おやぢの部屋2
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BACH, J.C./Mailänder Vesperpsalmen
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Johanne Lunn(Sop), Elena Biscuola(Alt)
Georg Poplutz(Ten), Thomas E. Bauer(Bas)
Gerhard Jenemann/
Süddeutscher Kammerchor
Concerto Köln
CARUS/83.347




作曲家で、「親の後を継ぐ」というケースは、いつの時代にも見られます。今だったら宮川泰の息子の宮川彬良(本名は「晶」なんですってね。なんか、他人とは思えません)あたりでしょうか。晶少年は作曲家になることをみやがわなかった(いやがらなかった)のでしょうね。もちろん、いくら親子だと言っても、それぞれに教育を受けた環境や、時代が異なっていますから、出来上がった作品は全く別の個性を持つことになります。「シビレ節」の作曲家に、「マツケンサンバ」は作れません。
自身がすでに「世襲」の作曲家だったあの大バッハの息子たちも、多くの人が名のある作曲家として成功しています。しかし、当然のことながらその作品は父親とは全く別な個性を持つことになりました。大バッハが50歳の時に、年の差16歳の若き後妻アンナ・マグダレーナとの間に生まれた末子、ヨハン・クリスティアンあたりになると、もはや生きた時代の音楽の様式はすっかり変わっていますから、そこに父親の名残を見つけることはほとんど困難なことです。
1735年に生まれたヨハン・クリスティアン、最初は父親や異母兄のカール・フィリップ・エマニュエルなどから音楽教育を受けていましたが、「本場」イタリアで勉強したいという思いを捨てがたく、1754年にイタリアへ赴き、ボローニャで高名なマルティーニ神父の教えを受けることになります。この方には、後に、あのモーツァルトも教えを乞うていますね。
さらに彼は、バッハ家の宗教であったルター派のプロテスタントから、カトリックに改宗します。そして、1760年ごろにはミラノ大聖堂のオルガニストに就任するのです。その時期は、大聖堂で行われる礼拝のための音楽を集中的に作曲、その中の「晩課詩篇」と呼ばれるものが、このアルバムには収められています。
ちなみに、彼が宗教曲を作っていたのはミラノ時代だけのことで、そののちはイギリスにわたり、オペラ作曲家として大成功を収めることになるのですね。そして、イギリスを訪れたモーツァルトとも親交をむすび、その友情は生涯続くのでした。
そんな、さまざまな面でモーツァルトとの接点を持つヨハン・クリスティアンですが、彼のイタリア仕込みの音楽は、この21歳年下の友人に大きな影響を与えました。というより、さまざまな面でこの二人の作品の間に類似点を見出すのは、いとも容易なことです。これが世界初録音となる、ということは、初めて耳にしたほんの5分程度の1曲だけから成る「Domine ad adjuvandum」という、詩篇69をテキストにした作品のイントロを聴いただけで、ごく自然にそこからは「あ、モーツァルトだ」という思いがわき上がってくるのですからね。
したがって、それに続く、いずれもさまざまの編成で演奏される長大な3曲の詩篇と、1曲の「Magnificat」を聴いている間中、そこからはまさにモーツァルトと同じテイストを持つ、愉悦に満ちた屈託のない音楽を腹一杯味わうことが出来たのです。いや、もちろん、事情は全く逆で、この時代にイタリアで教育を受けた作曲家なら、誰しも持っていたであろう資質と趣味を、モーツァルトもしっかり備えていた、というだけのことなのでしょう。
ほんと、オルガンが奏でるちょっとしたソリスティックなフレーズなどは、そのまま「教会ソナタ」の中に見いだすことが出来ますし、木管楽器によるソリなども、まさに「ハ短調ミサ」そのものです。
ピリオド楽器によるオーケストラは、とてもいきいきとそんな「イタリア」の息吹を伝えてくれています。ソリストたちも、あくまで軽やかにコロラトゥーラを聴かせてくれます。ところが、肝心の合唱(「南ドイツ室内合唱団」ですが、某サイトでは「西ドイツ」となっていましたね)が、なんとも融通の利かない歌い方なのですね。これは、「いやしくもバッハと名の付く作曲家の曲が、こんなに軽やかではいかん」という、ドイツ人ならではの「偏見」のあらわれだったのでしょうか。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2011-02-07 21:06 | 合唱 | Comments(0)