Susan Hamilton, Cecilia Osmond(Sop)
Margot Oitzinger(Alt)
Thomas Hobbs(Ten), Matthew Brook(Bas)
John Butt/
Dunedin Consort & Players
LINN/CKD 354(hybrid SACD)
他の人が演奏しないような珍しい楽譜を探し出して、「世界で初めて」その音を録音に残すということを生きがいにしているジョン・バットとダンディン・コンソートですが、今回は「ジョシュア・リフキン校訂のロ短調ミサ」というものを引っ張り出してきました。もちろん、これも「世界初録音」にはなるのですが、この楽譜は
2006年に出版界の大手ブライトコプフ&ヘルテルから出版されている、だれでも簡単に入手できるものですので、けっして「珍品」ではありません。
校訂者のリフキンと言えば、ミスドではなく(それは「
ダスキン」)、それこそ「世界で初めて」ロ短調ミサの合唱パートをソリストだけで歌うことを提唱した人として、おそらく音楽史に名を残すことになるはずの人です。しかし、そんな「最先端」の研究成果を反映させた
録音では、「編成」に関しては斬新であっても、肝心の楽譜そのものについては決して「最先端」ではなかったという、ある意味チグハグなところも見受けられましたね。しかし、今回の「原典版」は、そのあたりもきっちり吟味がされた、まさに「最先端」の成果と言えるはず、というのは、ライナーにあった自身も音楽学者であるバットの言葉です。そこで述べられているように、確かにここには、今までの「原典版」では見られなかった数々のユニークな見解が込められています。そのほんの一例が、「
Domine Deus」でのオブリガート・フルートがソロではなく2本のユニゾンだ、というようなことでしょうか。そして、なんといっても外せないのが、「楽器編成」に記された「合唱のメンバーがソロも歌う」という、この一言でしょう。
しかし、リフキン自身の録音や、そのエピゴーネンであるパロット盤、あるいは
クイケン盤では、「一パート一人」という金科玉条に忠実に従った「8人」のソリストによる演奏でしたが、ここではなんと「
10人」のメンバーが用意されています。その内訳は5人の「ソリスト」と、5人の「リピエーノ」、つまり補強要員というもの、つまり、バットの見解としては、必ずしもすべての部分が一人だけで歌われたのではなく、必要に応じて複数が歌う場面もあったのではないか、ということなのですね。リフキンの楽譜を使いながら、その最大のセールスポイントにおいてリフキンに逆らっているのですから、これはなかなか痛快な事態です。「
Crucifixus」も、なぜかリフキン版にはない繰り返しを行っていますし。
この、「リピエーノ付き
OVPP」は、確かにリーズナブルな解決法であることは、この演奏を聴いて納得できます。たとえば、2番目の「
Kyrie」では、なぜかソプラノパートだけはソプラノ
Iとソプラノ
IIが一緒に歌うようになっています。ですから、これを全部「ソロ」で演奏すると、最後のソプラノが入ってきたところで、今までそれぞれのパートが一人で歌っていたものが二人になり、音色というか質感がガラッと変わってしまうのですね。もちろん、リピエーノが入った今回の演奏では、そんな違和感は全くありません。さらに、対位法的な部分での「ソロ」の明晰さと、トゥッティの部分での「リピエーノ付き」の重量感という対比も、この曲ではやはりあって欲しいという感は強まります。
ソリストたちは、全体に明るめの音色の持ち主で、軽やかな印象を与えてくれます。中でも出色なのがアルトのオイツィンガーとテノールのホッブスでしょう。しかし、肝心のソプラノ二人がかなりのビブラートをかけているのがちょっと残念です。バスのブルックも、ソロはともかく、「
Et resurexit」での「合唱」の長大なパートソロは、一人で歌う必然性が全く感じられないほどの惨めな音程でした。
バットはこの録音に当たってリフキンその人とディスカッションを行ったと言いますが、それは一体どんなものだったのでしょうね。取っ組み合いのけんかになってたりして。
SACD Artwork © Linn Records