Charles Munch/
Orchestre de Paris
ALTUS/ALT182
時の文化大臣、アンドレ・マルローによって「パリ音楽院管弦楽団」という由緒あるオーケストラが解体、再編され、新たに「パリ管弦楽団」、いわゆる「パリ管」という団体が発足したのは
1967年のことでした。みんなでお金を出し合ったのですね(それは「
割り勘」)。その年の
11月
14日に、初代音楽監督であるシャルル・ミュンシュの指揮によって開催されたコンサートが、このオーケストラのデビューとなります。その歴史的なコンサートの模様を伝えるのが、この
CDです。全部で3曲のプログラムのうちの、ドビュッシーの「海」とベルリオーズの「幻想」が収録されています。
ミュンシュとパリ管の「幻想」といえば、このコンサートに先だつ
1967年
10月に
EMIによってセッション録音されたものが有名です。これは、この曲の一つの「名演」として、そのようなランキングの際には必ず登場することになるベストセラーであることは、ご存じの通りでしょう。特に、ミュンシュの「熱い」指揮ぶりが、多くのファンを獲得したのではないでしょうか。
しかし、そのほんの1ヶ月後に録音された今回のライブ盤を聴くと、
EMI盤とはかなり演奏の中身が異なっていることに気づきます。単純に演奏時間を比較しただけでも、それは明らかです(
10月のセッション/
11月のライブ)。
- 第1楽章(13'44"/13'12")
- 第2楽章(6'13"/6'11")
- 第3楽章(14'49"/12'46")
- 第4楽章(4'25"/4'04")
- 第5楽章(9'42"/8'28")
もちろん、ミュンシュは1楽章や4楽章の繰り返しはどちらの録音でも行っていませんから、これは単純にテンポの違いになるのですが、同じ演奏家がほぼ同じ時期に演奏したものが、これだけ異なるテンポになっているというのは、とんでもないことなのではないでしょうか。
実は、恥ずかしながらミュンシュの
EMI盤は最近まで聴いたことがありませんでした。ある時思い立って、巷で評判のこの「熱い」演奏がどんなものなのか、意気込んで聴いてみたのですが、正直予想していたほどのインパクトが感じられずにちょっと失望してしまいました。この程度のものに、なぜあれほどの賞賛が集まるのか、ちょっと理解できなかったのですよ。ところが、今回のライブは全く別物、このテンポの違いでも分かるように、そこには間違いなく「熱い」ものがてんこ盛りだったのです。特にすごいのは終楽章、まさに、荒れ狂うばかりの修羅場が、眼前に広がります。このテンポではとてもついて行けないプレーヤーも見受けられますが、そんなことはお構いなしにひたすら突っ走るという疾走感は、とてつもなく気持ちの良いものでした。こんな、血がほとばしり出るような生々しい演奏が聴きたかったのですよ。この前、インマゼールのとことん生ぬるい演奏を聴いたばかりでは、その思いはひとしおです。
EMIのセッション録音を改めて聴き直してみると、フレーズの歌い方や、それらの構成など、ミュンシュの演奏のプラン自体は、ほとんど変わっていないことに気づきます。ただ、セッション録音では、それがいかにもていねいに仕上げられているために、肝心の情感がとても薄いものになってしまっているのです。ライブでは、お客さんに何かを伝えたい、という気持ちが充分すぎるほど感じられるというのに。
今さらですが、これは、「録音」というものを考えるときについてまわる大きな問題なのでは、という気になってきます。かつてのセッション録音というのは、「何度でも繰り返し聴く」ことに耐えるだけの「品質」を確保することが最も優先されていたはずです。しかし、ミュンシュのようなアーティストの場合は、お客さんを前にして初めて発することが出来るオーラのようなものが、そんな制約のあるセッションの現場では現れることはなかったのでしょうね。
カップリングの「海」からも、ドビュッシーにはあるまじき炎のようなすさまじさが発散されています。これも、
1956年のボストン響とのセッション録音(
RCA)からは、殆ど感じられなかったものです。
CD Artwork © Tomei Electronics Co. Ltd.