おやぢの部屋2
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Eight Visions
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Marya Martin(Fl)
Colette Valentine(Pf)
NAXOS/8.559629




マーリャ・マーティンというアメリカのフルーティストが、8人のアメリカの作曲家の作品を集めた「アンソロジー」を作りました。フルーティストもそして、その作曲家も、誰一人として馴染みのない名前だ、というのがすごいところです。そういう地道な仕事を日々行っているのがこのレーベルなのでしょうね。頭が下がります。ただ、例によって、国内盤についてきたタスキはデタラメの極致、ピアニストのファースト・ネームとラスト・ネームが逆になったりしていますが、それはCDを作った人のせいではありません。
作品を提供した作曲家とそのタイトルを、まず収録順にご紹介しましょう。「Velocity」という曲を作ったのは、ケンジ・ブンチ。名前といい、顔立ちといい、日系3世という感じでしょうか。ミニマルっぽいオスティナートの連続で超絶技巧が試されます。中間部は癒し系。ポール・モラヴェックの「Nancye's Song」も、メロディが美しい癒し系です。「ナンシー」というのはこのフルーティストのお母さんの名前なのだとか。
次は、中国生まれのチェン・イの「Three Bagatelles from China West」。タスキには「3つの小バラード」とありますが、「バラード」と「バガテル」って、違くないですか?これはもう中国丸出しの楽しい曲です。というか、日本人あたりにはとても恥ずかしくて表には出せないような五音階などを堂々と使っているあたりに、妙にうらやましさを感じたりします。タニア・レオンというキューバ出身の人の作品は「Alma」。これも、自分のアイデンティティであるラテン音楽満開という、明るい曲です。
イヴ・ベグラリアンという人の「I will not be sad in this world」では、なんと彼女自身の歌(声?)を録音したものを素材にして、それを変調したりマルチトラックに振り分けたりしたものが伴奏になっています。不思議な浮遊感の中に、フルートはあくまでもリリカルに流れます。デイヴィッド・スタンフォードの「Klatka Still」は、もろ「ジャズ」の手法による作品。めまぐるしい「早弾き」の連続です。
メリッサ・ヒュイという人は、香港生まれ。しかし、「Trace」という彼女の曲は、日本語の「間」という概念を取り入れた、とても共感できるものです。そして、トリを務めるのがネッド・ローレムという1923年生まれのこのなかでは最年長となる作曲家です。作品も一番長く、4つの部分からなる「Four Prayers」。フランス風の祈りを思わせる曲ですが、3曲目だけが定期的にピアノのクラスターが現れるというダイナミックな作風になっています。これは異教徒の祈りなのでしょうか。
こんな具合に、「現代音楽」と聞いて思い出すような難解さは全く見られない、楽しめる作品ばかりが集められています。技法的にも、フラッター・タンギングでさえちょっと異様に感じられるというノーマルさ、ひところ流行った「重音」や「ホイッスル・トーン」などは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。というより、もはや「現代音楽」が「難解」だった時代はとうの昔に終わってしまっていたことを再認識する、というのが、正しい聴き方なのでしょう。そうなってくると、「非西欧」の語法がこれからはメインになっていくような予感も。
そんな、「今」の音楽の一つの流れを見せてくれた興味深いアルバムではありますが、これらを演奏しているフルーティストは、もう二度と聴きたくなくなるような不快な音をまき散らしていました。いや、指はきちんとまわっていてなんの破綻もないのですが、常に、それこそ「重音」を出しているような、ヌケの悪い音からは、どの瞬間にも美しさを感じることは出来ませんでした。これを聴いて思い出したのが、現代音楽しか吹けないハンガリーのフルーティスト、イシュトヴァン・マトゥス、昔の現代音楽(変な言い方)では通用したのかもしれないそんな彼女の音からは、決して「今」は聞こえてはきません。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2010-02-26 22:49 | フルート | Comments(0)