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素顔のカラヤン 20年後の再会
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眞鍋圭子著
幻冬舎刊・幻冬舎新書
138
ISBN978-4-344-98138-6



眞鍋圭子さんといえば、かつてはよく音楽関係の雑誌に登場したりテレビの番組などに出演されていた方ですね。最近ではあまりお名前を聞くことがなくなったような気がしていたので、この本のタイトルで彼女の名前を見たときには、なにか懐かしい思いに駆られてしまいました。
ご存じのように、今年はカラヤンの没後20年という記念の年、そこに「20年後の再会」というのは、ちょっと不気味ですね。お盆も近いので、カラヤンも現世に帰ってきたのでしょうか。
もちろん、そんなことはなく、これは、長いこと「カラヤンの秘書」的な活躍をなさっていた眞鍋さんが、ずっと公にしないでいた彼との個人的な思い出を、事細かに語ったものです。「回想」という名の「再会」を果たした眞鍋さん、それは、読者に対しても新たな気持ちで、この巨匠に対する「再会」を求めているようにも、感じられます。
彼女が、この本の中で執拗に、時にはヒステリックに語っているのは、なにかと傲慢な権力者といったイメージのあるカラヤンの真の姿、つまり「素顔」を知って欲しいということでした。にわかには想像しにくいのですが、これを読む限り、カラヤンという人は言葉で意志を伝えることが苦手だったのだそうなのですね。そこで、いきおい誤解を招くことが多くなり、さまざまな伝説が独り歩きしてそんな悪しきイメージが出来上がってしまったのだそうです。まあ、物事には必ず多くの側面があるものですから、これもそんな一つの面だけをことさら強調して新たな人間像を提示している、といったものに過ぎないのでしょう。その人の本当の姿などは、決して他の人に完全に分かるわけではないのですから。
もちろん、そのような「主観」が勝った記述ではない、もっと客観的な、それこそその場に一緒にいた人でなければ知り得ないような「事実」の部分は、とても興味深いものでした。例えば、カラヤンとエリエッテ夫人との関係をこちらと比較しながら読んでみると、微妙な食い違いに気づくはずです。特に本書でエリエッテが「よい妻ではなかった」などと供述しているシーンなどは、このエリエッテ自身の夢物語からはかけ離れた情景です。当然のことながら、カラヤンの臨終の際の記述に関する彼女の捏造にも、これを読めばいともたやすく気づくことが出来ることでしょう。
さらに、カラヤンのまわりに集まってきたさまざまな「実力者」たちも、眞鍋さんの手にかかればなんとも情けないその姿が垣間見えてきます。例えば、今ではソニー・クラシカルの社長を経てメトロポリタン歌劇場の支配人となっている、当時のCAMIのプロデューサー、ピーター・ゲルプあたりは、彼女から見ればまるでハイエナのような胡散臭い存在だったに違いありません。大阪のシンフォニー・ホールのオルガンのピッチがベルリン・フィルのピッチより低いので、別の電子オルガンを使うことを要求したゲルプを、ちょっと姑息な手を使って打ち負かしたことを得意げに語る彼女の筆致は、なんとも小気味よいものです。
著者の紹介に「カラヤンのコーディネイト」というフレーズがあります。カタカナで書かれたこういう抽象的で実態の把握しにくい職種も、彼女が実際にカラヤンに対してどのようなことを行ったかという詳細な描写を読めば、誰でも「コーディネイトとは、こうでねえと!」と思えることでしょう。
これは、心からカラヤンのことを信頼し、おそらくカラヤンからも信頼されていたであろう人だからこそ書くことの出来た、とても美しいカラヤン賛歌です。エリエッテ夫人といい眞鍋さんといい、これだけの「書き手」を生前から用意していたカラヤンの周到さには恐れ入る他はありません。

Book Artwork © Gentousha
by jurassic_oyaji | 2009-08-06 20:01 | 書籍 | Comments(0)