おやぢの部屋2
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DVORÁK/Cello Concerto in A Major
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Ramon Jaffé(Vc)
Daniel Raiskin/
Staatsorchester Rheinische Phiharmonie
CPO/777 461-2




ドヴォルジャークの「チェロ協奏曲」といえば、名曲中の名曲ですよね。というか、ギョーカイでは「ドボコン」というアタックNo.1みたいな(それは「スポコン」)言い方をするだけで、彼の他のピアノやヴァイオリンのための協奏曲をさしおいてチェロ協奏曲のことが思い出されるほど、この曲はドヴォルジャークと一体化しているのではないでしょうか。
しかし、あの曲は確かロ短調だったはず。しかし、このタイトルを見ると「イ長調」となっていますよ。てことは、別の曲?
そうなんです。ドヴォルジャークには、その、1895年に作られた有名な曲の他に、その30年前、彼がまだ24歳の美少年(笑)だった頃の1865年に完成したチェロ協奏曲があったのですよ。当時ドヴォルジャークは、国民歌劇場建設のための仮設劇場のオーケストラにヴィオラの団員として参加していたのですが、その仲間であったチェリスト、ルドヴィク・ペールの要請で、チェロ協奏曲を作曲しました。しかし、ペールはその曲を受け取った直後、その楽譜を持ったまたドイツに行ってしまいます。彼の手でこの協奏曲が演奏されることはありませんでしたし、ドヴォルジャーク自身も、それ以来この曲のことはすっかり忘れてしまったそうなのですね。
結局、1904年にペールは亡くなるのですが(ドヴォルジャークが亡くなった数ヵ月後!)そのときに、この自筆稿はロンドンの大英博物館に売却されることになります。その楽譜のオーケストラ・パートは、まだきちんとオーケストレーションがなされたものではなく、ピアノによるスケッチに、楽器の指示が入った程度のものだったのでしょうね。1929年に作曲者没後25年の記念事業の一環としてこの曲の「世界初演」がプラハで行われた時には、ピアノ伴奏の形で演奏されています。
きちんとオーケストレーションが施された形で「初演」されたのは、翌1930年のことでした。ただ、これは、オーケストラ譜を出版しようとしたブライトコプフ&ヘルテル社が、ギュンター・ラファエルという作曲家に依頼して作らせたバージョンによるものだったのですが、彼の編曲はいくつかのカットを施すなど、ドヴォルジャークのオリジナルからは少し隔たったものだったようですね。しかし、ハンス・ミュンヒ=ホランドのソロと、ジョージ・セルの指揮によってプラハで行われたこの演奏は、大成功を収めたそうです。
ドヴォルジャークが楽譜に残した指示に忠実に、さらに、作曲家の編曲様式をきちんと考慮した良心的なオーケストレーションは、1975年にヤルミル・ブルクハウザーによってなされました。このCDで演奏されているのは、もちろんその「ブルクハウザー版」です。
同じチェロ協奏曲とは言っても、この曲はのちの「ロ短調」とはまったく異なるテイストを持ったものでした。彼の初期の交響曲のように、そこにはドイツ・ロマン派の様式がきっちり反映されています。全3楽章を切れ目なく演奏するというプランも、それこそメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を思わせるものです。型どおりのソナタ形式にのっとった第1楽章では、その第1主題などは陳腐そのもののメロディでしかありません。ただ、それにつけられたハーモニーから、まっとうな「西洋音楽」からは少し外れた「翳り」のようなものが感じられるあたりは、間違いなくドヴォルジャークの個性の反映なのでしょう。そして、第2主題になると、やっと彼らしいメロディアスな一面が発揮されてきます。
独奏チェロの扱い方も、低音から高音までめまぐるしく駆け巡るといった「ロ短調」での激しさは、ここでは全く見られず、ひたすら、つつましやかに淡々と歌っているだけです。なにしろ、ソリストの技量を誇示するはずの「カデンツァ」は、第2楽章の最後にほんの少し設けられているだけなのですからね。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
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by jurassic_oyaji | 2010-05-22 20:03 | オーケストラ | Comments(0)