おやぢの部屋2
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BACH/Mass in B minor
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Dorothee Mields, Johannette Zomer(Sop)
Patrick van Goethem(Alt), Jan Kobow(Ten)
Peter Kooij(Bas)
Daniel Reuss/Cappella Amsterdam
Frans Brüggen/Orchestra of the Eighteenth Century
GLOSSA/GCD 92112




2009年3月に、ワルシャワのルトスワフスキ・ラジオ・スタジオというところで行われたライブ(スタジオ・ライブ、でしょうか)録音です。その割には客席のノイズは皆無、曲が終わったあとのたっぷりと残る余韻は、なんだか空っぽのホールを感じさせるものです。おそらく、リハーサルなどのテイクを編集したものなのでしょう。ところで、ブックレットには、アーティスト達の写真に混じって、なぜかレコーディング・エンジニアの姿まで名前入りで(レック・ドゥジックというクレジット)掲載されていますが、この方はそんなに有名な人なのでしょうか。確かに、非常にバランスのよい、会場全体の雰囲気が伝わってくる素晴らしい録音ですので、この扱いは意味のあるものなのでしょう。
もちろん、素晴らしいのは録音だけではありません。ここでブリュッヘンが見せてくれた「ロ短調」は、この曲をめぐる様々な立場からの矮小な主張(「オリジナル」であるか否か、「OVPP」であるか否か)などは全く問題にならないほどの強靭な世界観の上に立ったものだったのです。無条件でひざまづきたくなるような、それは、大きな包容力を持つものでした。
それを支えていた最大の功労者は合唱パート、ダニエル・ロイスによって鍛えられた「カペラ・アムステルダム」です。以前ご紹介したアルバムでは、リゲティなどの作品で暖かなソノリテと驚異的なスキルを披露してくれていましたが、それはバッハに於いても最大限に魅力を発散するものだったのです。やや渋めの感触のトーンがすべてのパートで統一されていて、決してパート、あるいは個人の声が飛び出して聞こえてくることはありません。それでいて、ポリフォニーの綾はしっかりと浮き出してくる、という、まさに理想的な「合唱」の姿がそこにはありました。ですから、ソリスティックなパッセージがいたるところで現れるこの曲では、そんな「難所」もいとも易々とクリアしてくれていますよ。「合唱」で歌うのは不可能であるとさえ思える「Et resurrexit」での75小節アウフタクトから始まる12小節間にも及ぶ長大なベースのパートソロでも、彼らはいともやすやすと表情豊かに歌いきっています。それにしても、このベース・パートの音色の、何と柔らかいことでしょう。
バッハ自身がこの作品を「1パート一人ずつで歌わせる」と考えていたというのは、今ではかなりの信頼性を持って事実だとされています。しかし、こんな透明感のある「合唱」で歌われたものを聴いてしまうと、そのような形態では決して到達することの出来ないもっと極上の世界を作り上げる力を、この曲が確かに持っていることも思い知らされてしまいます。リフキンたちが明らかにした当時の演奏の形態は、あくまで演奏者の都合によるもので、バッハとしては出来ることなら「合唱」によって歌われることを望んでいたのでは、という「妄想」を抱くのは、果たして間違ったことなのでしょうか。
ここでブリュッヘンが曲の最後で示している悠揚迫らぬ終始の姿、これは、一見ロマンティックな趣味への回帰のようですが、そこから与えられる感動は、そんな時代様式を超えた普遍的なもののように感じられます。おそらく、それは200年以上前にバッハがこの曲の中に込めたものと同質のものなのではないでしょうか。そして、それは、「1パート一人」では決して表現することは出来ないもののように思えてなりません。
ソリストたちも、そんな世界を見事に見せつけてくれています。男声アルトのファン・ゲーテムが歌う「Agnus Dei」を聴けば、ロマンティックのかけらもない、真の深さを味わうことが出来るはずです。バスのペーター・コーイが、とんでもない音程で唯一この世界から浮き上がっているのには、目をつぶりましょうか(好意的に)。

CD Artwork © MusiContact GmbH
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by jurassic_oyaji | 2010-04-11 22:45 | 合唱 | Comments(0)