おやぢの部屋2
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BACH/St John Passion
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Mark Padmore(Ten), Hanno Müller-Brachmann(Bas)
Peter Harvey(Bas), Bernarda Fink(Alt)
Katharine Fuge, Joanne Lunn(Sop)
John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir, English Baroque Soloists
SDG/SDG 712




「再開」後の2つのアイテムは、実は震災前に準備していたストックに、多少手を入れたものだったので、音や映像は当然以前に体験していたものでした。自分で言うのもなんですが、なんだか他人が書いたもののような気がしてなりません。「あの日」を境に社会を見る目がガラリと変わってしまったように、おそらく音楽を聴く時にも感受性が微妙なところで変化しているのでしょうね。
今回は、正真正銘「震災後」、やっと、なんとかじっくりCDを聴く時間も取れるようになって、最初にきちんと聴いてみようと思ったのがバッハの「ヨハネ」だったなんて、確実になにかに導かれてのこととしか思えません。
とりあえず、聴くにあたっての準備として、ガーディナーがどんなアプローチをとっているかの確認です。楽譜については「ベーレンライター」とあるので、新全集を用いているのでしょう。今の段階(録音は2003年)では、彼は「稿」に関しては保守的な姿勢をとっているようですね。そして、声楽陣も、20人程度の「大きな」合唱と、専門のソリストという、こちらも「保守的」な編成です。エヴァンゲリストのパドモアは、レシタティーヴォだけではなく、すべてのテノールのソロのナンバーも歌っています。ミューラー・ブラッハマンだけが、イエスのレシタティーヴォの専任です。
第1曲目の合唱、「Herr, unser Herrscher, dessen Ruhm」のイントロが始まった瞬間、そこにはなんとも荒涼たる世界が広がっているのを感じないではいられませんでした。オーケストラのダイナミックスは、極端なまでにフォルテとピアノの間をひっきりなしに行き来しています。その振幅が、パートごとにそれぞれ微妙に異なっているものですから、そこからはまるで大きな波や小さな波が、それぞれの周期で寄せては返す、といった、とてもこの世のものとは思えない恐ろしい風景が眼前に広がっていたのです。それはまさに、ほんの数日前にテレビの画面を埋め尽くしたあの惨状ではありませんか。いや、それはあまりにも現実的過ぎる比喩なのかもしれません。もう少し音楽的な言い方をすれば、ジェルジ・リゲティが「レクイエム」の中でトーン・クラスターを使って描いてみせたような阿鼻叫喚の世界が、なぜかバッハの音楽によって感じられてしまったのです。合唱が入ってくると、それはさらにリアリティを持って迫ってきます。この合唱は、まるで「美しく」歌うことを最初から否定しているような、もっと根源的な「叫び」でなにかを表現しているようにすら思えてしまいます。「ヨハネ」って、こんな音楽だったの?という思い、そう、これは、今まで聴いたこともなかったような、とてつもなく過激な表現に支えられた演奏だと、感じられてしまったのです。あ、オペラではありませんよ(それは「歌劇」)。
そのような流れの中では、作品はもっぱら物語を緊迫感あふれる描写で進行させることに重きが置かれてきます。特に、第2部に入ってからの「Nicht diesen, sondern Barrabam!(その男ではなく、バラバを!)」、「Kreuzige, Kreuzige !(十字架につけろ!)」、「Wir haben ein Gesetz(私たちには律法がある)」といったような民衆の合唱などは、まるで背筋が凍るほどのあざけりのように聴こえます。それに対してのイエス(ミューラー・ブラッハマン)の包容力あふれる答えは、なんという慈愛に満ちたものなのでしょう。
ここでは、コラールさえも、攻撃的なメッセージとして歌われています。したがって、必然的に抒情的なアリアは、まるで居場所がなくなってしまったかのような肩身の狭さを味わっていることでしょう。正直、そんなものはここでは必要ないから、さっさと終わってほしい、そんな気持ちに駆られることの方が多かったのではないでしょうか。
ガーディナーが示した一つの音楽の形、それは、「今」の心情にとっては、あまりに重すぎるものでした。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd
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by jurassic_oyaji | 2011-03-25 19:52 | 合唱 | Comments(0)