おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
クラシック音楽は「ミステリー」である
c0039487_1940202.jpg







吉松隆著
講談社刊(講談社+α新書)
ISBN978-4-06-272625-2


「クラシック」+「ミステリー」というタイトルだと、なんだかNHKの「名曲探偵アマデウス」を連想させられますね。もっとも、あちらは「ミステリー」とは名ばかり、実体は「謎解き」に名を借りた単なる「アナリーゼ」ですがね。それに無理矢理こじつけた「ドラマ」が、とことんチープ。そんな強引さが意味もなく笑いを誘うから不思議です。
いやしくも作曲家である吉松隆さんが書いたこんな扇情的なタイトルの本は、「笑い」という点では「名曲探偵」にもひけをとらないものでした。なんたって、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を「ミステリー」に仕立てているのですからね。「ドン・ジョヴァンニは誰に殺されたか」という、この名作オペラをいわば「殺人事件」見立てた「読み替え」は、しかし、読者の知的好奇心を満足させるだけの周到な「本格推理」作品に仕上がっていました。もちろん、そこには読者を最後まで引きつけずにはおかないエンタテインメントとしての要素も満載です。
そもそも、この作品のプロットそのものにもかなり無理があるのは事実です。この物語は1日のうちに起こったものである、という「オペラ・ブッファ」のお約束はともかく、ここでは時間の感覚がとっても曖昧。騎士長を殺したあとドンナ・エルヴィラに会ったのは真夜中のはずですが、次のツェルリーナの結婚式の場は間違いなく真っ昼間でしょうね。ところが、ドン・ジョヴァンニの「うまくいった、あの女(エルヴィラ)は行ってしまったな」というセリフからは、前の場からそんなに時間が経っていないことがうかがえますよ。それはともかく、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが「墓場で」騎士長の石像に会うのはその日の夜、つまり、ドン・ジョヴァンニに殺された騎士長の石像が、なんと「一夜にして」出来上がってしまっている、ということになりますよね。なにしろ、そこは墓だったんですから、生きているうちに作らせたなんてことはあり得ません。いくら仕事がはかどったとしても、無理な話です。
そんな、最大の「疑問」には敢えて触れることはせず、吉松さんはもっぱら石像という命を持たないものが人を殺すことに対しての謎解きに挑みます。そこに登場する「名探偵」のような人達の顔ぶれはなんとも豪華ですよ。中には、元ネタが分からない人もいますが。そして、それこそクリスティの「オリエント急行殺人事件」のように、登場人物全員が犯人なのだ、という可能性まで示唆されます。しかし、「探偵事務所所長」によって最後にあかされる驚愕の「真実」とは・・・。
まあ、「そんなわけはない」と一笑に付すのは簡単なことですが、吉松さんの絶妙の筆致には間違いなく「それもありかな?」と思わせられるだけのものがあります。それを裏付けるのが、実際の「証拠」を、きちんと原曲の中に求めた、という堅実な手法です。まず演奏されることのないウィーン版の異稿からまでもその根拠を見つけ出すというマニアならではの真摯な取り組みには、頭が下がる思いです。
そんな、いわば「お笑い」の世界から一転して、「クリミナル・マインド」ばりの「作曲家のプロファイリング」では、ハードボイルド・ミステリーの世界へと読者を誘います。しかし、そこに待っていたものは、血なまぐさい犯罪現場ではなく、いともまっとうな吉松さん自身の作曲家としての信条告白でした。作曲家、あるいは音楽家としての資質が、幼児からの英才教育を受けたケースと、音楽以外のさまざまな道を経た上での「晩学」のケースとではどのように異なるのか、それを語る著者の言葉には熱いものがあります。
この本は、ウェブサイトで連載されたものをまとめたものなのだそうです。「2ちゃん」から小説が出来てしまったように、これからはこんなケースも増えていくのでしょうね。

Book Artwork © Kodansha


オペラ御殿という素晴らしいサイトを作ってらっしゃる「ミン吉」さんから、この件の私の疑問に対して次のような趣旨のコメントを頂きました。

『ドンナ・エルヴィラに会ったのは真夜中のはず』

確かに、原稿のト書きに楽譜にも「夜」という言葉がありますが、初演の時の台本には実は「明るい夜明け」とあったのだそうです。これはベーレンライター版にもそのような註が記されているそうです。したがって、ここは夜明けの直前となります。実際のステージでも、エルヴィーラが到着したところで夜明けになる演出が多いそうです。
したがって
『ツェルリーナの結婚式の場は間違いなく真っ昼間』

農民は、生活がかなり朝方なので、真昼間というよりも、昼前あたりなのでは、ということです。これで、第1幕の時間的な問題は解決されます。

『ドン・ジョヴァンニに殺された騎士長の石像が、なんと「一夜にして」出来上がってしまっている、ということになりますよね。なにしろ、そこは墓だったんですから、生きているうちに作らせたなんてことはあり得ません。』

種本であるガッツァニーガの《ドン・ジョヴァンニ》では、オッターヴィオ公爵が、生前に用意した墓が、完成から一ヶ月も経たないうちに使われることになるとは、というような台詞を言っているのだそうです。ですから、前もって作っていたのですね。その時に碑文も刻まれたそうです(これはまさに「一夜にして」ですね)。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》にはこの部分はありませんが、レポレッロが館にやって来た騎士長像を『白い』と言っているのは、出来立ての真新しい像という意味が込められているのでは、というご意見です。


[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-02-24 19:41 | 書籍 | Comments(0)