おやぢの部屋2
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DVORÁK/Symphony No.9
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Roger Norrington/
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.251




ベートーヴェンやブラームス、さらにはマーラーまで斬新なアプローチで聴くものを驚かせてきたノリントンですから、この「新世界」にも期待しないわけにはいきません。今回はいったいどんな衝撃を与えてくれるのでしょう。
果たせるかな、最初に聞こえてきた第1楽章の弦楽器による序奏は、まさに想像を絶するようなインパクトを持ったものでした。なんという速いテンポ、まさにオリジナル楽器による演奏で初めてモーツァルトのアダージョ楽章を聴いたときの新鮮さが思い起こされる感じでした。ただ、次の瞬間、その「速さ」は、あくまでビブラートをかけていない楽器の特性によるものであり、決してここでドヴォルザークが求めている表現ではないことにも気づきます。それはビブラートなしでボヘミアの魂を歌い上げることの限界を、ノリントン自らが認めているようないかにも投げやりなテンポ設定だったのです。
続いて、フルート(この重めの音はリエトでしょうか)を中心にした木管アンサンブルが同じフレーズを吹き出すと、それは今までのテンポとは全く変わって、ごく普通のゆったりとしたものになっていました。もちろん、そこではフルートにもオーボエにもたっぷりしたビブラートが付けられていて、先ほどまでのストイックさは影も形もなくなっています。いったいあれはなんだったのか、と思えるほどの、それは変わり身の速さでした。
その後は、テンポに関してはなんの「冒険」も見られません。しかし、ノリントンならではの、楽譜には書かれていないインプレッションの高まりは、ゾクゾクするものを感じさせてくれます。それは、ついさっき聴いていた衝撃的なイントロのテンポを忘れさせてくれるほどの、濃い「味付け」でした。
第2楽章は、一転して「薄い」味に変わります。それは、なんといってもノンビブラートの弦楽器の淡白さに起因するものなのでしょう。その落ち着いたたたずまいは、確かに澄みきった世界を見る思い、おそらくこのあたりが、ノリントンの「技」が最も冴えを発揮しているところなのでしょう。
ただ、メインの交響曲以上に面白かったのが、カップリングの「謝肉祭」でした。おそらくアンコールででも演奏されたのでしょう、いきなりアグレッシブに迫ってくるオープニングには、無条件に圧倒されてしまいます。そして、もう見境ないほどのオーバーな表情付け、まさに音楽が「生きている」ということをまざまざと感じさせられるものでした。ただ、面白かったのは実はそんなことではなく、そのあとに続く朗々とした弦楽器のフレーズが、全くつまらなかったことです。もちろんそれはノンビブラートのせい、それまでの音楽がしっかり「生きて」いたのに、この瞬間、まるで「死んだ」ような音楽に変わってしまったのですからね。
ところが、さらにしばらくして出てくるヴァイオリン・ソロが、なんともびしょびしょのビブラートをかけているではありませんか。うすうすと感じてはいたのですが、ノリントンの「ノンビブラート」というのは、あくまでトッティの弦楽器だけに適用されるもので、ソロ楽器についてはその限りではない、ということなのでしょうね。確かに、木管のソロなどは今までもしっかりビブラートをかけていましたし。
しかし、気持ちは分かりますが、なんか変な気はしませんか?ノリントンの思想の出発点は、「20世紀の初頭まで、オーケストラの中の弦楽器がビブラートをかけていたことはない」という主張です。この「弦楽器」には、当然ソロも含まれるはず、それがこんなにビブラートをかけていて、いいものなのでしょうか(ソロもみんなにそろえないと)?
あるいは、そんな細かいことにはこだわらないのが、そもそものノリントンの芸風だったのかもしれませんね。「新世界」の頭のように。

CD Artwork © SWR Media Services GmbH
by jurassic_oyaji | 2009-11-05 20:16 | オーケストラ | Comments(0)