おやぢの部屋2
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ピアニストという蛮族がいる
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中村紘子著
中央公論新社刊(中公文庫)
ISBN978-4-12-205242-0



中村紘子さんが20年近く前に文藝春秋社から出版したこの単行本は、そのすぐ後には同じ出版社から文庫となって登場、中村さんの他の著作同様、音楽関係者だけではない広い読者層を獲得している書物となっています。昨年デビュー50周年を迎えたという記念の年に便乗したのでしょうか、今回別の出版社から新たに文庫本として再登場しました。
さまざまなピアニストの、ほとんど評伝と言っていい詳細な描写によって埋め尽くされているこの本は、中村さんの「物書き」としての卓越した技量を余すところなく世に知らしめるものです。ほんと、天は彼女にピアノを演奏する能力と文章を書く能力の両方を最大限にお与えになったのですね。おっと、もう一つ、まさに城を傾けるほどの美貌までお与えになっているのは、ご存じの通りです。いやあ、もはやとっくに還暦などは過ぎているというのに、あの美しさはどうでしょう。さらに大家としての貫禄まで。
ここで取り上げられているピアニスト、最初のうちはホロヴィッツとかラフマニノフといった、まさに大ピアニストたちですから、特にここで読まなくても、他にいくらでも資料がありそうな気がします。もちろん、そんな資料を駆使した、まさにピアニストならではの鋭い視線は、ここでしか味わえないものなのでしょう。
しかし、そのあとの、明治時代、まさに日本が西洋音楽を初めて取り入れた時の先駆者となった2人の女性について描かれた部分は、なんとも言えない迫力を伴うものでした。まず、名前だけは知っていても、その素顔にはなかなか接することの出来なかった幸田延については、演奏家、指導者としての華やかな経歴とともに、あまりに日本的な理由での失脚にいたるまでの経緯が、詳細に描かれています。そこには、まさに、同じ女性としてトップを極めた中村さんならではの視線が感じられます。
そして、名前も知らなかった久野久の生涯が語られるときには、その、事実のみが持ちうる重みによって、ドラマティックな感動を味わうことになります。日本にいるときこそ、最大の讃辞を浴びた彼女のベートーヴェンの演奏が、ヨーロッパではなんの価値もない、ほとんど初心者と変わらない拙いものであることを悟ったという、とてつもなく残酷な現実、これを、中村さんはご自身の体験とも重ねることによって、痛々しいほどに描ききっています。
それにしても、邦楽しか学んだことのなかった少女が、音楽大学に入るために西洋のクラシック音楽をいきなり勉強して、それがそこそこ(もちろん、ただならぬ努力があってのことですが)通用してしまう当時の日本のクラシック事情というのは、なんともものすごいものだったのですね。その力が「本場」では全く通用しないことを悟って自ら命を絶ってしまうほどの犠牲が、今の「クラシック」の隆盛を、もしかしたら支えているのかもしれません。
しかし、同じように幼少の頃は何一つ「クラシック」の素養のなかった少女が、初めてピアノに触れた時にいきなりその才能を開花させるという、オーストリアのタスマニア島出身のアイリーン・ジョイスの評伝に立ち会うとき、そこに久野とは根本的に異なるなにかを感じるのは、もしかしたら中村さんの巧妙なトリックのせいなのでしょうか。同じく、未知なものとしての「クラシック」に対して、ジョイスは久野に比べたらいともたやすく成功を勝ち取ることが出来ました。そこには、西洋人が作り上げてきた「クラシック」という文化の、本質的な特性が隠されているのでは、とは感じられないでしょうか。あたかも世界共通、グローバルであるかに見える「クラシック」、しかし、実際にはそれは東洋の島国の人間の持つ「文化」あるいは「精神構造」、もっと言えばDNAを真っ向から拒んだ上に成り立っているものなのかもしれませんね。

Book Artwork © Chuokoron-Shinsha, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2010-01-23 19:52 | 書籍 | Comments(0)