おやぢの部屋2
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MAHLER/Symphony No.9
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Alan Gilbert/
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-1710(hybrid SACD)



ともにニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者だった日本人の母親とアメリカ人の父親の間に生まれたアラン・ギルバート(1967年生まれですから、アランフォー)は、そのニューヨーク・フィルの歴史の中で初めてのニューヨーク生まれの音楽監督としてのキャリアを、つい最近スタートさせたばかりです。全くの余談ですが、先日ご紹介した世界のオーケストラのムックを読み直していたら、「09年秋に、NY生まれのケント・ギルバートが音楽監督に就任する」と書いてあったのを発見してしまいました。弁護士が指揮者に転身!でしょうか。思いこみとは恐ろしいものです。
それはともかく、彼のそれまでのポストが、このロイヤル・ストックホルム・フィルの首席指揮者、この録音が行われた2008年の6月には、ちょうど首席指揮者としての最後のコンサートが行われていたそうです。
マーラーの9番といえば、彼の作品の中でもひときわ複雑で難解なものとされています。さらに、曲の中にまざまざと感じられる、迫り来る「死」の予感、ある人に言わせれば、この曲を知っているのと知らないのとでは、人生観そのものが変わってしまうほどの影響力があるのだそうです。確かに、この作品の中にあらわれるテーマたちには、なんとも行き場をなくしてしまったような切なさが漂っています。
曲の始まりからして、そんなはっきり割り切ることの出来ない音楽の予感を与えられるものです。なにしろ、最初に登場するまともなテーマらしきものが、ミュートを付けたホルンという極めて脆弱な存在感の楽器によって奏でられるのですからね。ギルバートは、こんなつかみ所のない音楽を、聴いているものに的確に伝えるために、なにか具体的な現象をイメージさせるような方法をとっているようにも感じられます。そのための、さまざまなキャラクターを持つフレーズやパッセージを、その特徴が際立つような形に歌い分けてくれています。例えば、最初の楽章の真ん中過ぎに現れる「葬列のように」というマーラーの表記がある部分では、トランペットの奏でるマーチに乗って進む重々しいお葬式の行列が通り過ぎる様子が描かれます。それを見送るかのように小声でさえずる小鳥たち、そして、遠くの方からは、教会の鐘の音が聞こえてきます。こんな情景が、まるで絵画のようにギルバートの手によって描き出されているのです。
最後の楽章は、それまでの「死」のイメージから、それを乗り越えた浄化された世界に変わります。ほとんど弦楽器のみで演奏されるそのゆったりとした音楽は、まさに「5番」の「アダージェット」と同質の穏やかなテイストを持っています。しかし、「5番」と異なるのは、時折加わってくる金管楽器やバスドラム、シンバルなどによって、とてつもない荒々しい表現も見せる、という点です。真ん中あたりで見られるクライマックスが、そんな幅広いダイナミック・レンジの聴かせどころでしょうか。
そんな、金管とバスドラムの咆哮のあとに、瞬時にして訪れる平静なシーンでギルバートが強調したのは、なんとも穏やかでキャッチーなメロディ。それはまさにあのアーヴィング・バーリンの名曲「ホワイト・クリスマス」のメロディそのものではありませんか。そういえば、3楽章の途中でも、確かにこのメロディは聞こえてきたはずなのですが、なぜかそんな連想は出来ませんでしたよ。
もちろん、この映画音楽が作られたのはマーラーが亡くなって30年も経ってからのことですから、彼自身にはよもやこの旋律が後にクリスマス・ソングの定番に形を変えることなど思いもよらなかったことでしょうね。でも、「ホワイト・クリスマス」を知ってしまった私たちには、この旋律の中に、降りしきる雪の情景を重ねてしまうのはごく自然のことです。時代を超えて、全くジャンルの異なる二人の作曲家が同じメロディを用いて描いて見せた世界、そんな思いがけないことにふと気づかされるのが、このギルバートの演奏です。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2009-10-22 21:11 | オーケストラ | Comments(0)