おやぢの部屋2
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TOGNI/Lamentatio Jeremiae Prophetae
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Jeff Reilly(BCl)
Lydia Adams/
Elmer Iseler Singers
ECM/476 3629




カナダの作曲家、ピーター・アンソニー・トーニという人の「預言者エレミアの哀歌」という作品です。いわゆる「エレミア哀歌」のことですが、有名な旧約聖書をテキストにした古来から多くの作曲家によって作られてきた合唱曲に、この、2007年に初演された新しい作品が加わることになりました。
とは言っても、この曲は「合唱曲」というカテゴリーではなく、「バス・クラリネット協奏曲」という呼ばれ方を望んでいるようです。作曲者のトーニは、バス・クラリネット奏者のジェフ・ライリーとともに、「サンクチュアリー」というインプロヴィゼーションのユニットを結成(トーニはオルガンを担当、もう一人チェロのメンバーもいます)しているのですが、そのライリーから「協奏曲」の委嘱を受け、このような、無伴奏混声合唱とバス・クラリネットのソロというユニークな編成の「協奏曲」が出来上がったのです。
旧約聖書の「哀歌」は、全体で5つの章から成る長大なテキストですが、トーニはそれぞれの章から適宜ピックアップして1曲ずつ、したがって5つの曲を作りました。それはまず「合唱曲」として、合唱団によって歌われます。ここで演奏している20人ちょっとのアンサンブルは、ソロのバス・クラリネットと張り合うようなことはせず、あくまで「背景」に徹しているかのように見えます。そう、この、居るか居ないか分からないほどの存在感が、おそらくこの曲には求められていたものなのでしょう。あくまで主役はバスクラ、合唱はそれを引き立てるだけの、まさに「バック・コーラス」という役割なのでしょう。
もちろん、それは決して、合唱団の存在を貶めるものではありません。それどころか、そのような立場を貫くのは、実はかなり高度なスキルが求められもするはずです。例えば20,000Hz以上の高周波のように、誰もその存在には気づかなくても、それがなくなってしまうと明らかに違いが分かってしまうような、まるでCDSACDの違いを産む要素のようなものなのかもしれません。
しかし、このカナダの合唱団は、どうやらそこまでの境地に達するには、あまりにも合唱団としてのプライドが高すぎたようです。というより、なんとしても自らの主張を伝えたいという、ごく当たり前の願望を消してしまえるほどの、作品に奉仕しようとする意識、あるいはテクニックは、残念ながらこの団体には備わってはいなかったのでしょう。いや、もしかしたら、歌詞を持った合唱に「協奏曲」のバックをゆだねるという、この作曲家の発想にそもそも無理があったのかも。ただ、ちょうど真ん中に位置している3曲目の「Silentio」だけは、合唱とソロが対等に渡り合えていて、それほどストレスを感じることはありません。
そんな、ちょっといびつな成り立ちにはあまり影響されていないかのように、ソロのライリーは伸び伸びとしたインプロヴィゼーションを披露してくれています。冒頭の中東風の旋法から生まれる哀愁を帯びたテーマから、心はすでに「哀歌」の世界へ誘われます。なかなかソロを吹く現場に居合わせることはないはずですが、同じような形状を持ちながら、ジャズでしか通用しないキャラクターのテナー・サックスとは異なり、ジャズの「アドリブ」でも、そして「現代音楽」の「即興演奏」でもなんの違和感もなくこなすことの出来るこの楽器は、実に新鮮な刺激を与えてくれます。最後に、まるでピッコロのような音が聞こえてきたときには、この楽器の持つ知られざる可能性をまざまざと見せつけられた思いでした。
合唱のパートはきちんと書いているのでしょうが、ソロに関しては「作曲家」としてのトーニがどの程度まで曲作りに関わっていたのかは、当人でない限り分からないことなのでしょう。

CD Artwork © ECM Records GmbH
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by jurassic_oyaji | 2010-03-26 20:07 | 現代音楽 | Comments(0)