Adam Fischer/
The Danish National Chamber Orchestra
DACAPO/6.220542(hybrid SACD)
かつては「手堅い中堅指揮者」というイメージで、知名度に関しては弟のイヴァンに負けていたアダム・フィッシャーですが、
2001年に、急逝したシノポリの代役としてバイロイトに登場したあたりからそれが逆転してきたのではないでしょうか。おでこの上がり方も今では弟に充分ひけをとりません。というか、久しぶりにこの人の写真を見て、「なんと!」と思ってしまったのですがね。
彼は、この
DACAPOというあまり国内では流通していないデンマークのレーベルから、デンマーク国立室内管弦楽団やデンマーク放送シンフォニエッタなど複数のオーケストラとともにモーツァルトの交響曲全集の録音を着々と進めています。もっとも、今回が「第7巻」ではあるのですが、その前に出ていたのは「第5巻」だけ、その他はまだ
出んまあく。そして、決して「第1巻」から順番に録音しているわけでもありません。
その順番とは、モーツァルトが作曲した順番、このタイトルにもあるように、年代を追って数を重ねていく、という形をとっています。もう「
1788年」までの巻数の割り振りは済んでいるのでしょうから、ハイドンの時のようなレーベルの消滅などという事態にはならないで最後まで録音を完了させてもらいたいものですね。
1773年に作られた交響曲ということで、このアルバムには作曲順に
27、
22、
23、
24、
25番が収録されています。もちろん、この「番号」は最初のケッヒェルが出来たときのものですから、その後の研究によってこんな風に作曲時期が入れ替わった結果です。もう一つ、「
27番」の前に「
26番」がこの年に作られていますが、それは「第6巻」に入れられるのでしょう。
「
25番」以外はおそらくコンサートなどで聴くことはまずない曲ばかりです。そんな人のためでもないでしょうが、フィッシャー自身がそれぞれの曲のイメージをライナーに書いてくれていますから、それを読みながら聴いてみるのも一興でしょう。例えば「
27番」の第1楽章は、
若いカップルが海辺に座っている。波が二人のまわりで砕け散る。太陽の光はふりそそぎ、爽やかな風が吹いている。カモメは啼きながら、二人の上に大きな弧を描く。
てな具合です。まあ、それなりにイメージをふくらませていただければいいのでしょうね。
最近の良識ある指揮者なら必ず行うように、フィッシャーもここではかなり徹底したピリオド・アプローチをとっています。ヴァイオリンはファーストとセカンドが向かい合う対向型、ホルンはナチュラルホルンを使っていますし、もしかしたら弦楽器はガット弦なのかもしれません。ビブラートはかけず、音は短めに処理されます。「
27番」全体と「
24番」の第2楽章にはオーボエではなくフルートが使われていますが(もちろん、モーツァルトの時代には同じ人が吹きました)それも木管の楽器のような柔らかい響きです。
レアな4曲は、それぞれが魅力にあふれるものでした。すべてメヌエットを欠く3楽章形式の短いもので、「
23番」では楽章間の切れ目もなく、続けて演奏されます。オペラの序曲のスタイルですね。その真ん中のゆっくりした部分でのオーボエ・ソロが素敵です。
唯一馴染みのある「
25番」は、先ほどのフィッシャーのライナーでは「痛み」がテーマなのだそうです。そのせっぱ詰まった表現は、確かに「痛み」を共有できるほどの激しさでした。その中で、大きくテンポを落として朗々と歌われる第1楽章のオーボエのテーマは、さしずめ「癒し」でしょうか。例えば、この曲がフィーチャーされたあの映画で、もしマリナーの今となってはかったるい演奏ではなくこれが使われていたとしたら、あの映画はもっと起伏に富んだものになったのでは、と思わせられるほどの、感情の振幅の大きい、したがって心を打つ演奏です。
SACDの良さが際立つ録音も、特筆ものです。
こちらでは、それは十分には伝わらないかもしれませんが。
(
8/25追記)
ブログ版へのコメントにより、
「第6巻」もすでにリリースされていることが分かりました。
SACD Artwork © DRS 8