おやぢの部屋2
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バイオリニストに花束を
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鶴我裕子著
中央公論新社刊
ISBN978-4-12-004113-6



この表紙、いいですね。谷内六郎っぽいおかっぱ頭の女の子がヴァイオリンを弾いているという、なんか素朴な郷愁を誘うようなテイスト、ありませんか?しかし、そんな「素朴」な見せかけにだまされてはいけません。これは、2005年に刊行され、その後2009年に文庫化された「バイオリニストは目が赤い(原題:バイオリニストは肩が凝る)」に続く、元N響ヴァイオリン奏者の鶴我さんの著作、確かに素朴な一面がないわけではありませんが、前作同様、さりげない「毒」も満載の、油断のならないエッセイ集なのですからね。ちなみに、ここには主に「音楽現代」というクラシック音楽の専門誌に連載された読み物が集められています。この「音楽現代」というのは、まず普通の書店で見かけることはないというぐらいマニアックな雑誌です。ちょっとやらしいですし(それは「音楽変態」)。
「素朴な一面」というのは、かなりの紙面を使って語られている、彼女の生い立ちです。山形という、当時としては恐ろしく「中央」からは隔たった土地に育ち、家庭も決して裕福ではなかった環境から、プロのヴァイオリニストを目指しての涙ぐましい努力の物語が始まるのですから、まさに「おしん」(いや、いくら山形でも・・・)並みの設定ではありませんか。銭湯へ行った帰りに、屋台のお好み焼屋さんでささやかな買い食いをするシーンなどは、ほとんど「赤ちょうちん」や「神田川」(@かぐや姫)の世界です。同じようなスタンスで、彼女の「死」に対する思いが語られる部分が多く見られます。そのあたりは「素朴」を通り越した「重さ」すら感じられます。
前作が文庫化されたときに触れられていましたが、著者はつい最近長年務めたN響を定年退職されました。今回の単行本では、そのあたりの経過がリアルタイムにつづられているのが、興味を引きます。彼女は、所属していたオーケストラのことをシャレで「カイシャ」と書いていますが、そんな普通の「カイシャ」と同じように、芸術団体であるオーケストラでも一定の年齢になった人は「退職」を迎えてしまうというところが、「プロ」の世界なのでしょう。今でこそ60歳が定年となっていますが、その前は55歳だったというのも、「プロ」ならではの設定ですね。もっとも、このようなメジャー(あくまで日本の中で、ですが)オケで定年を迎えても、「地方」のオケに「天下り」する奏者は少なからずいたような話も聞きますので、そんなのもこの社会の縮図のようですね。ただ、最近は、トゥッティのヴァイオリン奏者などは、退職後もエキストラとして「正社員」と全く同じ「仕事」をしたりしているのですね。ここらあたりがおそらくふつうの「カイシャ」とは違うところなのでしょう。
そして、なんといっても読み甲斐があるのが、実際のコンサートでの指揮者とのやり取りの詳細なレポートです。アシュケナージが武満の難曲を「弾き振り」した時のトンチンカンな対応などは、指揮者としての彼のキャリアを脅かすほどのリアリティがあります。さらに、たまらないのが、あのノリントンを迎えた時のドキュメンタリーです。これは、練習風景も含めてテレビで紹介されていたので、N響がノリントンの無理難題に挑戦している姿はある程度知っていたのですが、それを団員サイドはどのように受け止めていたか、ということが良く分かります。やはり、かなり抵抗は大きかったのですね。その時のプログラムに入っていたエルガーのチェロ協奏曲では、ソリストもオケに合わせてノン・ビブラートで演奏していたのは知っていましたが、まさか、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリスト、庄司紗矢香にまで無理難題を強いていたとは。でも、それに対する紗矢香さんのリアクションが、素敵ですね。

Book Artwork © Chuokoron-Shinsya, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2010-07-23 20:45 | 書籍 | Comments(0)