おやぢの部屋2
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DUTILLEUX/Sur le même accord


Anne-Sophie Mutter(Vn)
Kurt Masur/
Orchestre National de France
DG/477 5376
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1232(国内盤)


最近のレコード業界は、いろいろ難しい局面を迎えているようですね。特にクラシックのように、基本的に「新曲」というものはあまり期待できない深刻な状況の中では、いかにして過去の作品の「カバー」を売っていくかが勝負になる訳ですから、よっぽどの付加価値がないことには、消費者は振り向いてはくれません。その反面、このムターのように、セールスがきっちり読めて、新しい録音があればただちにリリースへの道が開けているような限られたアーティストの場合は、もしそれが「新曲」だったりすれば、レコード会社はなんとしてでもアルバムを出そうとするはずです。
ここでムターが世界初録音を行ったのは、今年89歳になるフランスの重鎮アンリ・デュティユーが、ムターのために作った「同じ和音の上に」という曲です。副題として「ヴァイオリンと管弦楽のためのノクターン」とあるように、これは「協奏曲」のような大規模な作品ではありません。演奏時間が9分という、ほんの小品な訳ですから、シングル盤を出せるポップスならいざ知らず、クラシック業界ではこれだけで1枚のアルバムなど作れるはずもありません。そこで考えたのが、過去にリリースされた曲とのカップリングです。91年に小澤と入れたバルトークの2番、そして88年にパウル・ザッハーのサポートで録音されたストラヴィンスキーの、それぞれの協奏曲が、ここでは選ばれました。もちろん、そのような「使い回し」を正当化させるために、ライナーノーツでもっともらしい理屈をこねくり回すのには、抜かりはありません。ポール・グリフィスという高名な音楽評論家は、「曲が出来るにあたっての作曲家とヴァイオリニストの間の対話」というテーマで、バルトークにおけるセーケイ、そしてストラヴィンスキーにおけるドゥシュキンの役割をこのデュティユーの新作におけるムターのそれとを並列で論じるという手法で、2500円以上のお金がたかが9分の曲のために費やされなければならない理由を、だれでも納得出来るように説明してくれているのです。
全部でおそらく4つか5つの部分からなるこのノクターンは、ソロヴァイオリンのピチカートによる6つの音列の提示から始まります。それは執拗にティンパニなどで繰り返され、この音列が曲全体を支配しているテーマであることが印象づけられます。最初のうちは全体を覆っているいかにも上品なヴァイオリンとオーケストラのテクスチャーは、やがて、タランテラのようなリズミカルな部分によって消え去ります。このあたりの対比の妙は、この作曲家の持ち味でしょう。そして、そのあとに訪れる、ソフトなテイストに彩られた部分での、ムターのヴァイオリンの、なんて柔らかで暖かいことでしょう。この、まるで真綿にくるまれたようなフワフワした高音は、ちょっと今までの彼女の演奏からは聴くことが出来なかったもの、ここには、ヴァイオリニストとして、そして、女性として円熟を迎えていることの、確かな証を感じないわけにはいきません。
曲が終わると、この名演をたたえる盛大な拍手が聞こえます。そう、これはラジオ・フランスによる放送用のライブ録音(もちろん、編集もされてはいません)、もはやDGほどのレーベルでも、その制作には一切関わっていない音源に使い古しのアイテムを「抱き合わせ」て、レギュラー・プライスで販売するというような阿漕なことに手を染めなければならないほど、この業界は病んでいるのでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-13 19:41 | ヴァイオリン | Comments(0)