Olivia Robinson(Sop), Edward Price(Bar)
Jane Watts(Org)
David Hill/
The Bach Choir
Southern Sinfonia
NAXOS/8.572317
なにかと突っ込みどころの多いこのレーベルのタスキですが、この曲のキャッチコピーが「フォーレとラターとペンデレツキが好きな人にはオススメ」ですって。なんだか、執筆者佐久間(笑)の好みを見透かしているような煽り方ではありませんか。とても他人とは思えません。もしかして知っている人かも。いや、それはあり得ませんが、こんな言い方で薦められれば、まんまと化かされてしまいます(それは「
タヌキ」)。実は、カール・リュッティという作曲家の曲も、だいぶ前にこんな
アンソロジーCDの中ですでに聴いていました。
リュッティという人はスイスで生まれ、スイスで教育を受けたのですが、イギリスの高いレベルの合唱団を聴いて驚き、合唱のために曲を作りたいと思ったのだそうですね。それからは多くの作品を「イギリスの合唱団」のために作っており、このジャンルでは殆ど「イギリスの作曲家」のような扱いを受けています。日本でも、彼の作品を取り上げている合唱団があるそうですし、オルガンの分野でもかなり知られている作曲家なのだそうですね。
ここで演奏しているデイヴィッド・ヒルと
バッハ合唱団からの委嘱を受けて
2007年に作られた「レクイエム」は、
2008年の2月に彼らによって初演されました。その初演メンバーからソプラノのソリストだけが別の人に代わって
2009年2月に録音されたものが、この
CDです。
とりあえずタスキに乗せられたフリをして、そこであげられていた3人の作曲家との共通点でも探してみることにしましょうか。まず「フォーレ」ですか。確かに、曲の構成は、モーツァルトやヴェルディ系のフルサイズのテキストではなく、フォーレや、そしてデュリュフレのように、「
Dies irae」で始まり「
Lacrimosa」で終わる「
Sequentia」というパートがありません。その代わりに含まれる「
In Paradisum」が最後にあるのも同じ、しかし、「
Pie Jesu」と「
Libera me」はありません。このテキストでフォーレは劇的な要素を廃した落ち着いた曲想を貫くことになるのですが、リュッティの場合は、どちらかというとデュリュフレのように、「
Offertorium」で派手に盛り上がる作風をとっていました。したがって、「フォーレ」というのはちょっとハズレっぽいですね。
次の「ラター」(いわゆる「ラッター」)というのは、楽想がベタで分かりやすい、ということなのでしょうか。そういえば、「
Agnus Dei」の後半のメロディなどは、しっかりクリシェなどが使われてキャッチーな感じはします。しかし、正直その部分だけがやけに浮いて聞こえてきて、全体的にはラッターのような真の意味での親しみやすさはあまり感じられません。合唱だけを聴くと確かに穏やかなのですが、伴奏のオケが意図的に溶け合わない造りになっていて、なにか、常に暗いものに覆われているような雰囲気が、曲全体に漂っているのですね。
もしかしたら、タスキはそんなちょっとあやふやなテイストを「ペンデレツキ」という「記号」で表現していたのかもしれません。「わけの分からない音楽=ペンデレツキ」という人には、今でもしばしばお目にかかれますからね。しかし、リュッティの語法は、ペンデレツキが最もペンデレツキらしかった(変な言い方ですね)頃の作風とは似て非なるものでしょう。リュッティがここで用いているのは、「多調」という、以前のタスキの言葉を借りればもっと「スタイリッシュ」な手法なのです。
やはり、そんな、他人との比較ではない、リュッティ自身の音楽に謙虚に耳を傾けてみるのが大事。曲の始まりはソプラノのソロだけでシンプルに始まり、そこに合唱が加わるという構成、とうとう1曲目にはオーケストラは加わりません。そして、最後の曲でも、終わりはソプラノソロだけです。これは、「誰でも生まれてくるときや、そして死ぬときは、結局一人」という彼の死生観のあらわれなのでしょうか。それでは、あまりにも寂しすぎませんか?
CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.