おやぢの部屋2
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BALLAD 名もなき恋のうた
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 「BALLAD 名もなき恋のうた」を見てきました。なんと今日が初日。映画を公開初日に見に行くなんてあまりないことですが、たまたま愚妻がコンクールの追い込みの練習で時間がぽっかり空いてしまったのと、その練習会場が幸町だったので、利府には近かったからという2つの理由からです。しかし、なんたってこれだけプロモーションを繰り広げている作品ですから、もしかしたら満員で入れないかもしれません。その時は、次の会を見ても間に合うぐらい、「ヒマ」でした。
 ところが、予想に反して利府の駐車場はガラガラ、チケット売り場も誰もいません。私が見たのは3度目の回ですが、場内は20人いるかいないか。ちょっと信じられません。これだけ見ると、大コケ。まあ、インフルエンザのせいもあるのでしょうかね。私も、愚妻に無理矢理マスクを渡されていましたし。しかし、そんなもの、全く必要のないほどの空き具合でしたよ(もちろん、マスクはちゃんと付けましたからね)。
 予想に反していたのは、映画の出来もでした。なにしろ、あの「三丁目」シリーズを作った山崎貴監督ですから、さぞや泣ける仕上がりになっていると期待していたのですが、とうとうあの時のような「やられた!」というようなシーンは出ては来ませんでした。
 ご存じのように、これは「クレヨンしんちゃん」が原作になっています。マンガでこれの骨組みになるようなものがあって、それを膨らませて劇場用のアニメにしたもののプロットを、ほぼ忠実になぞっているようでした(アニメ版は見ていません)。原作のマンガは例によってお気楽なハッピーエンドになっていますが、それがアニメになったときには、ちょっと「しんちゃん」ではあり得ないようなエンディングになっていたそうなのです。もちろん、今回の実写版もそれが踏襲されているのでしょう、そのエンディングは「それはないだろう」というものでした。というか、アニメでのエンディングをさらに一ひねりして別の形にするのだろうな、と思って見ていたものですから、なおさら失望してしまいました。例えば、しんちゃん、ではなく、しんいちが貸してやった携帯電話が胸にしまってあったから、弾が貫通しなかったのだ、とかね。あの携帯は、そういう伏線だと思っていたのですがねぇ。
 おそらく、これが実写版の落とし穴なのではないでしょうか。マンガにしてもアニメにしても、決して優等生ではない、というか、問題ありすぎのキャラが、たまに真面目な顔をして「よいこと」をやる、あるいは、本人は決して「よいこと」だとは思っていなくても、まわりの状況で「よいこと」になってしまうという、かなり強烈な違和感が、「笑い」なり「涙」なりを与えていたのでしょう。それを、いかにも利発そうな子役にやらせてしまったところが、山崎監督の誤算でした。確かに、この子は可愛いし、笑い顔などはとても救われる思いがするのですが、そこからは生まれる物語は当たり前すぎるものにしかなりません。「しんちゃん」の持っていたキャラが周りの人間との間に作り出す絶妙の世界、それがないことには、アニメを超えることは出来ないのではないでしょうか。
 父親の「ヒロシ」が、ここでは「アキラ」となっていたのは、受けましたがね。しかし、斎藤由貴が出演していたのを、エンドロールで見るまで気が付かなかったとは。
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by jurassic_oyaji | 2009-09-05 20:50 | 禁断 | Comments(0)