おやぢの部屋2
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VOGLER/Symphonies, Overtures, Ballets
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Matthias Bamert/
London Mozart Players
CHANDOS/CHAN 10504




「レクイエム」を聴いてすっかりハマってしまい、別の演奏家による2種類のCDを2回連続で「おやぢ」に登場させるという暴挙に出てしまったというフォーグラーですが、今回は交響曲などのインストもののアルバムを、いそいそとご紹介です。「私の好きな人に、どうか会って下さい、お父さん」みたいな。
音楽理論家や教育者としての実績は認められてはいても、作曲家としてのフォーグラーはほぼ完璧に音楽史からは抹殺されているのは、あのモーツァルトが彼のことを糞味噌にけなしまくったことが大きな原因になっているのではないでしょうか。有名な「手紙」の中で、モーツァルトは実際にフォーグラーを「糞」呼ばわりしているのですからね。
ご存じのように、モーツァルトは17771030日から1778年3月14日までの間にマンハイムに滞在して、当時最も高いレベルを誇っていた宮廷楽団への就活に励むことになるのですが(もちろん、「内定」が出ることはありませんでした)、その時にはフォーグラーはイタリアでの修行を終えて副楽長に就任したばかりだったのですね。何度か彼のことが話題に上ったあと、1778年の1月17日の手紙では、自宅にフォーグラーがやって来て、ピアノを弾いたときのことが書かれます。
彼はぼくの協奏曲を、初見で、ひきまくりました。第1楽章はまるでプレスティッシモ、アンダンテはアレグロ、ロンドときたら文字通りプレスティッシモです。低音は大概、譜面にあるのとは変えてひき、時には和声も別、旋律さえも変えていました。こう早くては、そうするより仕方がないでしょう。譜面を見ることもできないし、手だってひきこなせません。ですが、それがどうだっていうのでしょう?-初見といったって、こんなひき方はぼくには糞をするのと違わない(吉田秀和訳)。

もし仮に、ピーター・シェーファーの戯曲をミロス・フォアマンが映画化した「アマデウス」という作品が史実に正しく基づいていたのだとすれば、その数年後にウィーンの宮廷でモーツァルトがアントニオ・サリエリに対して行ったことは、このときのフォーグラーの演奏と全く同じ意味を持つものだったのではないでしょうか。フォーグラーがこれらの手紙を読んだとしたら、「おまえにだけは言われたくない」と叫んでいたことでしょう。というか、そもそもこれはとんでもない名誉毀損ですし。「2ちゃん」みたいな。
「レクイエム」でもうっすらと感じられていたフォーグラーの時代様式を超えた作風、それは、このアルバムの曲を聴くことでさらにはっきり分かるようになりました。いろいろな要素が絡まり合ってそんな印象が生まれるのでしょうが、最大の特徴は、彼の作るメロディには、殆ど「倚音(いおん)」が使われていないということです。倚音というのは空気を爽やかにするもの(それは「マイナスイオン」)ではなく、拍の頭によく使われるその部分のコードの構成音からは半音か一音ずれた音のことです。実例がこちらのタミーノのアリア。25.4秒と29.6秒付近に出てきます。その音が出た瞬間には「不協和音」だったものが、次の瞬間にはコードに収まる音に変わって「協和音」に「解決」するというのがミソ。これさえあれば、いかにも「モーツァルト」と、その時代の音楽のように聞こえます。
逆に言えば、この手法は「その時代」でなければ通用しなかった「味」ということにはなりませんか?現代の作曲家がこれをやったら「なんとロマンチック」と失笑を買うのがオチです。フォーグラーの作品が今でも勢いを失っていないと感じられるのは、もしかしたら「倚音」を使わなかったせいなのでは、と思うのですが、どうでしょう。
ですから、このアルバムの中での「バレエ組曲第2番」の最後のメヌエットなどは、逆に「倚音」が多用されているために違和感があったりします。

CD Artwork © Chandos Records Ltd
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by jurassic_oyaji | 2009-12-20 23:10 | オーケストラ | Comments(0)