おやぢの部屋2
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FRANCK, GOUNOD/Sept Paroles du Christ sur la Croix
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Marcelo Giannini(Org)
Luc Aeschlimann(Vc)
Laure Ermacora(Hp)
Michel Corboz/
Ensemble Vocal de Lausanne
MIRARE/MIR 106




コルボの最新録音は、フランクとグノーの「十字架上のキリストの7つの言葉」という、なんとも珍しい曲でした(グノーのタイトルは、正確には「十字架上のわれらが主イエス・キリストの7つの言葉
Les Sept Paroles de Notre Seigneur Jésus-Christ sur la Croix」)。これが録音されたのが昨年の夏、ロケーションは彼のお気に入りのフランスのヴィルファヴァール農園です。一昨年の「ロ短調」のように、毎年夏にはここで録音を行う、というのが、彼の年中行事になっているのでしょうか。ただ、今回は納屋を改造したオーディトリアムではなく、小さな教会のようなところですね。敷地内のいろいろな場所で録音が出来るというのが、ここのウリなのかもしれません。この教会には、カヴァイエ・コルの小振りなオルガンが設置されていて、ここではその鄙びた音も聴くことが出来ますよ。
そう、今回録音された2曲は、どちらもそんな小さなオルガンだけで伴奏が出来てしまうような、小規模な宗教曲です。フランクの場合には、それにチェロとハープが加わります。
どちらも全く聴いたことのない曲、そんな人のために、ライナーには聴きどころとして「ともに1850年頃にパリで作られた、同じ題材による全く異なる性格をもつ2つの傑作」とありますよ。別に、結託したわけではないのでしょうが、ほとんど同じ時期に同じようなテーマで2人の「大」作曲家が作ったものを聴き比べるというのは、面白い試みです。フランクとグノーでは確かに作風は全然違うでしょうしね。渋さのフランク、vs、派手なグノー、でしょうか。
しかし、どちらの作曲家に対しても、それほどの深い知識と経験を持たない人が抱いたそんな先入観は、実際に曲を聴き始めると見事に崩れ去ることになるのです。フランクの「7つの言葉」の、なんと明るいことでしょう。これって、キリストが十字架にかけられたときに語られたという言葉、いわば「遺言」というか、「辞世の句」を集めたという涙なくしては味わえないようなお話ですよね。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」とかね。しかし、そこにフランクが付けた音楽ときたら、「渋い」どころか、チェロはベタベタに甘~いメロディを奏でるわ、ハープは華麗に盛り上げるわ、ソリストたちはノーテンキに歌いまくるわで、「慎み深さ」といったものが全くないんですからね。極めつけはコーラス。殆どヴェルディの「ブン・チャッ・チャ」的なノリで陽気に騒ぎ立てるという不謹慎さですよ。
音楽としてはとびきり美しいメロディ満載の親しみやすいものなのですから、魅力はあります。最初のソプラノのソロだって、それだけを取り上げれば極上の「癒し」にはなり得ますが、そのテキストとのあまりのミスマッチは、フランクという人の人格すらも疑いたくなるようなものなんですよね。まあ、いくら大作曲家といっても失敗作はあるもので、これなんかは本当は「なかったことにしたい」作品なのかもしれません。そんなものをわざわざ引っ張り出してきて、フランクさんに恥をかかせてしまったコルボっていったい・・・。
一方のグノーといえば、華やかなバレエ音楽の印象が強いものですからこれを聴いてフランクとは逆の意味で裏切られた思いを味わってしまいました。これは、慎ましさの中に深いメッセージの込められた、まさに「隠れた名曲」ではありませんか。オルガンの控えめな伴奏の中で、合唱はまるでルネッサンスの頃のようなたたずまいを見せています。見た目の華やかさなどはすべて捨て去った、敬虔な祈りだけがそこには漂っているのです。イエスの実際の「言葉」だけが小さなアンサンブルで歌われる、というアイディアが、ほんのわずかな飾り立て、でしょうか。これで、もし、コルボの合唱団がこの世界を的確に表現できるだけの「深さ」を備えていたならば、もう何も言うことはなかったのですが。

CD Artwork © Mirare
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by jurassic_oyaji | 2010-02-22 20:36 | 合唱 | Comments(0)