おやぢの部屋2
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KOZLOVSKY/Requiem Mass
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Soloists
Vladimir Yesipov/
State Moscow Choir, Moscow Choir of Teachers
USSR Ministry of Culture Symphony Orchestra
MELODIYA/MEL CD 10 01744




ロシアの作曲家とされているオシプ・コズロフスキーという人は、正確にはロシアではなくポーランドで、モーツァルトが生まれた1年後、1757年に生を受けました。ワルシャワで音楽教育を受けた後、兵士として露土戦争に参加するのですが、そこであのポチョムキンに才能を認められ、晴れてサンクトペテルブルクでエカテリーナ二世の宮廷音楽家となります。彼の作品は、存命時から大きな評価を受け、広く演奏されたり出版されたりしたそうです。なにしろ、彼が作った「Let the Thunder of Victory Sound」という勇壮なポロネーズは、非公式ですがロシアで最初の「国歌」として、1791年から1833年の間に用いられたというのですからね。
この「レクイエム」は、1795年の「第3次ポーランド分割」によって消滅した「ポーランド」の最後の国王であり、晩年はサンクトペテルブルクに幽閉されていたスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの葬儀のために1798年に作られました。国王が亡くなったのが2月12日ですが、この曲がサンクトペテルブルクのカトリックの教会で演奏されたのが2月25日といいますから、かなり早い仕事ぶりだったのですね。あるいは、この日のためにひそかに作っておいたのでしょうか。
曲は、当時の「西欧」の様式をそのまま取り入れた、洗練されたフォルムを持ったものでした。ただ、通常の典礼文による音楽の後には、おそらく実際に棺を運ぶ時に用いられたのでしょう、「葬送行進曲」が置かれており、そのあとには「Salva Regina」が演奏されています。
しかし、全く根拠のないことなのですが、もしかしたら作曲者はその7年前に遠くウィーンで作られた曲を聴いていたのではないかと思わせられるほど、この作品と、あのモーツァルトの作品との間には多くの類似点を見出すことができます。まあ、それは単に、モーツァルトにしてもこのコズロフスキーにしても、この時代の様式を大きく踏み出してはいない、ということのあらわれなのかも知れませんが、前半の部分などはことごとく「似てる」と感じられるのには、ちょっと気になってしまいます。
まず、最初の「Requiem」の、拍子の頭のバスに続いてヴァイオリンが裏拍を入れる、というアイディアに、ちょっとドキッとさせられます。まあ、あまりにモーツァルトに親近感があるために、なんでも「似てる」と感じられるだけなのかも知れませんが。続く「Dies irae」の切迫した楽想も、「似てない」と言いきることは困難です。ここでは銅鑼まで入ってさらに大げさに盛り上げますから、それなりの「個性」はあるのでしょうが。しかし、次の「Tuba mirum」では、思わずのけぞってしまいました。金管のアンサンブルで演奏されるイントロの最初の4つの音が、モーツァルトでのトロンボーンのイントロと全く同じだったのですよ。正確には3つ目の音は1オクターブ下になっていますが、キーも変ホ長調で、モーツァルトの変ロ長調とは無関係ではありません。でも、言ってみれば、このテーマはラッパによる分散和音のファンファーレですから、「偶然」似ることはそんなに珍しいことではないのかも知れませんがね。
そんな具合に心地よく進んでいくこの「レクイエム」、たとえばメゾ・ソプラノのソロで歌われる「Benedictus」などは、本当に心を洗われるような美しい音楽です。そこからは、「西欧」は見えても「ロシア」の姿は決して浮かんではこないはずです。
これはもちろん新録音ではなく、1988年の「ソ連」時代に録音されたものが新しくCDになったものです。それんにしても、こんなキャッチーで、ある意味センスの良い曲を、この頃の演奏家は、なんとどん臭く演奏していることでしょう。「西欧」の曲を、無理やり「ロシア」風に捻じ曲げた恣意さえ感じられる、これはそんな時代の音楽のありようを、記録に残したものだったのかもしれません。

CD Artwork © Melodiya
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by jurassic_oyaji | 2011-01-24 21:02 | 合唱 | Comments(0)