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調律師、至高の音をつくる
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高木裕著
朝日新聞出版刊(朝日新書
267
ISBN978-4-02-273367-2



こんなサイトを作って、音楽に関してはまずたいがいのことには目を配れているつもりでいても、実際にこんな本に出会ってしまうと、世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるのだ、と思い知らされてしまいます。というのも、ピアニストがコンサートを行う時には、演奏するホールに備え付けてある楽器を使うのが当たり前で、自分の楽器をわざわざ運びこんでくる人はそれこそホロヴィッツとかミケランジェリといった、ごく限られたマニアックなピアニストだけなのだと思っていたのですが、今では普通のピアニストでも日常的に気に入ったピアノを持ってきて演奏を行っている人がたくさんいるのですね。考えてみればこれは当たり前の話で、ヴァイオリニストやフルーティストであれば、本番の時だけ、今まで弾いたこともない楽器を使うなんて、全く考えられないことですよね。自分の楽器は、長い時間かけて使いこんでこそ、自分の思っている音楽が表現できるようになるものです。それを、ピアニストだけが、いったい今までどんな扱いを受けてきたのか全く分からない楽器をいきなり与えられて、それを弾かなければならないのですからね。
もちろん、そんな当たり前のことが出来なかったのには、ピアノという巨大な楽器が、基本的には持ち運びが出来ないものだからだ、という理由がありました。だったら、簡単に運べるようにすればいいじゃないか、と考えたのが、この本の著者、高木さんでした。そのために、調律師である高木さんは、自身で調律した完璧のコンディションにあるスタインウェイを何台も所有し、それを演奏家の求めに応じて演奏会場まで運ぶ、というシステムを開発したのです。もちろん、演奏者のひき方やクセは充分に把握したうえで、最も弾きやすいように調整し、その楽器を分解せずに運べるような機械まで開発してしまいました。これでこそ、楽器を最高の状態で演奏家に提供できて、調律師としての仕事を全うできる環境だ、と、著者は述べています。それに比べれば、ホールの楽器をほんの限られた数時間で調整するのは、単なる「応急処置」に過ぎないのだと。
時には、やはりホールの楽器を使わざるを得ない時もあって、地方の公共ホールなどでそこのピアノを調律することもあるそうですが(町立のホールとかね)、そんな時に「地元」の調律師が見せる対応について述べている一文も、やはり初めて知ることで、結構衝撃的でした。以前からそのホールに出入りしている調律師というものは、演奏者の希望などで著者のような「よそ者」が仕事に来ると、なぜかその現場に立ち会うのだそうです。自分が今まできちんと保守に関わってきた楽器に、おかしな扱いはされないようにチェックするのでしょうが、あろうことか、その際に「立ち会い料」というものを請求するのだそうです。これは、全国で行われている公然の慣習なのだとか、もちろん、著者はそんなものには応じず、毅然とした態度を貫き通すのだそうですが、なんとも醜いことが行われているのが、この業界なのですね。
そういえば、市民センターなどに行くと、例外なく「調律が狂うので、ピアノの移動は禁止します」といった趣旨の張り紙があることを思い出しました。これなども、著者に言わせれば全くなんの意味もないことなのだそうですね。ピアノは、ちょっと動かしたぐらいで音が狂うほどヤワな楽器ではなく、何よりも単なる置物ではなく「楽器」なのですから、弾いてなんぼという感覚が必要なのだ、と、彼は主張しています。これは、不当な扱いを受けている楽器へのるおもいやりの心、そんな、ピアノが楽器として思う存分に活躍して欲しいと願う深い愛情が、この本のいたるところに満ち溢れています。

Book Artwork © Asahi Shimbun Publications Inc.
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by jurassic_oyaji | 2011-01-09 23:23 | 書籍 | Comments(0)