おやぢの部屋2
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MAHLER/Symphony No.9
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Roger Norrington/
Radio Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.244




マーラーの交響曲第9番と言ったら、なにしろ複雑で難解な作品、一生のうちに何回も演奏するものではないと、演奏家からも恐れられている曲です。さる指揮者などは、この曲を演奏する前の晩には眠ることが出来なくなってしまうといいますから、大変なものです。いや、その方の場合は、泊まったホテルの隣の部屋から、得体の知れない外国語が聞こえてきて、それがどこの国のものなのか考えていたら、寝付けなくなっただけのことだったそうですがね。
今まで、ひたすら「ピュア・トーン」を前面に押し出して進められてきたノリントンとシュトゥットガルト放送響とによるマーラー・ツィクルスですが、そんな「9番」だからといって、彼らのスタンスにはまったく「ブレ」はありません。したがって、さまざまな要素が何層にも重なり合って、これでもかと言うほどの重っ苦しさを聴き手に与えるはずの第1楽章が、まるで拍子抜けしてしまうようなすっきりとしたものに変わってしまいます。そこからは、一つ一つのフレーズを大汗をかきながら力を込めて演奏する、といったような情景はまるで想像できません。その代わりに見えてくるのは、もしかしたらこれがマーラーが目指した「未来の音楽」なのではないか、という思いです。ビブラートが全くかかっていない、したがってほとんど感情を表に出さない弦楽器が奏でる歌は、そんな熱い感情などはすっかり忘れてしまった未来社会(あるいは「現代」社会)の姿を垣間見せてくれるもののようには、響いてはこないでしょうか。もちろん、それはそれでとてつもなく強いメッセージが込められた「表現」には違いありません。もしかしたらマーラーの「毒」にそれほど染まっていない人ほど、そのメッセージをより強く受け取ることが出来るのかもしれませんね。
同じように、思い入れなど全く無いようにさえ見えるほどあっけらかんとした終楽章も、それだからこそエンディングでの浄化された風景がさりげなく心に突き刺さってきます。
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ところで、第1楽章の最後近くの419小節目から、16小節にも及ぶほとんどフルートが一人で吹いているような部分が登場します(上の楽譜)。その最後から2小節目の最初の音には、アクセント記号(>)が付けられていますね。しかし、pppの中でこんなところにアクセントを付けるというのは、実際に吹いてみるとなんともしっくり来ないのですよね。これは、次のハーモニーに解決する前の重要な音だから強調する、という意味があるそうなのですが、この、次第にフェイド・アウトしていくフレーズの途中でいきなりこの音を目立たせるのは、実に気持ちの悪いものでした。そこで思い出したのが、これによく似た扱いを受けていたドビュッシーの「シランクス」です。こちらにあるように、以前の楽譜でアクセントとなっていたのは、実はディミヌエンドだったというのが最近の「常識」、それと同じことが、マーラーの楽譜でも起こっていたのではないか、と。もちろん、そんなフルーティストの思いなどは一顧にもされず、手元にあった10数種類の演奏を聴いてみると、ここでの「アクセント」はいずれも明確なものだったのです。ただ一つ、1938年に録音されたブルーノ・ワルターとウィーン・フィルのものを除いては。そう、この録音こそは、ノリントンその人が「ピュア・トーン」によるマーラーを演奏する時によすがと頼ったものなのですが、ここでのワルターの解釈は、「アクセント」ではなくまぎれもない「ディミヌエンド」、最後の「Ges」のピアニシシモには、そんな古い録音からも明確な主張が感じられます(もっとも、ここはディミヌエンドというよりは「スビト・ピアニシシモ」といった趣ではありますが)。もちろん、ノリントンがその解釈をとったのは当然のこと、そのなめらかなディミヌエンドの、何と美しいことでしょう。

CD Artwork © SWR Media Services GmbH
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by jurassic_oyaji | 2010-06-14 21:01 | オーケストラ | Comments(0)