おやぢの部屋2
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SCHUBERT/Symphonies Nos 8 & 9
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Thomas Dausgaard/
Swedish Chamber Orchestra
BIS/SACD-1656(hybrid SACD)




シューベルトの「8番」と「9番」のアルバムです。もちろん、ここでは「8番」=「未完成」、「9番」=「大ハ長調(いわゆる『グレイト』」)という割り振り、これは、かつては「7番」と呼ばれていた、全4楽章のスケッチだけが残されているホ長調の交響曲が新全集では削除されたために、以前の「8番」と「9番」がそれぞれ一つずつ前に来て「7番(未完成)」と「8番(グレイト)」というように名前が変えられたのだ、という「現在の常識」には真っ向から刃向かう表記です。しかし、こんな、演奏家の間ではもはや「常識」と思われていることが、ことレコード業界では全く通用しないことに、今さらながら驚いているところです。なにしろ、現在市販されているCDで、この「正しい」表記がなされているものは皆無なのですからね。せっかく新しい番号を制定して、みんながそれに馴染むように努力し、その成果が最近になってやっと出てきたな、と思っていたところなのに、この業界ではそんな動きは見て見ぬ振り、ひたすら今までの間違った表記を貫くことに終始していたのですね。なんということでしょう(金子建志などは、著書の中-音友刊「交響曲の名曲・1」132ページ-でこんな愚行になんとも不可解な正当性を主張していたりします)。
この件に関しては、ライナーには「この演奏はベーレンライター社から出版された新シューベルト全集に基づいているが、実用的な理由から、今までの番号を残すことにした」という「言い訳」が述べられています。いくら「正しい」番号を使おうと思っても、それを許さないのがレコード業界。この「言い訳」には、そんな悔しさのようなものがにじみ出ているようには感じられませんか?
ですから、ダウスゴーたちは、演奏によってこの旧態依然たる業界、そして、それに甘んじているリスナーに対して、ある種の挑戦を叩きつけているのでは、などという邪推すら生まれてきてしまいます。それほどに、これはスリリングな仕上がりとなった演奏ですよ。
そもそも、すべての反復を忠実に行っているにもかかわらず、「7番」と「8番」が1枚のCDにカップリングされているのでも分かるとおり(79分を超えたものを「タップリング」といいます。ウソですが)、テンポ設定はかなり早めです。特に「7番」ではそれが顕著。冒頭のチェロとコントラバスのパートソロは、そんな流れを予想させるようないともあっさりとしたもの、よくあるおどろおどろしい気配など全く感じられません。弦楽器のビブラートも控えめで、メリハリのきいた胸のすくような演奏が繰り広げられます。
「8番」でも、「グレイト」などといういかにも壮大なイメージを植え付けられるような呼称(それに惑わされている演奏家は数知れず)には敢えて逆らった、どちらかというと「壮大」の反対語である「卑小」とも言えるようなアプローチが取られています。曲の始まりを告げるホルン・ソロからして、なんともいじけた風情が漂ってはいませんか?第2楽章は、今まではなんとものどかなオーボエ・ソロだと思っていたものが、なんともどす黒いイメージで迫ってきます。付点音符を強調しているために、なんだかハーケンクロイツの腕章を着けた人たちの行進のように聞こえるのですよ。そうなると、終わり近くの減七の和音のあとのゲネラル・パウゼや、それに続くチェロの不気味さなどの意味が、自ずと変わって聞こえてくるはずです。
スケルツォでは、弦楽器の2小節目の「くさび形」のアクセントを、テヌートと解釈することによって、なんとも間抜けな、ということは、極めて刺激的な印象を与えてくれます。同じ音型の管楽器との対比に、やはり深い意味を感じることだって、可能です。
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同じようにフィナーレのファンファーレの意味の違いを弦と管とで際立たせているのにも、注目すべきでしょう。恐るべきシューベルトです。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2010-03-24 20:51 | オーケストラ | Comments(0)