おやぢの部屋2
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バイオリニストは目が赤い
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鶴我裕子著
新潮社刊(新潮文庫)

ISBN978-4-10-129691-3




N響でヴァイオリンを弾いておられた鶴我さんという方、ご存じでしょうか?だいたいファーストの後ろのほうのプルトですから、セカンドの並んでいる列の後ろあたりにいたような気がする、あまり若くない方です。というか、この度定年退職をお迎えになったそうなので、そのぐらいのお年だったのでしょう。もう少し若いかな、とは思っていましたが。
この方のお書きになる文章が、なかなか面白いのは、だいぶ前から知っていました。最初に読んだのは、確か立風書房の「200CD」シリーズの中だったでしょうか。その中で、他のライターたちのありきたりの文章とはちょっと違った、プロの演奏家ならではの実体験に裏打ちされた研ぎ澄まされた感覚がそのまま文章の中に反映されているのが光っていて、強く印象に残っていた覚えがあります。
実は、鶴我さんはかなり広範囲にライター稼業を展開なさっていたようで、それだけを集めて2005年に単行本を1冊出版されていました。それが「バイオリニストは肩が凝る」という本だったのですが、今回タイトルを少し改めて文庫化されました。
集められたものは、かなり長い年月にわたって書きためられていたもののようで、中にはすでに「歴史」としても重みさえ持つような記述があったりしますから、まずそんなさまざまな「証言」を興味深く味わわせてもらうことになります。なによりも、彼女自身が山形のご出身だったというのが驚きでした。ちゃきちゃきの江戸っ子みたいな勝手な印象があったものですから。最初の師匠が○澤氏だなどと聞くと、かなりの親近感が湧いてしまいます。同門の人が身近にいるもので。
そして、N響に入ってからの、もはや現在では現役を去ったか、物故された(あるいはぶっ殺された)指揮者たちの「現場」の姿が生々しく描かれているのが、なんといっても貴重な記録で興味は尽きません。最近では、ブログなどでリアルタイムに団員によるそのようなレポートが簡単に読めるようになっていますが、彼女の記述は彼女が本当に尊敬できる人、というフィルターがかかっている分、そんなあまたのブログとは丁寧さのレベルが違っています。シュタイン、サヴァリッシュといった、最近とみに少なくなった本当の「巨匠」たちの姿を通しての、音楽の作られ方を、彼女の絶妙の筆さばきで堪能することが出来ますよ。もちろん、彼らの知られざる「素顔」も。
もっと最近のことでは、N響としては珍しい体験であるオペラの現場に関する部分が、とても面白いものでした。新国立劇場でのワーグナーの「神々の黄昏」の、最初のリハーサルから本番までのドキュメンタリー、普段のシンフォニー・コンサートとは全く異なる長時間で濃密な体験を、それこそ「譜読み」から「本番」までドキドキしながら味わえますよ。それにしても、ダブルキャストなのでゲネプロも2回やらなければならないなんて、大変ですね。あの長い曲を。
そんな特殊な日常を、彼女はいとも軽やかな文体で綴ってくれています。そう、この本のなによりの魅力は、そんな、まるで少年(いや「少女」ですが)のように好奇心旺盛な彼女の、ちょっと斜に構えた、それでいて暖かい文体に触れられることではないでしょうか。そこからは、まさに彼女の全人格がにじみ出てくるような気さえしてくるほど、心に直接伝わるものがあります。
後半の「裕子の音楽用語事典」も秀逸。微妙にハズしたその解説からは、読み手の知識が豊富なほど、著者が込めた笑いがツボにはまることでしょう。
読んでいて心が豊かになるエッセイからは、必ず書き手自身の人間性が漂ってくると感じられるものです。そういう意味で、これはまさに極上のエッセイです。

Book Artwork © Shinchosha
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by jurassic_oyaji | 2010-01-04 21:02 | 書籍 | Comments(0)