おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
PERGOLESI/Stabat Mater
c0039487_19555769.jpg

Anna Netrebko(Sop)
Marianna Pizzolato(Alt)
Antonio Pappano/
Orchestra dell'Accademia Nazionale di Santa Cecilia
DG/477 9337




昨年、2010年は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの生誕300年ということで、なかなかの盛り上がりを見せていました。その一環で、7月にバーデン・バーデンで行われたコンサートでは、あの人気ソプラノ、ネトレプコがマリアンナ・ピッツォラートという新人のアルト歌手と一緒に、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」を歌ったということで、「初めての宗教曲への挑戦」と大きな話題になったそうです。彼女はすでにロイド・ウェッバーの「ピエ・イェス」を録音していますが、あれは「宗教曲」ではなかったのですね。言われるように、確かに彼女は「宗教曲処女」だったのでしょう。
とは言え、この曲でのネトレプコは、新しい体験にこわごわ身をゆだねるといったような、「処女」としてのしおらしさを見せることは決してありませんでした。彼女は、300年前に生まれた作曲家の時代の音楽に対して、現代の演奏家なら少なからず見せる様式的な配慮は一切行わず、彼女のホームグラウンドである「ベル・カント」の語法で見事に押し切っていたのです。ある意味彼女にはそういうことが期待されているのですから、別に、それは悪いことでもなんでもありません。もし、彼女がかつてのカークビーのように、曲に「合わせて」ノン・ビブラートで歌っていたりしたら、それこそ笑いものでしょう。そもそもこれは彼女の「挑戦」ではなく、「ペルゴレージ」の「宗教曲」が、ネトレプコのような歌手を迎えたらどうなるのか、といった意味での「挑戦」だったのですから。
その結果、この「バロック」の名曲は、「ベル・カント」の音楽としての資質を試されることになりました。それは、なかなか新鮮な体験ではありました。確かに、最初の頃こそ違和感がなかったわけではありません。なにしろ、パッパーノの指揮ぶりはあくまでエモーショナル、そんな大げさな前奏に導かれて二人の歌手が「Stabat~」と歌い始めると、そこで生まれるはずの全音で2つの声部がぶつかる時の緊張感は、ネトレプコのあまりに深すぎるビブラートによって、さっぱりとなくなっていたのですからね。それは「全音」ではなく、「半音」と「短三度」の連続でした。しかし、しばらくすると、そんなヴェルディ的な世界でこそ、彼女の声は最大限に発揮されることに気づくことになります。こうなったら、どっぷりその世界に浸って彼女の美声を存分に味わうほうが、得に決まってます。
そうなると、6曲目のアリア「Vidit suum dulcem natum(また瀕死のうちに見捨てられ)」は、格別の味を持つことになります。それは恐ろしくドラマティックに、そして直接的に、人の心を打つ(というか、感動をもぎ取る)ものに仕上がりました。アルトとのデュエットも、確かな力を持つピッツォラートとの間では、まさに「対決」の様相を見せています。これでこその、歌手の力比べが最大の魅力となるヴェルディの醍醐味です。この上は、ぜひとも彼女の歌うヴェルディの「レクイエム」を聴いてみたいものです。
これはライブ録音ということですので、多少のノイズがあるのは別に問題はないのいず。しかし、なんだかそうとは思えないような不思議な音がしょっちゅう聞こえてくるのが、とても耳障りでした。それは、全く関係のないところでおしゃべりをしている声のように聞こえるのですが、どうでしょう。例えば、トラック16の1分03秒あたりとか、トラック17の0分32秒あたりではっきり分かるはずですので、確かめてみられては。もしかしたら、これは別のところから「混入」したもののような気もします。そうなると、これはとんでもない欠陥CDですよ(もちろん、「商品」としてのモラルの問題、演奏はその限りではありません)。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
[PR]
by jurassic_oyaji | 2011-04-25 19:57 | オペラ | Comments(0)