おやぢの部屋2
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巨匠(マエストロ)たちの録音現場
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井坂紘著
春秋社刊

ISBN978-4-393-93545-3



レコード・プロデューサー(正確には「レコーディング・プロデューサー」でしょうか)という職種については、最近ではかなりその実態が知られるようになってきました。もっとも、それはクラシックよりはポップスの世界での出来事のように思えます。「マイケル・ジャクソンのアルバムは、クインシー・ジョーンズがプロデュースした」みたいに、果物のような名前(それは「クインシーメロン」)のかつてのジャズ・ミュージシャンは、この不世出のスーパースターのプロデューサーとして広く知られています。
プロデューサーというのは、本来はレコード会社の社員として、会社全体のニーズに応える形で、与えられた予算の中でレコードを制作する仕事を与えられた人たちのことを指し示す言葉でした。例えばあの「ザ・ビートルズ」のプロデューサーだったジョージ・マーティンは、EMI系列のPARLOPHONEという会社のサラリーマンでした。彼の場合は単なる制作管理のみならず、編曲や、場合によってはソングライティングにも関与するという、音楽的なサポートもその「仕事」の範疇、なんと「In My Life」や「Lovely Rita」では自らのピアノソロまで披露しています。
クラシックでも、単に録音セッションを仕切るだけではなく、演奏家に対して音楽的なサジェスチョンを与えるのも、プロデューサーの役目である、と、ご自身もその職業に携わっている著者は力説しています。そんな大先輩、ジョン・カルショーのことを綴った部分を最後に持つこの本は、その半分ほどはかつて「レコード芸術」誌に連載されていたものでした。連載中にはもちろん目にしてはいたのですが、そのカルショーの記述が、彼自身の著作「レコードはまっすぐに」(このみっともない邦題は何とかならないものでしょうか)と「リング・リザウンディング」の引き写しに過ぎないような気がして、積極的に読む気にはなれませんでした。しかし、今回の単行本では、書き下ろしでカラヤンの項目が加わっています。こればかりは、いくら「レコ芸」のバックナンバーをひっくり返しても読むことは出来ませんから、買うほかはありません。
そのカラヤンの部分は、時代を追って彼を支えたレコーディング・プロデューサーについて詳細に記述したものです。同じプロデューサーである著者の視点からの言及が、面白くないわけがありません。時代の流れの中で微妙に変わっていくカラヤンとプロデューサーたちの力関係、そこから著者は、まさにカラヤン自身がセルフ・プロデューサーへと成長していく過程を見事に描き出しています。彼が最終的に確立した金儲けのスパイラル、そこでは、カラヤンはプロデューサーたちすらも彼の持ち駒、すなわちプロデュースの対象として支配していたのです。これほど共感できる「カラヤン批判」も希です。
著者は、カルショーや、カラヤンの初期の録音を担当したレッグを理想的なプロデューサーとして描くと同時に、演奏家の言いなりになっていたグールドのプロデューサー、アンドルー・カズディンなどに対しては否定的な態度を取っています。演奏家と一緒に音楽を作り上げるのが、プロデューサーの仕事なのだ、と。しかし、現在ではそんな理想的な仕事を全うできる環境は極めて限られたものになってしまっているのではないでしょうか。ほんの少し編集が加えられただけのライブ録音や、ひどいときにはミスがそのまま残っている放送音源が堂々と商品として流通しているのですからね。
かつては確かに存在していたはずの「レコード芸術」という概念(雑誌の名前ではなく)、それが死に絶える前にぜひとも語り伝えたい、そんな著者の悲痛な思いだけは、確実に受け止めることが出来るはずです。

Book Artwork © Shunjusha
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by jurassic_oyaji | 2009-09-18 22:02 | 書籍 | Comments(0)