャクソンの作品の持つ「力」であることに気づかされます。と思っていると、次の瞬間に襲ってくる、殆ど静寂と思えるほどの穏やかな風景。この極端なまでの変化によってもたらされる世界の美しさは、まさに筆舌に尽くしがたいものがあります。
2000年の作品「Cecilia Virgo」では、冒頭にちょっと意外な「前衛的」な技法が現れます。しかし、まるでクラスターのような無秩序の世界と思えたものは、実は同じフレーズを時間をずらして重ねたという、それこそタリスあたりが多声部のモテットで使った技法そのものであることに気づきます。またしても、「単純な技法」の勝利です。
アルバムのタイトルとなっている2005年の作品「Not no faceless Angel」にだけは、チェロとフルートの伴奏が入ります。チェロはオブリガートを朗々と歌うとともに、低音でリズミカルなパターンを演奏して、「オスティナート」のシーンを作り出しています。一方のフルートは、かなりオフな音場で合唱にぴったり寄り添ったエコーを奏でます。どこまで行っても、ジャクソンの音楽にはシンプルな素材が満載、しかし、そこから生まれる宇宙はなんという豊穣さをたたえていることでしょう。

CD Artwork © Hyperion Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2009-07-31 19:56 | 合唱 | Comments(0)