おやぢの部屋2
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SANDSTRÖM/Messiah
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Robin Johansen(Sop), Roxana Constantinescu(Alt)
Timothy Fallon(Ten), Michael Nagy(Bar)
Helmuth Rilling/
Festivalensemble Stuttgart
CARUS/83.453




新しい作品を作ることにかけては精力的なリリンク、記憶に新しいところでは2000年のバッハ・イヤーの際に世界中の作曲家に4つの受難曲を委嘱していましたね。そして、昨年2009年のヘンデル・イヤー(没後250年)には、なんとあの「メサイア」を下敷きにしたオラトリオを、スウェーデンの作曲家スヴェン・ダヴィッド・サンドストレムに委嘱したのです。サンドストレムと言えば、合唱界ではもう少し若いヤン・サンドストレムが有名ですが、もちろん別の人です。
こちらのサンドストレムは1942年生まれ、同世代の作曲家の例にもれず、前世紀の多くの作曲様式の洗礼を受けることになりますが、最終的にはペンデレツキのように「ネオ・ロマン」に落ち着いた、という分かりやすい作風の変遷を遂げている人です。彼は、この「メサイア」を手掛ける前にも、1994年にはバッハの「ロ短調ミサ」を下敷きにした「ハイ・ミサHigh Mass」という、結婚できない女性を描いた曲を作っています(それは「ハイミス」)。この曲はドイツ語ではよく「Hohe Messe」と呼ばれていますから、そのまんま、ですね。
この新生「メサイア」は、リリンクが主宰するオレゴン・バッハ・フェスティバルと、シュトゥットガルト国際バッハアカデミーの委嘱によって作曲され、初演は2009年7月にアメリカで行われました。この録音は同年9月のシュトゥットガルトでの演奏のライブ録音です。ブックレットには、ベルリンのフィルハーモニーでのリハーサルの写真もありますので、そこでも演奏されたのでしょうね。
サンドストレムは、ここではヘンデルの作品の台本を手掛けたチャールズ・ジェネンズのテキストを、そのまま継承しています(もちろん英語で歌われます)。全体が3つの部分に分かれているのも同じ。ただ、ソロや合唱といった曲による編成は、ほぼ同じ形で作っているようですが、一部では微妙に変更を加えている部分もあります。冒頭の本来はテノール・ソロによる伴奏つきのレシタティーヴォも、そんな一例、ここでは「ネオ・ロマン」の常套手段、かつての自身のよりどころであった前衛的な手法を披露するという場になるのですが、歌っているのはソロではなく合唱となっています。そういえば、「序曲」はありませんね。しかも、「Comfort ye」という歌詞をヘブライ語に変え、打楽器を多用したオーケストラをバックになんともおどろおどろしい情景を醸し出しています。
しかし、そんな意味ありげな難解さはそれっきり。次第に音楽はなんともキャッチーで明るいものに変わります。ソリストなどはバロックのパロディでしょうか、この場にはあまりにもそぐわないコロラトゥーラのパッセージなども披露していますよ。それは、ほとんど「ミュージカル」を聴いているような錯覚に陥るほどの、サービス精神満載のものだったのです。実際、第1部の終わり近くにある「Rejoice greatly」などは、あのフレデリック・ロウの名作「My Fair Lady」の中の「I could have danced all night」に酷似したメロディを持っていますし。第1部の最後を飾る合唱「His yoke is easy」も、ラテン・リズムに乗ったとことんダンサブルなナンバーです。
そうなってくると、第2部の最後、お馴染み「Halleluja」がどんなものになっているのかが興味のあるところですが、ここでは原曲の荘厳さがすっかりなくなった、なんとも軽いタッチに変わっているのは当然のことでしょう。そして、第3部の最後のアーメン・コーラスで、また冒頭の深刻さが戻ってくる、というのも、予想されたこととはいえなんともありきたりな感は否めません。
そんな、極めつけの駄作ですが、世界中から集まったメンバーによって編成された室内オーケストラと60人の合唱は、極めて高度の能力を発揮してくれていました。ソリスト達は「ミュージカル」には似つかわしくないビブラートたっぷりの豪華な歌い方に徹しているのが、笑えます。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2010-06-12 19:43 | 合唱 | Comments(0)