おやぢの部屋2
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BRAHMS/Piano Concerto No.3
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Dejan Lazic(Pf)
Robert Spano/
Atlanta Symphony Orchestra
CHANNEL/CCS SA 29410(hybrid SACD)




ブラームスのピアノ協奏曲「第3番」ですって。確か、ブラームスのピアノ協奏曲というのは2曲しかなかったはず、とは言っても、別に新しく楽譜が発見されたとかいうわけではなく、これは有名な「ヴァイオリン協奏曲」を、ピアノ協奏曲に作り直したものなのですよ。たしか、ベートーヴェンも自らそのようなトランスクリプションを行っていましたね。しかし、これはブラームス自身ではなく、ごく最近、クロアチア生まれの若手ピアニスト、デヤン・ラツィック(代理店による表記)が、なんと完成まで5年の歳月をかけて作り上げたバージョンなのだそうです。そのラツィックくん自らのピアノ独奏によって、200910月にアメリカのアトランタで行われた「世界初演」の模様が、ここでは聴くことが出来るのです。当然のことながら、これが「世界初録音」ですね。そのような「初物」には弱いものですから、つい手が伸びてしまいました。
ここで、ラツィックくんがお手本にしたのが、さっきのベートーヴェンと、そしてバッハの「ピアノ協奏曲」なのだそうです。バッハの場合は元々作曲の際に特定の楽器にこだわっていたわけではありませんから、そもそもお手本にするのは問題のような気がします。ベートーヴェンの場合には、未だにピアノ版の持つ違和感には馴染めませんし。
とにかく、お手並み拝見、あれこれ考えずに聴いてみることにしましょうか。しかし、第1楽章でピアノ・ソロが登場するところで、すでにヴァイオリンの時とは全く別の世界が広がっていたのは、まさに予想通りのことでした。オーケストラの間をかいくぐってソリストが低音からのスケールを披露するという場面、ヴァイオリンが1本の時には堂々とした中にも、なにか孤高さを秘めたストイックなイメージがあったものが、分厚い和音で飾られたピアノでは、それがやたら華やかでけばけばしいものに変わっていたのです。当然、単旋律の楽器であるヴァイオリンをピアノに置き換える時には、それなりの「加工」が必要になってくるのですが、それはあくまでブラームスのピアニズムに合致したものでなければ、成功したとは言えません。この登場のシーンは、まるでラフマニノフかなんかのよう、ちょっと引いてしまいます。そして、この楽章の間中、ピアノからはまるでベートーヴェンのような語法が漂って来ているのですね。いや、それは「お手本」ではないだろう、と言いたくなるほどの勘違いです。
第2楽章では、ピアノよりもオーボエ・ソロに耳が行ってしまいます。それほどのピアノの存在感のなさ、それはヴァイオリンならではのリリシズムが決定的に欠けているせいなのかもしれません。ちなみに、ここでオーボエを吹いているアトランタ響の首席奏者は、きちんと「エリザベス・コッホ」とクレジットが与えられています。このラストネームを見て、あのローター・コッホの親族なのでは、と思ってしまいましたが、全くの赤の他人のようですね。候補ですらありません。いや、その元ベルリン・フィルのトップ奏者のような繊細な音色だったものですから、つい。
そして、第3楽章では、あのロンドのテーマがピアノによって演奏されると、なんとも不思議なテンポ感になってしまうことに気付かされます。あのフレーズは、ヴァイオリンでは軽快に聴こえますが、ピアノではあまりに遅すぎます。
ブラームスに限らず、後期ロマン派などと称されるこの時代の作曲家は、楽器の選択にはこだわりがあったはずです。例えば、彼のクラリネット・ソナタは、自身の編曲によるヴィオラ版ではかろうじて原曲のテイストを保てますが、それをフルートで演奏したりすると悲惨な結果が待っています。まして、表現パターンの全く異なるヴァイオリンからピアノへの変更などは、そもそも無理な話だったのでしょう。そうでなければ、130年以上も手を付けられなかったはずがありません。

SACD Artwork © Channel Classics Records bv
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by jurassic_oyaji | 2011-04-23 19:49 | ピアノ | Comments(0)