おやぢの部屋2
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Romantic Flute Concertos
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Gaby Pas-Van Riet(Fl)
Fabrice Bollon/
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/98.596



1959年生まれ、1983年からシュトゥットガルト放送交響楽団の首席フルート奏者を務めているギャビイ・パ=ヴァン・リエト(ベルギー人なので日本語表記は困難、さまざまな表記が乱立している中で信頼の置けそうなムラマツのサイトでのものを採用しました)のソロアルバムです。彼女はその名門オーケストラのポストに20年以上も在籍、多くのコンサートでソロパートを担当(ノリントンとのブラームスの交響曲全集のDVDでは、2番以外でトップを吹いています)しているだけでなく、音楽大学の教授なども務めています。
ソリストとしても、恩師グラーフとの共演アルバム(CLAVES)など、アンサンブルを中心に多くのCDをリリースしていますが、今回は彼女と同郷、ベルギーの作曲家たちの協奏曲を3曲、彼女の職場の同僚のバックで演奏しています。その作曲家とは19世紀後半に活躍したペーテル・ブノワとヘンドリク・ウェルプット、そしてその2人の先生であるフランソワ・ジョセフ・フェティスという、現在では完璧に忘れ去られている作曲家、ウェルプットあたりは楽譜も出版されていないので、自筆稿を用いているほどです。
その時代、「ロマン派」と呼ばれている時代の作曲家たちは、なぜかフルートという楽器に対して冷淡でした。ピアノやヴァイオリンではあれ程多くの名協奏曲を書いたベートーヴェンやブラームスなどは、この楽器のための協奏曲など全く作ってはいません。この時代で唯一聴くことの出来る「まともな」フルート協奏曲といえば、カール・ライネッケという、おそらくモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」の定番のカデンツァを作ったことすらもほとんど知られていない(そんなことはないねっけ)ほどマイナーな作曲家の作品しかありません。この頃楽器自体が過渡期にあったことがその一つの要因です。
しかし、そんなフルートのための作品がすっぽり抜け落ちているように見える「ロマン派」の時代でも、決して曲が作られなかったわけではありません。それらは、単に、そのような曲を作った作曲家たちが歴史的なふるいにかけられた結果、現在では先ほどのライネッケ以上に(以下に)マイナーになってしまっただけのことなのです。ですから、今回のリエトの仕事のように、実際に音として味わう機会さえあれば、それらの曲の魅力は同時代の他の楽器のための協奏曲に決してひけをとらないものであることが分かることになります。
ここで演奏されている3曲の中で、そんな魅力が最も良く感じられるのは、ブノワの「フルートとオーケストラのための交響詩」でしょう。3つの楽章には「鬼火」、「メランコリー」、「鬼火の踊り」というタイトルが付けられていて、いかにもロマン派の産物である劇的な情景描写が感じられる作品です。その中でフルートはまさに一筋の煌めきとして、音楽全体に生き生きとしたアクセントを与えています。真ん中の楽章の叙情的なメロディも、フルートの持つ叙情性をとことん信じた作り方です。
同世代のウェルプットの「フルートとオーケストラのための交響的協奏曲」も、やはり深い叙情と、そしてフルートの超絶技巧を遺憾なく味わえるものです。
さらに、その2人より40歳以上年上のフェティスが85歳の時に作ったという「フルートとオーケストラのための協奏曲」は、そんな高齢の人が作ったとは思えないほどの複雑な技法が散りばめられた曲です。ただ、その分他の2人よりはやや音楽としての重みが少なくなっているような気はします。
リエトは、これらの難曲を、その持ち前のテクニックでいとも鮮やかに吹きこなしていて、まさに胸のすく思いです。ただ、ゆっくりとしたパッセージでは、ちょっと「ちりめん」っぽいビブラートが耳障りに感じられる人がいるかもしれません。
いずれにしても、単にフルーティストにとどまらない、音楽愛好家にとっては魅力的この上ない曲たちを紹介してくれたのは、とても嬉しいことです。

CD Artwork © SWR Media Services GmbH
by jurassic_oyaji | 2009-10-14 20:46 | フルート | Comments(0)