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アマデウス、ディレクターズ・カット
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 前にもご紹介した、利府のMOVIXでやっている「午前十時の映画祭」で、「アマデウス ディレクターズ・カット」を見てきました。全部で50本のクラシックスを週替わりで上映するという企画ですね。あいにく週末はなにかと忙しくてとても映画などを見に行く時間はないのですが、今日はわりとヒマだったので、午後から行ってみることにしました。職場からだと30分で着きますからね。
 考えてみたら、この映画を最初に見たのはそれこそ1984年ごろだったんですよね。確か駅前にあった「青葉劇場」に見に行った記憶があります。このころはもちろんこんなサイトを作ったりはしていませんでしたし(ワープロすら、使えていませんでした)、ニューフィルにもまだ入っていないという、今の私とは全く違う環境の中にあったのですね。そこで、一人で映画館に行ってみると、なんだかクラシックの愛好家っぽいクループが数人でなにかマニアックな話をしているのが聞こえてきて、何ともさびしい思いを味わったような記憶があります。あ、当然この時に見たのは最初の160分バージョンですよね。
 2001年に「ディレクターズ・カット」が上映された時も、劇場に行って見る機会はなく、でもすぐ見たかったので、「リージョン1」のDVDをアメリカから買って見ていましたね。何よりも、冒頭の精神病院のシーンでの「ボカシ」がなかったのが、印象的でした。「もろ見え」というやつで。
 今回、初めてその「ディレクターズ・カット」を劇場で見て、最初にチェックしたのはその「ボカシ」です。84年版には3か所ほど盛大に「ボカシ」が入っていて、逆にそこに注目してしまったものですから。しかし、なんと、今回はそんなものは全くありませんでしたよ。その代わり、リージョン1のDVDでははっきり見えていた「モノ」が、なんだかぼんやりとなっていましたね。そうか、この手があったんですね。あんな目立つ「ボカシ」を入れなくても、さりげなく「修正」してしまうことは今だったら何の造作もないことですからね。国内版のDVDでは、そのあたりはどうなっているのか、持っている人がいたら教えてください。って、そんな所だけチェックしていたら、ただのヘンタイですけどね。
 DVDは、なんせアメリカ版ですから日本語の字幕は入っていません。確か、最初の上映の時の字幕では戸田奈津子は「Death Mass」つまり「レクイエム」を「デスマスク」と語訳していたのだそうですが、さすがにその頃はそんなことは気付きませんでした。今回は字幕も新しく松浦さんに代わっていたのですが、やはり誤訳とはいかないまでも、肝心のところでぜひ必要な言葉をはしょったりしていましたね。サリエリがその「レクイエム」の口述筆記を終えて眠っているところに帰ってきたコンスタンツェは、書き上げた楽譜を取り上げて、「もうこんな仕事はさせません」と仕舞ってしまうのですが、彼は「でも、これから『ラクリモーザ』を仕上げるところだ」と、なんとか仕事を続けようとします。そこの「ラクリモーザ」が、字幕にはないのですね。これは、このシーンのすぐ後にその「ラクリモーザ」が演奏されるのですから、ぜひともきちんと訳してほしかったものです。これで「感動」の度合いがかなり変わってくるはずですからね。
 そう、実は、迂闊にもこのあたりで私はウルウルしてしまいました。確かに、「物語」としては、これは非常によく出来た映画です。それは、実際にあったことをうまく「物語」の中に取り込んでいるのも、大きな要素なのでしょうね。たとえば、「魔笛」のグロッケンを演奏している途中に倒れてしまったのは、こちらにあるように、実際に手紙に書かれた事件を下敷きにしたものですし、今回初めて気づいたのが、サリエリに借金をねだるシーン。これは、こちらでとりあげた「プフベルク書簡」のバリアントになっているのですよね。
 今回改めて確認出来たのは、当たり前のことですが、これは決してモーツァルトやサリエリの「伝記映画」ではない、ということです。そこをきちんと認識しない人の、なんと多いことでしょう。あくまでこれは「作り話」、つまり、この中には「事実」はほんの少ししか含まれていなくて、あとは全くの嘘っぱち、という認識ですね。「のだめ」以上の罪深いウソが、この中にはいくらでも転がっています。まあ、でも、面白ければ、それでいいんです。「作り話」なんですから。
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by jurassic_oyaji | 2010-06-02 22:34 | 映画 | Comments(0)