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モーツァルト殺人法廷
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ルドルフ・アンガーミュラー著
久保田慶一、小沢優子訳
春秋社刊
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35歳と10ヶ月ちょっとという若さでこの世を去ってしまったモーツァルトですから、その死因を巡っては多くの憶測が駆けめぐったことでしょう。いつしか、彼はだれかに毒殺されたのでは、という噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、ご存じの通りです。そして、その噂は例えばロシアの文豪プーシキンの戯曲「モーツァルトとサリエリ」などでフィクションとして扱われることによって、あたかも現実であるかのように世間に流布することになりました。さらに、この作品をテキストに用いたリムスキー・コルサコフの同名のオペラも作られます。このオペラを実際に見たことがありますが、ここでは、なにしろ「オペラ」ですから、モーツァルトの作品を大胆に引用したりして、非常に分かりやすい形でこの「毒殺説」を描いていたような印象がありました。
そしてごく最近、1979年にピーター・シェーファーが「アマデウス」という戯曲を発表するに至って、「サリエリがモーツァルトを毒殺したのかも」という「噂があったこと」が、一気に世の中に広まることになります。この戯曲は江守徹によって翻訳された国内版も出版され、彼と松本幸四郎が演じたステージも大評判となりましたね。さらに、1984年には原作者が脚本を担当した映画まで公開され、それがアカデミー賞では主要3部門を含む8部門でオスカーを獲得したものですから、もはや「サリエリによる毒殺説」は、誰一人として知らないものはないほどに広まってしまったのです。
もちろん、「アマデウス」のストーリーはプーシキンを下敷きにしたシェーファーの完全な創作なのですが、なまじそこで演じられていたモーツァルトの姿が、研究者の間では良く知られていた素顔を反映していたものだったことから、そこでのサリエリのキャラなども本当のことであるかのように錯覚してしまう人が出てきてしまったのは、ちょっと困ったことです。いや、逆に、ここで「ダメな作曲家」の烙印を押されたことによって、今まで日の目を見なかった作品が録音されたりして、本当はそんなに「ダメ」ではなかったどころか、実はモーツァルトをしのぐほどの才能の持ち主であったことが明らかになったのですから、かえって喜ぶべきことなのかもしれませんね。
高名なモーツァルト研究者であるアンガーミュラーが2005年に著したこの本は、かなりスキャンダラスなタイトル(原題は「モーツァルト、死すべし(公判記録)」)で、全編が架空の裁判の公判記録という体裁をとっています。しかし、内容は至極まっとうなものでした。要は、モーツァルトに恨みを抱いていて、もしかしたら「死すべし」と思っていた(あるいは実際に口にしていた)人たちを広範に探し出して「被告人」に仕立て、現存する膨大な資料を、その「被告人」が供述する、という形を取って提示しているだけの話なのですね。時折、わざと話を脱線させて、裁判官が「関係のない話はしないように」みたいに突っ込んでいるあたりが、著者にしてはユーモアのつもりなのでしょうが、ちょっとそこで笑うのは辛いものがあります。
当然のことながら、サリエリを含めたすべての被告人には「無罪」の判決が下されてしまいます。いったい、この「裁判」はなんだったのでしょうか。
ですから、ここではもっぱら、詳細極まりない「証言」を元に、晩年のモーツァルトの真の姿を垣間見る、というのが、正しい味わい方になるはずです。ほんと、「プフベルク書簡」で有名な、フリーメーソンの仲間ミヒャエル・プフベルクの「証言」による、モーツァルトの経済状況と、借金の無心をねだる、殆ど「詐欺師」まがい、歯の浮くようなおべんちゃらたらたらの手紙の文面などは、この退屈でくそ真面目な「裁判ごっこ」の中では、ひときわリアリティの感じられるものでした。

Book Artwork © Shunjusha
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by jurassic_oyaji | 2010-04-01 23:22 | 書籍 | Comments(0)