おやぢの部屋2
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MOZART/Die Zauberflöte
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Daniel Behle(Tamino), Marlis Petersen(Pamina)
Daniel Schmutzhard(Papageno), Sunhae Im(Papagena)
Anna-Kristiina Kaappola(K d N), Marcos Fink(Sarastro)
René Jacobs/
RIAS Kammerchor, Akademie für Alte Musik Berlin
HARMONIA MUNDI/HMC 902068/70




モーツァルトのオペラを、独自の切り口で演奏してくれていたヤーコブスが、ついにジンクシュピールの傑作「魔笛」をリリースしました。ウィリアム・ケントリッジの演出による2009年7月のエクサン・プロヴァンスでの上演のメンバーが、同じ年の11月にベルリンのテルデックス・スタジオに集結して入念に録音を行ったものが、このCDです。
ヤーコブスのオペラの場合はいつものことですが、製作スタッフはあくまでセッション録音でなければなしえないようなものを作り出そうとしているように思えます。ヤーコブス自身もライナーで述べていますが、このCDは「ジンクシュピール Singspiel」=「歌芝居」であると同時に、「ヘアシュピール
Hörspiel」、つまり、ラジオドラマのような「聴く芝居」としての位置づけで制作されているということです。ミュージカルではありませんよ(それは「ヘアスプレー」)。そのために、CDの場合は大幅にカットされることの多い「セリフ」の部分を、完全にしゃべらせて、より完全な「劇」を伝えようとしています。これはうれしいことですね。
さらに、耳で聴いただけでも情景がより伝わるような、たとえば効果音を挿入するといったようなことを、かなり大胆に行っています。まあ、「夜の女王」が登場する時に雷鳴を聴かせる、などというのはよく使われますが、ここではもっと踏み込んで、鳥の鳴き声とか風の音などで、ていねいに情景描写を行っています。一番ウケたのは、タミーノとパパゲーノが閉じ込められている「牢獄」のSE。いったいなんだと思います?それは、「雨漏り」のように、水のしずくが「ピッチャン」と滴り落ちる音。これだけで、うす暗く汚い場所が見事に描写されていますよね。
それだけの周到な「舞台」を与えられて、ヤーコブスは実に伸び伸びと躍動感あふれる音楽を繰り広げています。各所でフィーチャーされているフォルテピアノの即興演奏のように、それは、時にはモーツァルトの書いた楽譜以外の要素を持ち込むことによる、かなり自由な発想から生まれるものに違いありません。それは、厳格な「原典」を志向するような人にとっては、もしかしたら許しがたいほどの演奏なのかもしれませんが、例えばアバドのように重箱の隅をほじくるようなことをしてもなんの効果も上がっていないものなどよりはよっぽど価値のあるもののように思えます。もちろん、アーノンクールのような、誰にも賛同されない恣意的な演奏とは全く次元の違うものであることは明白です。
ここでヤーコブスが曲の最後で頻繁に見せている記譜上の拍に全くとらわれていないケレン味たっぷりのくずし方などは、まさにこの作品の依頼主、シカネーダー一座がおそらくアドリブで見せたであろう、観客の「受け」をねらった仕草に、精神的にかなり近いものであると感じられるのは、なぜでしょう。そう、ヤーコブスがここで行ったことは、楽譜上の「原典」ではなく、まさに精神的な「原典」を再現することではなかったのでしょうか。
有名無名にかかわらず、これ以上は望めないほどの歌手が集まったしっかりした演奏だからこそ、そんなコンセプトが生きてきます。加えて、合唱の素晴らしいこと。これこそは、ステージでは絶対に実現できない完璧なものです。そんなソリストと合唱、そしてヤーコブスのアイディアが見事に結実したサプライズが、最後の合唱です。まさに大詰め、堂々たる4拍子が、エンディング・モードの2拍子に変わって属七の和音でフェルマータした後、「die Schönheit」という歌詞で始まる部分で楽譜上はイン・テンポの所をヤーコブスは思いっきりテンポを下げます。その合唱が同じことを2回繰り返すと思いきや、その2回目にはなんとソリストが歌っていたのですよ。こんな心憎いことをやられたら、誰だって参ってしまいませんか?

CD Artwork © Harmonia Mundi s.a.
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by jurassic_oyaji | 2010-09-27 20:54 | オペラ | Comments(0)