おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
Fragile/A Requiem for Male Voices
c0039487_19583786.jpg




Die Singphoniker
OEHMS/OC 817




タイトルが意味深の、「ジングフォニカー」のニューアルバムです。だいぶ前のS & Gをはじめ、これまでに聴いたこのグループのCDで満足できたものは何一つありませんでしたが、そのタイトルにある「Requiem」という言葉には、敏感に反応してしまいます。メインタイトルの「フラジャイル」は確かスティングの曲だったはず、それと「Requiem」というミスマッチが、ある種の期待を抱かせます。別の期待は禁物ですが(それは、「ブラジャー、要る?」)。
パッケージを手にして中身を見ることによって(しつこいようですが、ネット配信ではこのような体験は不可能です)そのタイトルの意味が分かることになります。彼らが最初に演奏しようと思ったのは、ルネサンス期、フランドルの作曲家ピエール・ド・ラ・リューの「死者のためのミサ曲」、つまり「レクイエム」でした。ただ、それをそのまま歌うだけでは芸がないので、その間に他の人の作品を挟み込む、というアイディアを実行に移したのです。かくして、さまざまな作曲家のコラボレーションによる「男声のためのレクイエム」が誕生しました。
スティングの「Fragile」は、スウェーリンクのオルガン曲をコラール仕立てにしたルートヴィヒ・トーマスの曲に続いて演奏されます。「レクイエム」にしては明るすぎるアレンジがちょっと気になりますが、この歌の最後の歌詞、「How fragile we are(私たちは、なんて脆いのだろう)」は、確かに「Requiem aeternam」を導き出すには、ふさわしいものではあります。
そのラ・リューの本体は、例えば1988年に録音されたアンサンブル・クレマン・ジャヌカンの演奏(HARMONIA MUNDI)で聴くことが出来ますが、なんと言ってもこの曲の特徴といえばそのあまりに低い音でしょう。なんでも、ベースの最低音は「B♭」なのだとか。「C」が出れば「すごい」といわれるこのパートにとって、その全音下のこの音はかなり過酷なものです。作曲家は、そこまでして「暗いサウンド」を目指したのでしょうね。ヴィスのグループは、オルガンによってそのあたりの音を補強していますが、ここではあくまでア・カペラにこだわった結果、出せない音はあきらめて安易に移調する道を選びました。まあ、それなりの「暗さ」は感じられますから、それほどの問題ではありませんが。
しかし、それに続く、クルト・ワイルの「ベルリン・レクイエム」からの「Zu Potsdam unter den Eichen」の、なんともノーテンキなたたずまいは、いったい何なのでしょう。ワイルならではのアイロニカルな曲なのでしょうが、その「ひねり」が全く感じられない歌い方には、閉口してしまいます。
そうなってくると、「本体」の方も、ポリフォニーの絡みなどが、かなりいい加減なことに気づかされてしまいます。それぞれの声部がもたらす緊張感といったようなものが、殆ど伝わってこないのですね。彼らの「ユルさ」は健在でした。
それでも、間にラウタヴァーラ、シャンデルル、ニシュテッドなどといった、このサイトでは「お馴染み」の作曲家の曲を従えて、「レクイエム」は続きます。確かにシャンデルルの「Whispers of Heavenly Death」などは聴き応えがある作品です。
しかし、そんな配慮を帳消しにしたのが、最後から2番目に置かれたエリック・クラプトンの名曲「Tears in Heaven」という、そのまま歌えばきっちり涙を誘うはずの名曲を、無惨にも「明るい」ものに変えてしまったアレンジと、それをなんの疑いもなくそのまま歌ったこの6人の男声合唱団の演奏です。いとも軽やかなカスケイディング・アルペジオからは、死を悼む敬虔な心などは全く感じることは出来ません。「ユルさ」とともに、彼らの無神経さも、しっかり健在であることを思い知らされたアルバムでした。そういえば、「Offertorium」の前に歌われていたスピリチュアルズ、「Deep River」も、無惨な出来でしたね。

CD Artwork © Oehms Classics Musikproduktion GmbH
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-10-28 20:02 | 合唱 | Comments(0)